悪意の種
宵薙
撒かれ続ける悪意
悪意というものは簡単に拡散するものだ。何年も人間を見ていると、面白いほどにこの事実ははっきりとしている。
恨み、憎しみ、妬み、嘆き、恐れ……今日も人間界には濃密な闇が漂っており私達の糧となっている。
「……愚かだ」
悪魔である私にとっては、人間が勝手に養分を提供してくれるので、助かっている。悪魔達は人間界に漂う憎しみや怒りといった負の感情をエネルギーとして吸収しているのだ。
どれだけ見ても全く飽きが来ないのは、人間達が自分で犯した過ちに気づいていない、というところだろうか。
無自覚なうちに起こした事を他人になすりつける輩もいるが、罪を被せられた側から放たれる憎悪はなかなか美味く、腹の足しになっている。
本人達も、まさか悪魔達に利用されているとは思わないだろう。神を祈る声は何度も聞いてきたが、悪魔である私も神など見たことはない。
救われている所を見ないので、本当にいるのかも怪しいのだが。
「それにしても、どうしてここまで争えるのでしょうね?」
人は、「正義」というものを持っているらしい。自分の価値観で定められたそれは、上手く働いて善意になることもある。
「だが、振りかざされた正義は悪意にもなりえる。皮肉なことです」
私が取り憑いている男は、どうやら復讐がしたいようだ。自分が苦しめられたために、見返してやりたいという。
また、彼以外にも虐げられ続けている人間は多くいる――そのために、協力して欲しいのだと。
私は快くその依頼を受け入れた。「助ける」といっておきながら救われる人間はごく一部だ。後は皆犠牲になるだけ。悪意も計算通りに事が進めば、十分集められる。
復讐は、憎しみが積もりに積もって引き起こされるものだ。これほど美味い交渉はない。悪意もたくさん味わえるだろう。
「全ては私の思い通りに」
今は、街を焼き尽くした罪で城の中に私と共に幽閉されている。だが、その罪を全て拭って再び罪を犯そうとしているのだから、これ以上に面白く可笑しい事はない。
どれだけの悪意を振りまいてくれるか、楽しみだ。吠えるだけの駒になるのは目に見えている。後はどれだけ種を蒔けるかという話である。
今まで何人も取り憑いてきたが、この男は何かが違う。普通であれば結界に閉じ込められた時点で全てを諦めてしまうだろう。
しかし、彼はそうしなかった。苦労を承知で、私に延命を求めた。「結界が崩壊したら、その時には必ず復讐を達成してみせる」と。
彼の緋色の瞳には断固たる決心の炎が静かに揺らめいていたのだ。だから、私は契約しようと思った。今まで喰っては使い捨ててきた贄とは格が違う。私の中で、僅かな期待が生まれたのだった。
使えるものは全て利用する。彼の善意も、悪意も使えるだけ使って食い潰す。悪魔である私と契約したならば、それぐらいの犠牲は払ってもらわなければ。
人間の善意――それを穢すのが私の役目だ。人間が持つ汚泥のような欲望を叶え、夢を見せた後に悪意を植え付ける。
彼を狂わせ、虜にし、全てを奪い取る。私に出来る事はそんな事だけ。悪意のみを食らい、悪意の種を蒔くことだけを命ぜられた私には、拒否権など存在しない。
「サァ――私に惨劇を見せて」
主である男の心の中を覗いてみると、私にとってはまぶしすぎる記憶が、幾つも残されている。私はそれらを一つ一つ取り除き、抜けた穴の部分に悪意を埋め込むのだ。
悪い、とは思わない。悪魔が生きていくには世の中に漂っている悪意を食らうか、人間に寄生するかのどちらかしかないのだから。
もっと他の手段があれば、効率的な方を選んでいるだろう。この男が特例なだけであって、他の仲間では主に取り憑いても悪意を吸収できずに朽ちた者だっている。
世の中に漂っている悪意といえども、同じ人間がずっと餌を振りまいてくれるわけではない。人間界に放出されるエネルギーも日々奪いあいなのだ。
少し希望を見せておかねば、暴走して手に負えなくなってしまう。悪意だけでは、人間も生きていけないらしい。そこは、悪意を得ようとして失敗した仲間に聞いた。
「……これぐらいでしょうか」
奪い取った記憶をプリズムの中に強引に押し込む。記憶を出したり入れたりすれば、ある程度安定して悪意が吸収できるらしい。
善意や希望に溢れた記憶だとしても都合良く利用すれば、まだまだ沢山の悪意が得られるだろう。
ずきりと疼く何かを抑えながら、私は吸い取った悪意を舌で転がして味わう。じわりと溶けていくこの味わいは、やはり何物にも代え難い。
粘り気のある液体を呑み込むと、快感が私を包み込む。人間にとっての負の感情は、私達にとっての餌だ。
今日も私は、彼に取り憑いて餌を食い続ける。悪意という名の種をばらまきながら。
悪意の種 宵薙 @tyahiyo
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