第20話 トマールの戦い フランク・オットー将軍 

 この度のトマール防衛の為に派遣された将軍フランク・オットーは若干二十二歳にして将軍の末席に加わった。

 彼が将軍となったのは彼の父親がライオネル王国最大の公爵、ヴァイス・オットー大将軍であり、現国王の実妹であるレティシア・オットーを母親に持つことが、大きな要因であった。

 母親譲りの癖のある黒髪を手櫛てぐしで整え、戦場で鎧を着込むことを頑(かたく)なに拒む彼は兵士たちの目から如何いかにも貴族出身の将軍と見えた。

 鎧をまとわない彼の言い分は「総大将が剣を手にする時点で負け戦だ。着けずとも問題ない」だった為、良く父親に説教されていた。

 現国王に実子はおらず、亡き王弟の娘二人が王族として残っているが、ライオネル王国において女王が国を統治した例は無い。

 それ故、この度の戦の結果次第では臣籍でありながら、フランクに王位継承権が授与されることが宮中で既に決定していた。

 フランクにとっては自らが至尊の冠を頭上に頂くなど冗談ではなかった。

 ライオネル王国名門のオットー公爵家の嫡子として生まれた彼だが、王妹にも関わらず、普段からメイド服を身に着け、掃除・洗濯・料理を行う常識に捉われない母親の影響を多分に受けていた。フランクは王とは所詮しょせん、国の支配者ではないことを肌で感じ取っていたのだ。

 周囲の者に対しては、「国王ともなるとどれだけの制約が課せられるか分かったものではない、何より許せぬのは母がせっかく作ってくれた料理を毒見させることになる」と日頃から放言していた。

 周囲の者達は彼の言ったことを冗談と受け止め、笑っていたが、フランクは大真面目だった。

 この戦に勝利することは彼にとって明るい未来を与える物ではなかったが、フランクの個人としての感情よりも、将軍とはその戦を勝利に導く為に全身全霊をかける者のことだ。フランクは気持ちを新たに入れ替える。

 彼の希望を言うならば、魔人軍がトマールを迂回うかいし、近隣の村で狩をしてくれるのが一番良い。既に近隣の住人をナムールの砦まで避難させている。つい先程、全住人の避難は終了したとの報告を受けていた。

 奴隷軍が迂回してくれるなら、空振りに終わらせることが可能だ。しかし、そう自分の思い通りにことが運ぶはずもないこともフランクは重々承知だ。

 間違いなく上級魔人【怠惰シンクレア】は彼らを見逃しはしない。戦闘は避けられないだろう。

 彼はこと前準備に余念はなかった。避難する農民達及び全軍の食料を用意し、農民兵の武具も新調した物を全員に配備していた。

 その時点で、国王より賜った軍資金が尽きた為に野戦陣地構築の資材購入費用は自分の装飾品、服、自分の部屋にある金目の物は全て父親に無断で商人に売って工面していた。


(帰ったら、母上におねだりしよう。でないと、今度の御茶会に着る物がないな……)


 戦場となるトマール平原には魔人軍よりも先に到着し、陣も構築した。斥候(せっこう)の報告によると、敵軍は約二千程で、こちらは三倍の六千強を集めている。無様なことにはなるまい。

 彼が何よりも恐れる魔法に関しては敵将が【怠惰シンクレア】となれば、軍令の遵守を徹底をさせればまず問題はないだろう。

 彼はさして心配はしていなかった。

 爵三位以上の貴妃と呼ばれる魔人の相手を務めるなどフランクにも悪夢としか思えないが、少なくともとある一戦以外は昨今さっこんの戦場でシンクレアが魔法を使用した例はない。

 口元をゆがませながら、背後を振り向き、おもむろにフランクが問う。


「このまま、ファミーに迂回してくれるなら問題はないな。アイン将軍はどう考えておられますか」


「お言葉に反するようですが、それはありますまい。相手は怠惰シンクレアで御座いますゆえ、奴隷軍を全滅させること叶いますれば興冷めし、相手を撤退させることは出来ましょう。しかし、目の前にある獲物を前に迂回した話は聞き及んではおりませぬからな」


