第2話 明星のスルド

【明星のスルド】と隆之に名乗った女性は意識の無い彼を軽々と抱き上げ、彼 諸共もろともに崩れ去る砂のように消滅していった。

 彼女とその下僕のみが使える【転移魔法】で仮宿かりやどから自らの館へとスルドは舞い戻る。

 激しい音と光をともない、ゆっくりと黒曜石の床へと舞い降りる姿はいにしえの女神の光臨を思わせる物だった。

 悠久ゆうきゅうの時の流れから遮断された空間の中に存在する館は訪れる客が絶えて久しい。

 スルドは静寂せいじゃくに包まれた館の一室の寝具に隆之を寝かせ、彼を迎える準備を済ませたのちに彼の目覚めを待つことにした。

 六時間程経過した頃に隆之が目を覚ます。


「ようやくのお目覚めだね、【魔王ビス美酒ケス】……」


 睡眠が足りなかったのか、隆之は何度か目をまたたかせる。いまだはっきりとしない意識の中で、目の前にいる見知らぬ少女の言葉に戸惑いを隠せずにいた。


「あんた、誰だよ……」


 寝台から身を起こし、目の前にいる少女に隆之が問い掛けた。

 どこかで出会ったことがあるのか、彼の記憶の片隅に残る少女に対しての質問に少女は不思議そうに顔をかしげる。そして、納得がいったように答え出した。


「あれえ? さっき、自己紹介は済ませたはずだけどな。そっか、あの時はこの姿では無かったから気付かないのも無理はないのかもしれないね」


 そう言ったスルドの姿が少女から音も無く、一瞬で大人の女性へと姿を変えた。

 そこにいたのは先程、隆之が助けた足を挫いて動けなくなっていた女性だった。

 黒光りするストレートの長い黒髪と、切れ長の目が特徴的で、右目の下にある泣き黒子ぼくろが彼の印象に残っている。


「どう、納得したかい、【魔王ビス美酒ケス】?」


 隆之がまばたきをした次の瞬間には目の前の女性は少女へと姿を変えている。

 彼は眼を閉じて、軽く指でまぶたを数回こすった。眉毛に唾でも塗れば良いのであろうか。

 今の言葉でどのようにして理解が得られると言うのだろう。彼には見当もつかない。しかも、少女の言葉に出てくる【魔王ビス美酒ケス】という言葉の意味も分からないままだ。


「君が眠る前にも言ったけど、僕の名前はスルド。【明星のスルド】と呼ばれている者だよ……」


 理解の及ばない言葉の連続に彼の混乱する頭では対応しきれなかったが、隆之は必死に今の状況を少しでも把握することに努める。

 どれだけ考えても理解出来ないであるならば、状況に流されることも悪くは無いと彼は考えた。


「うーん、一方的に話すのはあまり好きでは無いのだけれど、君は自分の置かれた状況を良く理解していないみたい。一先ひとまず、説明することにしようか」


 スルドの提案は隆之にとっても望むところであり、特に反対は無い。彼はゆっくりと頷き、同意を示した。


「結論から言うと、此処ここは君がいた世界とは違う世界だよ。そして、君はこの僕に此方こちらに連れて来られたって訳。理解出来たかい?」


 隆之はこんな戯言ざれごとを真に受けるには既に年を取り過ぎている。とても彼には信じるに値しない情報ではあったが、このまま彼女に話を続けるようにうながす。

 

「理解してくれて嬉しいよ、【魔王ビス美酒ケス】。僕は此方こちらの世界で一般的に【魔人】と呼ばれる存在で、人間にとっては敵に当るのかな。君は魔人達に無限の魔力を与える【魔王まおう美酒びしゅ】即ち、【ビスケス】と呼ばれる力を持った存在なんだよ」


 長々と言葉続けるスルドを見つめる隆之の視線は冷たかった。


(近頃の子供には妄想と現実の区別がつかなくなる症状を持つ子がいるって聞いていたけど、実際に目の前にしたら結構な社会問題としか思えないよな)


 隆之は沈黙したままだが、少女の荒唐こうとう無稽むけいな物言いに呆れるどころか軽い憐憫れんびんすら覚えた。

 隆之が小さくフンと鼻を鳴らすと、スルドはゆっくりと右腕を挙げて、てのひらを隆之にかざした。

 突然、隆之は額に強い衝撃を受けてベッドに倒れこむ。

 鈍器で思い切り殴られたかのような痛みに耐え切れず、彼は無様ぶざまに大声で叫んだ。

 額が割れ、血がなく溢れる。激痛に混濁する意識ではスルドが自分に何をしたのかさえ分からなった。


「警告だよ、【魔王ビス美酒ケス】……一度だけは許してあげるけど、二度目は無いからね。これだけは覚えて置いてね。君は僕に生かされているに過ぎない。所詮しょせん下賎げせんな人間の君が調子に乗っているのって、あまり気分の良い物では無いからね。金輪際こんりんざい、僕のことを子供扱いするのは禁止なんだからね!」


