図書室にて
秋永真琴
図書室にて
何の植物の種なのかはわからない。とにかくそれは〈種〉と呼ばれ、わたしたちの街でひそかに流行り始めている。流行っていることをわたしなんかが知っているのだから、本当に流行っているのだと思う。
手のひらに乗せたそれは、なるほど、ひまわりの種みたいな大きさと形をしていた。ほとんど黒色に見えるけど、窓から射しこむ光にかざすと、濃い藍色をしているのがわかる。
「どうしたの」
わたしは向かいに座っているミネコに訊いた。
「ユマにあげる」
ミネコは微笑んで言った。
だいたいミネコはいつもこの表情を浮かべていて、その微笑みがひとを
春休みの図書室に、生きているものはわたしとミネコしかいなかった。わたしは図書委員なので鍵を持っていて、こうして本の住処を借りることができる。
ミネコのまっすぐな長い髪が、陽を受けて〈種〉と同じ色につやめいている。
「買ったの、もらったの」と、わたしは訊き直した。
「タキタくんがくれた。〈決めだる〉で」
「〈決めだる〉だった?」
「すっごい〈決めだる〉だった。『ミネコ、あー、これ、やる』」
あんまり似てないミネコのものまねに、わたしは苦笑した。似てないけど、タキタくんだとわかる。自分が少し
そんなタキタくんのだるそうな決めポーズを何かの拍子に〈決めだる〉と呼んだのはわたしで、ミネコはそれをずいぶん気に入り、陰で使っているうちにすっかりクラス中に定着してしまった。いやな男子ではないので、本気の悪意は籠もっていないけど。もしミネコが本気で嫌えば、タキタくんは今のままの高校生活は送れない。それはわたしも同じだ。ミネコにはそれだけの存在感がある。
「タキタくんはどうやって手に入れたの」
「先輩がくれたって。三年の。その先輩も街の遊び仲間からもらったって。その仲間のひとも行きつけのクラブで――」
「ちょっと、ミネコ」
「辿ったのはそこまでよ。心配した?」
「した」
「ユマに心配されるのは好き」
ミネコの微笑みが深くなる。わたしの心臓がきゅっと縮む。
「そういうので他人の気持ちを測っちゃだめだよ」
せり上がる感情を喉元でせき止め、わたしは努めて淡々と言った。ミネコに意見するのは怖いけど、たぶんお愛想ばかり言っていたら、機嫌を損ねる可能性が増すだけだ。
ミネコはちょっと目を伏せて「そうだね。気をつける」と言った。
「ありがと。大丈夫だから。本当に危ないことはしてない」
「うん」と応えながら、わたしは心臓がもとの形に戻るのを感じる。
「とにかく、みんな答えはおんなじ。誰かがくれた、誰かからもらった」
ミネコはおどけて肩をすくめてみせる。
〈種〉がふしぎなのは、その出所がまったくわからないことだった。ネットにも確たる情報は上がっていない。どんなデマや流行もだいたい発信源が突き止められてしまうこの時代に、まるで〈種〉そのものが意志を持って自らを拡散しているみたいだ。
「ミネコは、飲んでみた?」
「少し前に、別のひとからもらったのを」
「誰?」
ミネコの気を惹きたい人間はいくらでもいる。
「気になる?」
「詮索するつもりはないけど」
「でも気になる?」
「気にはなる」
「正直ねぇ」
「嘘をつく能力がありませんので」
「それを自覚できるのがユマの優れたところよ」
ミネコはわたしの手のひらから〈種〉をつまみ取って、わたしの口元に近づけた。
藍色の〈種〉と、ミネコの指先をわたしは見つめる。細くてきれいな爪は、何も塗らずに短く切りそろえられている。もっと飾ればいいのにと思う。このままがいちばんいいとも思う。
わたしは唇をゆるめた。
ミネコの指が、ゆっくりと入ってくる。
わたしの歯に触れながら、指が舌に〈種〉を乗せる。舌を動かして、わたしはミネコの指から〈種〉を受けとる。自分の唾液で〈種〉をそっと飲み込む。
ミネコは指を抜いて、
「花、咲くかなぁ」
と言った。
「咲くといいよね」
と、わたしは言った。
この〈種〉は、別に麻薬とかじゃない。毒も栄養もないとされている。ただ、花を咲かせるのだという。運がよければ身体の中に小さな花が咲いて、それが幸せを招き寄せるのだとか。こんなもの、ふつうに消化されて排泄されるだけじゃないかと思うんだけど、やってみるだけタダ、別に損はないと、こんな得体のしれないお
だって世界がいろいろおかしいのだから。
わたしたちだってまともなままではいられない。
「ミネコの花はきれいだろうね。ミネコの中に入って見てみたいな」
「――ユマはそういうところがさぁ」
「うん」
「や、何でもない。そのままのユマでいて」
「えっ、何」
「いいから」
こんなどうでもいいような話をミネコとできるのが、わたしは嬉しい。こういう時間を持てれば、おかしな世界でもどうにかやっていける。そう思いながら、わたしは春休みの午後を過ごしていく。
図書室にて 秋永真琴 @makoto_akinaga
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