24.彼女の一言

 突然のリリシェラの言葉に、俺は驚き、言葉が出なかった。

 王都に行く、それはつまり、この街を離れるということ。彼女が俺の側から居なくなるという事実。それを正常に理解するまでかなりの時間を要した。


 前世から「理紗」として常に近くに居て、この世界でも「リリシェラ」として側に居てくれた最も身近な存在。俺は支えているつもりで支えられ彼女が近くに居る事に甘えていたのだと、今更になって気付いた。

 自分でもここまで衝撃を受け、動揺するなどとは思って居なかった。

 エミララはこの事を知っていたから、わざわざ二人の時間を作るために先に帰ったのだろう。


「それは……」

 言葉がうまく出ない。二度と会えなくなるという訳ではないと分かっているのに。自分の頭を二度ほど拳骨で殴るが、動揺は治まらない。


「学舎の卒業まではまだあるけど……。国立のシーノア学園に通わせることに決めた、って昨日の夜、両親に言われたの。期間は四年間」

 俺は思わず「嫌だ」と言いそうになった。

 だが、違う、そうじゃない。何よりも大事な存在である彼女の幸せのためなら、より良い未来の為、俺は喜んでやるべきなんじゃないのか?

 震える手を誤魔化しながら、リリシェラの頭を撫でる。俺の動揺は気付かれていないだろうか。

「リリシェラの人生の為には、良い教育を受けることが必要だ。それは、当たり前の事だと前世の経験から知っているはずだろ……」

 その言葉はリリシェラに言ったのか、俺自身を納得させる為に言ったのか。

 リリシェラは黙ってうつむき、涙が頬を伝った。俺にはその涙の意味が「悲しいから」なのか「寂しいから」なのかさえも理解できていない。


『お兄ちゃんも……』


 伸ばした手が宙を彷徨さまよい、リリシェラは言いかけた言葉を止めた。

 俺と話していて感情的になると、思わず日本語が口を突いて出るのは、リリシェラとして生を受けた幼い頃から変わらない。思わずハッとした。

「ん?」

「……ううん、何でもない」

 力無くそう言った彼女。問うてみたが聞くまでも無い。俺に一緒に来いという事だろう。

 だったら俺が言うべき言葉は何か。「行くな」ではなく「俺も行く!」と、そう言えばいいだけだ。

 無責任な言葉だと分かってはいる。学費が払えるかどうかも分からない。帰ったら親を説得しなくちゃいけないし、それが簡単ではないだろう事も分かる。約束したところで果たされる保障もない。

 それでもこの大事な存在を放っておけない……。いや、大事って?

 

 それは妹として?

 幼馴染として?

 恋慕の対象として?


 ……あれ?

 自分でも分からなくなっていた。慌てて思考が追いついていないだけだ、と自分に言い聞かせる。

 今は自分の感情よりも……。

 泣きながら歩き始めたリリシェラの肩を掴む。

「俺も一緒に行けるように親に頼んでみる!」

「……え?」

 泣き顔だったリリシェラの表情が一転、驚きと何かがごちゃ混ぜになったようなものに変わった。 

「で……でも、ミューリナちゃんは……?」

「大丈夫!」

 言っていて、自分で何が「大丈夫」なのか分からない。もし俺が家から出て行くと知ったら、暗黒ミューリナになるのは間違いないが。

「あとは親の懐次第だが……足らなきゃ向こうでバイトでもするさ」

 無計画にも程があると、自分でも分かっている。苦笑いを浮かべた瞬間だった。


 突然、リリシェラが飛びついてきた。

「ありがと」

 両腕でしっかりと抱きつき、彼女の涙が俺の頬を濡らす。今、彼女はどんな顔をしているんだろうかと、気になる。……が、それよりも気になる事がある。

 それは周囲の視線。


 十歳そこそこの男女が道端で抱き合っているため「あらあらまーまー」的な視線がそこかしこから飛んできている。

『ちょっと落ち着け。周りの視線が……』

 囁くような小さな声で言い聞かせると、背中をポンポンと優しく叩く。

『うん……』

 小さく答えると、彼女も自身を落ち着かせるためか、大きく息を吸って吐いた。

 離れることが何となく名残惜しいような気もするが、仕方ない。彼女の頭を撫でて、自身のもやもやした気持ちを誤魔化したのだが。


『お兄ちゃん……大好き』


 そう小さく漏らしてから、リリシェラは俺から離れ、歩き出した。

 彼女の一言に戸惑う俺を残して。

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