 アインと呼ばれた男性はフランクの父であるヴァイスがフランクの為に付けた副将であり、髪に白いものが混じり始めたものの、その膂力りょりょく、智謀は近隣諸国に並び無しと評された歴戦の名将だ。

 アインの鎧は特別製で鍛えた鋼を薄く延ばし、それを重ねることで、重厚な造りとなっている。フランクがその鎧を着用すれば、一瞬にして動けなくなるのは疑いの余地も無かった。

 総大将足る者は泰然たいぜん自若じじゃくに構えるべし、フランクの父であるオットー公爵は常々彼に申していたが、これは意味が違うであろう。


「でしょうな。魔力強化された凶兵に対するに三倍の兵力では如何いかにも心許こころもと無いですが、これは無いもの強請ねだりにすぎませぬな」


 フランクはこれから始まる戦を考えると嫌になった。

 戦力を整え、多額の資金を投入しても万全とは言い難い現実に目を背けたくなる。


「ところで、本当に怠惰シンクレアが魔法を使うことはないのでしょうか? 確か、三十年程前に使用した例があったと記憶しておるのですが……」


然様さようですな。フランク将軍のおおせせられた通り、レギオン帝国との戦にて使用した例が最新の記録ですな」


「恥ずかしながら、原因まで覚えておりませぬゆえに御教授願いたいのですが……」


「他愛ないことで、一人の騎士が【怠惰シンクレア】の騎竜である黒竜のクリームへ矢を射た後、怠惰の竜への命名の感性を大声で罵倒ばとうしたそうですな。いわく、ばばあの趣味は理解出来ぬと。私でも爵三位の魔人に対してその様に罵倒するなど、陛下の勅命ちょくめいと言えども躊躇ちゅうちょ致しますな。その直後に怠惰は魔力を解放させ、右翼及び左翼の軍を一瞬で消滅させた後に中央の軍のみを残し、くだんの騎士を奴隷兵に捕らえさせたそうです。最後に追い詰められ、混乱した中央軍を三名だけ残し、残りを皆殺しにしたと記録にはありますな」


 アインの言葉にフランクは失笑を禁じ得ない。


「くっ……これは失礼致しました。確かに黒竜にクリームと名付けるのですから感性を疑われても致し方ないでしょうに……しかし、ライオネルの更に東部に位置するレギオンと戦をしたことは【聖女アナスタシア】様との戦の援軍を【欺瞞イリス】に要望でもされたのでしょうな。これは私個人の推測に過ぎぬことではありますが」


 アインとの会話が楽しく感じてきたところで、魔人軍より銀の装飾の施された黒鎧くろよろいの屈強な男が宣戦布告を行ってきた。


わたくしはスフィーリアを治める【爵三位貴妃シンクレア】と申します。私(わたくし)わたくしの目的はこの子達と一緒に狩をすることなのですが、貴方方はどうやらそれを邪魔されたい御様子。しかるにこの子たちと遊んで頂くか、私と遊んで頂くかのどちらかを選んで頂きたく思います。どちらを希望なされますか? 因(ちな)みにこの子達が負けたなら、狩は諦めますので、御安心下さいね」


 本人が言うならまだしも、黒づくめの男が拡声魔法を使用して言うものだからフランクにはたまったものではない。戦場に似合わぬ滑稽な状況に力が抜けてしまう。


「彼が怠惰のお気に入りのカーネルですか? これで怠惰との戦は決定事項となりましたな」


「こちらから撃って出ますか、フランク将軍?」


 試すかのようなアインの口調にフランクは正直、辟易(へきえき)した。


「ご冗談をおっしゃいますな、アイン・フリーマー将軍。地の利も生かさず、魔人軍を撤退に追い込むなどけいなら可能とでも?」


「自信を持って無理と断言しますな。では、全軍待機とさせて頂きます」


 アインは、フランクに告げると愛馬に騎乗し、前列に向かって行った。

 アインの姿が見えなくなった所で、フランクは溜息を吐き、呟く。


「正直に申しますが、私には荷が重いのではございませんか。父上、叔父上……」


 フランクがかたわらの茶を口に含むが、冷めきって飲めた物ではなく、苦味だけが口に残った。

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