 スルドは自分よりも年下の子どもを諭すかのように優しく話しかける。


「良い子なら大人しくしているのが賢明だよ。僕の言うことを聞いていれば、必要な情報を手に入れることが出来るんだから。君の魔力は感情に左右されて、とても分かりやすいんだ。君の考えていることも手に取るように分かるよ」


 隆之は額から流れて来る血が眼に入り込み、目を開けることが出来ない。米神こめかみの辺りが激しく脈打っているのが彼には分かった。


折角せっかくの機会だし、丁度良いね。さっきの続きだけど、君が持った【魔王まおう美酒びしゅ】である【ビスケス】とは今、君自身が流している血のことを指している。君の血は魔人達に絶大な魔力を提供してくれる最上の美酒なんだよ。数滴で並の人間の数万以上の魔力を与えるその血にこそ我らが王の寵愛ちょうあいを受ける証さ。勿体無いないから、治してあげるね」


 スルドが先程と同様に隆之の前に手をかざすと、彼はまた危害を加えられるのではないかと怯え、身をすくませた。しかし、何時いつまでも衝撃は来ない。

 彼の身体が青白い光に包まれると、額から伝わる痛みが消え、傷は跡形も無く消えていった。そして、寝具に飛び散っていた彼の血がうごめきだして一つにまとまっていく。

 その異様な光景に隆之の脳は混乱を極めた。

 彼の血の塊がスルドのてのひらに収まっていく。

 ビー玉くらいの大きさの球体となった隆之の血をスルドが右手の親指と人差し指でつまんで口元に運び、嚥下えんかした。


「素晴らしい……まさに【魔王まおう美酒びしゅ】と呼ぶに相応しい純粋な魔力の結晶だね。今生の【魔王ビス美酒ケス】は歴代の中でも指折りだよ。同胞の血を全く浴びていないのに爵位十一位相当の魔人と同等の魔力が込められているよ」


 スルドはとろけそうな味覚に感嘆かんたんの声を挙げた。


(吸血鬼? 俺の血を飲む? 旨いのか? 魔力って……何だよ?)


 隆之が理解するには常軌じょうきを逸したスルドの行動に、隆之自身は狐につままれたような顔をする。今しがた自分をさいなんでいた激痛が綺麗に無くなったことに恐怖すら覚えた。


「貴女は……俺をどうするつもりなんですか……」


 隆之は彼のあるだけの勇気を振り絞って、少女の姿をした化物に質問を行う。その声は弱々しく、震えている。

 どれほど理性で否定しようが、生物としての本能が彼にスルドに逆らうことの愚かしさを告げていた。

 何の武器も持たない二足歩行の猿に過ぎない彼には絶対的な捕食者にしか彼女は見えなかった。


「必要以上に恐れる必要はないよ、【魔王ビス美酒ケス】。君を殺そうなんて思ってないからさ。ちょっと、お仕置きをしただけだしね」


 スルドは隆之が震えているのを見て、優しく答えた。それにも関らず、隆之の焦点が落ち着かないことに対して苦笑しながらも彼女は続けた。


「あのね、僕は仲間に【宝探し】をさせて遊びたいだけなんだよ。【魔王まおう美酒びしゅ】と呼ばれる君を誰が最初に見つけて飼うことになるのかを考えたら、とてもワクワクするんだよ。千年ぶりに我らを統べる真の王が誕生するのか、しないのか。君が誰にも見つかることも無く、天寿を全うするのか。今まで、こんな馬鹿げたことをした魔人は存在しないし、考えた子もいないだろうね。まあ、少なくとも主催者の僕は高みの見物さ」


「宝探しですか? 」


「そう、【宝探し】。君を着の身着のままで放り出す気も無いから安心してよ。お金もある程度出してあげるから生活に困ることも無いし、人間の領土で好きに過ごしていたら良いよ。頑張って、見つからないようにするんだね。僕は此処(ここ)で君がどうなるかを見せて貰うよ。至極の娯楽としてね」


 隆之に饒舌(じょうぜつ)に語るスルドはあどけなさを残すも子供特有の残酷さを秘めている。その彼女の無邪気な笑みは昆虫の脚や触覚を一本ずつむしって喜んでいるあの残酷なものだった。

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