ヴァンパイア刑事による捜査はどのようにして行われるのか


「お疲れ様です、巡査」


 事件現場、惨殺された男性の死体を見下ろしている壮年の警官に向かって、須藤が会釈した。


「須藤君か。上司の九十九刑事はどうした?」

「日陰で休んでいます」

「相変わらずだな」


 と、巡査は伸びた不精ひげを撫でながら、死体発見の経緯を話し始める。

 死体を発見したのはこの廃ビルの管理人。廃ビルの敷地はフェンスで囲われているが、数年前に酔っ払いが体当たりして穴を開けてしまったため、侵入は容易。浮浪者が中に住み着いたこともあって管理人が見回りをするようになった。今朝のみまわりの途中、階段で息絶えている被害者を見つけ、通報。現場からは刃物等の凶器はまだ見つかっていない。ということだった。


「見回りは毎日の日課だそうだから、事件は昨夜のうちに起きたことになる」

「それは好都合ですね」


 須藤と巡査の会話の合間に、凛としたアルトボイスが割って入った。須藤の到着から少し遅れて、九十九刑事のお出ましだ。

 

「事件は鮮度が命ですからね。なにせ死体は新鮮な方がおいし・・・――」


 美味しい、と言いかけた彼女だったが、須藤の渾身のチョップの餌食になった。そのまま彼女は手を引かれて、一つ下の踊り場に連れて行かれる。


(叩くことないじゃん! 死体は新鮮な方が情報が多いって言いたかったの! ちょっと言い間違えただけじゃん! それに新鮮な方が血は美味しいのは事実だし)

(ちょっとじゃないです! あのまま言い切っていたら、カニバリズム趣味があるみたいになってましたからね! 捜査の様子を知られたくないって言ったのは、九十九さんでしょうが!)


 そんなに怒らなくたって――と彼女は膨れっ面をする。が、須藤の言うとおり、あまり捜査をするところを見られてしまうとばつが悪いのは事実だ。

 というのは彼女の捜査方法が、一風変わった物であるからだ。



「九十九さん、持ってきました」

 

 しばらくして、須藤がバイアルに入れた被害者の血液を持って降りてきた。その色は、現場にこびりついていたり、死体の傷口の周りについていたりする血とは違い、鮮やかな朱色をしている。

 ついさっきまで、被害者の体内を巡っていたかのような鮮血だ。


「おおー。薬剤を注入して液状化させているとはいえ、ここまでの新鮮さは久しぶりねえ。死後七時間程度かしら」


 彼女はバイアルに入った死体の血を、小ぶりのワイングラスに移し替えた。その量は僅か三十ミリリットルほどで、グラスの底から数センチを紅く染める程度。


「で、これだけ?」

「あんまり血を採取していると何に使うのか怪しまれますからね」

「まあ、いいわ。血の量と情報量が比例するとも限らないし――」


 グラスに入った血を日光に翳してみたり、グラスを揺らして匂いを嗅いでみたり。本物のワインを嗜むような素振りをしてから、静かに、目を瞑る。


「では、いただきます」


 彼女は一思いに血を飲み干した。甘さ、鉄臭さ、苦み、えぐ味、鼻を抜けてくる匂い、喉越し、その全てに神経を尖らせる。

 そして感じる、シナプスを駆け巡り、溢れる情報。――死者の記憶が 


「見えた!」


 視界に重なるようにして現れたのは、近くの飲食店の勝手口が並ぶ裏通り。でも建物の輪郭がぐちゃぐちゃで、二重に見えている。それに、血の味が、むせ返るほどに酒臭い。

 被害者は襲われた当初、大量のアルコールを摂取していた。――これは、情報量に期待はできそうにない。

 とにかく、血の味から得られた情報が、消えてしまう前に。


 彼女は、見えた景色を追い求めて走り出した。


「九十九さん、見えましたか!? 犯人が!?」

「いいえ、今回は無理! あの被害者、泥酔していたのよ!」


 彼女は、人の血の味わうことで、その人の記憶を辿ることができる。それが、彼女がヴァンパイアである故に持っている能力、『利き血』。


「ああ、もう! このへべれけ! 建物はぐにゃぐにゃだし! 視野が狭すぎる! あと単純にこの血、不味い!」


 それを使っていくつもの難事件を解決してきたけれど、この能力がそこまで万能ではないこともウンザリするほど分かっていた。今回みたいに、死の直前まで泥酔していたり、あるいは、死体の腐敗が激しかったりすると、まるで何も得られないことだってある。


「寿司屋の勝手口、小さな飲み屋の並ぶ小路……」


 それでも何とか見えるものだけを頼りに、その景色を探す。

 そして、七分ほど走ったところ、付近の飲食店からのゴミが寄せ集められたゴミ捨て場で彼女は、足を止めた。


「九十九さん……。どうか、しましたか……?」


 須藤が荒くなった息を整えながら、彼女の隣に並んだ。

 周囲には生ごみが腐った酸っぱい臭いがたちこめている。ゴミは堆く積まれ、ひっくり返ったゴキブリや、吐瀉物の跡まであった。


 被害者の記憶から遡れたのはここまでだった。

 だが、霞に塗れた記憶の中で、くっきりと見えるものが一つだけあった。同時に被害者が感じたすさまじい恐怖も。

 あのとき、ここで被害者が見たものは――


「須藤君、今から死体が増える・・・わよ」

「へ? どういうことですか?」


 須藤が間抜けな声で聞き返す。

 九十九は質問には答えずに目の前のゴミの山を崩し始めた。須藤も手伝って、生ごみがぱんぱんに詰まったゴミ袋を五袋ほどどかしたところで、うつ伏せになった男の遺体が現れた。服がはだけていて露出した右肩に、口紅の跡と赤黒い血の滲んだ噛み跡があった。


「あの被害者は、この男が襲われているところを目撃したのね。死体を見た恐怖のせいか、酔っていたせいか知らないけれど、そこにある吐瀉物、あの被害者が吐いたものね。で、気づかれて逃走したけれど廃ビルのところで追いつかれ、殺された……」


 彼女は悔しそうに口を歪め、拳を握りしめる。

 噛み跡から考えて、少なくとも、この男を襲ったのは紛れもなくヴァンパイア。この牙月区では、ヴァンパイアによる犯罪が後を絶たない。


「またヴァンパイアが人間を殺した! このひと月だけで十七人もヴァンパイアに殺されているわ!」


 ヴァンパイアは血を求めて人を襲う。それ故に、人間とヴァンパイアは、疎み合っていた。それを変えてくれるのがこの街だと夢見ていたのが、現実は日本でも有数の治安の悪い犯罪都市という情けなさ。

 彼女はそれが悔しくて、悔しくて、歯を喰いしばる。――けれど起きてしまった事件に憤りをぶつけても誰も救われない。そう思いなおして、死体の身元を確認しようとゴミに埋もれていた死体をひっくり返した。

 第二の被害者の顔が露わになった瞬間、彼女は思わず目を疑った。その男の口から、明らかに人間のものではない長く鋭い牙が覗いていたからだ。


「何でこいつが、ヴァンパイアなんだ……?」


 ヴァンパイアが同族同士で吸血行為を行うなど聞いたことがないからだ。

 それに、そんなことをすれば、ヴァンパイアは、体内にある特殊な抗体によって重篤なアレルギーを発症してしまう。


 ヴァンパイアの生態研究に身を置いていたこともあった彼女は、その事実を知っていた。だから、目の前で起きている事態に理解が追い付かなかった。

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