第4話 神を貶め




 数千年前に神が舞い降りたという伝説が残っている場所。

 神が舞い降りた衝撃で、高原にぽっかりと空いた穴に雨水がたまり、池ができた。そんな伝説がある池の前で、勇者たちは休息をとっていた。


「神が・・・」


 伝説を聞いて、勇者は顔をしかめて池に背を向ける。


「勇者様?」

「・・・手洗いに行ってくる。」

「お供します。」


 2人そろって木陰に入る。

 他の者から少し離れたところで、勇者はそのまま木に背を預けて腰を下ろした。やはり手洗いというのは、あの場から離れるための方便だったかと、神官は思ってその理由を予測した。


「神がお嫌いですか?」


 神に仕える神官にそう問われて、勇者は微笑んだ。


「神は、どこまでも残酷なんだ。そして絶対的な力を持っているんだよ。それが、どうしようもなく悲しい。」

「左様ですね。」

「ふっ・・・神官の君が肯定するのかい?」

「私は、仕えるお方を新たに見つけましたので。」


 まっすぐ勇者を見下ろした神官は、その場に跪いた。神官が仕えているのは勇者だと伝えるように、深く頭を垂れる。


「見なかったことにするよ。」

「なぜですか!・・・ご迷惑でしたか?」


 悲しげな瞳を勇者に向ける神官に、同様に悲しげな瞳を勇者は向けた。


「神に逆らうのは、世界で一番愚かしいことだよ。君は、そのまま神に仕え、神官として生を全うするべきだ。」

「・・・もう、私の心は決まっています。迷惑でないのなら、私はあなたに仕えましょう。どこまでも、神とは反対に慈悲深いあなた様に。」


 ぐしゃっ。

 勇者が背中を預けているのは、実のなる木だ。その木になった実が落ちて、つぶれる。


 神官はまっすぐに勇者を見つめ、勇者はそんな神官をどこまでも哀れに思った。

 そして、勇者は神官から目をそらして、つぶれた木の実を目に止める。


「ここから遠く離れた世界、そこに住む人間たちは知らずに神に背いた。人間たちは神を信仰し、救いの手を差し伸べない神に生きていることへの感謝の祈りさえ捧げていたというのに・・・気づかず神に背いた彼らは、どうなったと思う?」


 勇者の話を噛み砕いて、神官は目を軽く見開いた。

 今聞いている話が、勇者の世界の話ではないかと思ったからだ。勇者は、神官たちとは住む世界が違う、全く別の世界から来たという。

 自分の多くを語らない勇者から、今神官は勇者について語られている。そのことがとてつもない喜びを生む。


 勇者は、ペンダントのふたを開いた。


「神の御心のままに従えば、すべてを失うことなどなかったのに。」


 パチンっとふたが閉じて、勇者は立ち上がる。


「僕は、慈悲深くなんてないよ。神が慈悲深くない限り、僕も慈悲深いとは遠い存在なのさ。冷酷で、残虐。いつの日か、僕はこう言われるだろう。」


「悪魔と―――」



 そんなことはないと、神官は否定したかった。でも、それはできない。

 だって、勇者はすべてにおいて正しい。おそらく、彼がそう言うのなら、そういう未来が待ち受けているのだろう。だが、そうだとしても。


「私は、あなた様を勇者と仰ぎましょう。生きているうちも、命が尽きた後も・・・あなた様は、私にとって勇者であり続けます。」

「本当に、そうだといいよ。」



「それにしても、どうしてこんな嘘の伝説ができたのだろうね。」

「嘘、ですか?」


 池を眺める勇者は、いつもの微笑みを浮かべる。


「神が降りて、池程度の穴で済むわけがない。少なくても湖・・・最悪星が割れる。」

「・・・左様でございますね。言われて気づきましたが、確かに神が降りたという伝説を背負うには、この池は小さすぎます。」

「でしょ?さ、戻ろうか。」


 勇者は神官に手を差し伸べた。

 それで、神官は今までずっと自分が跪いていたことに気づいた。そして、勇者の手を取ろうと手を上げるが、本当に触れてしまってよいのか悩む。


 こんな、汚れた手で。血に染まった手で触れてもよいのでしょうか?


 勇者に伸ばした手を引っ込めようとした神官だが、その手を勇者は強引につかんだ。


「僕に仕えるのなら、僕の手を取ることを迷うなんてことはしないで。」

「・・・それは!」


 勇者に仕えることを認められた。そう確信し喜びが広がる神官を、勇者は立ち上がらせて問う。


「この手を離す?」

「いいえ。一生・・・命を失ったとしても離しません。」

「そう。」


 本当にそうならいいけどね。


 風に掻き消えそうな小さな呟き。それでも、主の言葉なので神官は見事拾ってみせた。


 勇者は正しい。彼のいうことに間違いはない。

 ただ、1点を除いて。


「本当に、そうですよ。私の信仰は、あなた様が思うような、薄っぺらいものではありませんから。」


 神官の信仰心の深さだけは、勇者にもわからない。



 あなた様の瞳は、どこまでも慈悲深く、その慈悲に嘘はない。私にはそれがはっきりわかります。私の目に狂いはありませんから。


 勇者と出会う前、神官は自分以外はすべて劣っていると思っていた。人間は利己的で、結局自分が一番かわいい。神に仕える神官も、慈悲深さで有名な聖女も、己よりは劣っている。


 私は、どこまでも自分を捨て、他者を救ってきました。

 そんな私を利用するものは多く、人を騙す者など目を見ればわかります。


 人を見る目がある神官は、勇者がいくつもの嘘をついていることを見破っていた。だが、それでもすべてが利己的な嘘ではなく、人間を思ってのことだということまで分かった神官は、それを指摘することはない。


 彼は、すべての人間に哀れみを持っている、慈悲深い存在なのだ。それは、己より尊い、仕えるには申し分のない相手。


 神官は、勇者に仕えると決め、盲目的な信仰を抱くことになった自分に気づいたが、それでもそれを直そうとは思わない。


 だって、勇者様は正しいのだから。



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