a20 咥えゴム



「あ~、いいお湯だったぁ~」


 短い髪をタオルで拭きながら雫は、百色と自室に入った。雫の部屋……、女の子らしい桃色に囲まれた部屋だ。


「……二人っきりだね……」


 思わせぶりなことを言ってきたので顔が引きつる。


「鍵……かけないの?」

「……ここは涙さんの部屋だと思ったけど?」

「そうだよ」

「じゃあ、なんでぼくが掛けなくちゃいけないの?」

「女の子に……鍵を掛けさせる気……?」


 俯いたまま部屋の奥へと歩く雫が、ボールを蹴るように片足を上げるとベッドに腰を下ろした。桃色の……、今年の三月まではシオリも同じ色にしていた女子ベッドのシーツ。


「ここに……付いてたんだよね」


 ベッドの中心より、やや下あたりの部分を指差して言う。いやな予感がするので百色は黙っていた。百色の浮かない暗い様子を窺い見る雫は、首を傾げて訊いてくる。


「……何が?って訊かないの?」

「……」

「……弟のベッドのシーツに赤い血がついてたの……」


 ああ、やっぱりそうだよね。と百色は思う。壁の向こうにある、雫の弟である流の部屋。


「ママが慌てちゃってさ。パパに言っちゃって……」


 この家では両親の事をパパ、ママと呼ぶのか……。


「……バカにしたでしょ?」


 ただ黙っているだけなのに、百色の心が分かるとは中々カンの鋭い女の子である。


「洗濯物ぜんぶママにやらせてれば、そりゃ分かるよね? 流もばかでさ。わたしに泣きついてきて。おねぇちゃんがヤッタことにしてくれ!って。冗談じゃないわよ。学校から帰ったらヒロちゃんの靴があって、よく遊びに来るなぁって思ってたらアレだもん! ヒロちゃん、そんなに流のこと好きだったのかな?」


 気付かなかった。そんなことが言いたいらしい。


「どっちかって言うと流くんのほうがヒロコちゃんのことを好きだったんじゃない?」

「やっぱりっ? わたしもそう思うんだ。で! 迫られて、なし崩し的に体を許したのっ!」


 言って、人差し指を一本立てて、謎は全て解けたようなご満悦な顔をしている。

 ……なんだ、この昼のメロドラマ。

 百色は俯いた。


「だって、そうでも考えなきゃ同級生の男となんて……」


 同級生の女子からよく聞く、同級生の男子は子供っぽい、という辛辣な感想。


「ぼくも……その同級生の男子ひとりだと思うんだけど……」

「他人のモノは盗りたくなるんだよね。女の子は」

「ぼくは誰のモノ?」

「いまは……わたしのモノ」


 雫が枕の裏に隠してあった箱を取り出した。筆箱より一回り小さい長方形の箱だ。真っ黒なツヤのない表紙に、金色の文字があしらってある。

 よくこんなモノを選んだな……、と百色は心底、感心した。


 それを余所に雫は、ツヤの無い黒い箱をガサゴソと開け、箱の中から取り出した連なった個包装をミシン目に沿って一つだけ千切ると残りを戻す。


「……これ……流のおススメ……。水に流せるタイプだって」


 一つだけ手に取った正方形の個包装のビニールを百色に見せる。泉家の部屋でもイヤというほど見た、内部の丸い輪郭が浮き出ている赤色の個包装の製品だ。


「水に流せるタイプなんて……そんなのあるの?」


 素朴な疑問を感じたので訊いてしまった。たしかコレらの類はトイレなどに流すと詰まるから禁止だと取り扱い説明書には書かれてあったような気がする。


「あるみたいだよ。新発売だって言ってたから、わたしにもよくわかんない」


 そんな、よくわかんないモノを男に見せないでほしい。百色は目を逸らしながら、周囲の様子を見る。白とピンクを基調とした家具にピンク色のカーテン。動物のぬいぐるみもチラホラある。こんな女子の部屋で二人きりでいる心の窮雄。

 居心地が悪くなって、また目を雫に戻すと、雫は持っていた真紅色の個包装の端を口元に持っていく。

 風呂上がりなのに、なぜかまだセーラー服を着て白い靴下まで履いてベッドの枕元で両膝を折り曲げて座っている少女の雫が、とうとう真紅色の正方形を口に咥えた。

 物欲しそうな顔で口に咥えた真紅色の個包装が、早く目の前の少女おんなをその男の体で喰ってしまえと脅迫している。


「どう? これって、やっぱり男の子には興奮するほどのモノ?」


 咥えたまま、乾ききってない髪を何度も後ろで束ねようとするが、短い髪の毛はやはり手から零れ落ちて永久運動を繰り返している。

 その間も、制服姿の雫の唇がプラプラと男子に被せる為のモノを揺らしている。百色に被せて雫に剥ける為の物騒な物を、女の雫が弄んでいる。

 セーラー服。風呂上がり。濡れた髪と誘う視線。覗く首筋。ユラユラと動く足。見える白い下着と、その奥を暴く為に用意された少女が口に咥えているモノ……。


 未開封の避妊具コンドーム


「……それ、やめた方がいいよ。襲われても文句言えないよ」


 これをやったのが幼馴染のシオリだったら百色は間違いなく咥えている物を取り上げただろう。


「ふーん? 女の子がここまでしてるのに、何もしないんだ。七紀くん」


 ゴムをしてまで襲ってほしいのに、ゴムを咥える女子達の望みは叶えられないのか。


「じゃあ、しょうがないなぁっ」


 咥えていたビニールの包装を破こうと考えていた思考を捨てて、あっさりとベッドから飛び上がると立ち上がる。立った雫はファスナーに手を掛けると、そのままスカートを脱いで下のカーペットに落とした。


「な……、涙さんっ」

「着替えるから……見ててよ」


 上のセーラー服も脱いで、今の雫は下着姿になっている。


「……やっぱり、このまま寝ちゃおっかな。いいよね? 七紀君」


 背中を見せて、顔だけ振り向けてきた雫が訊ねてくる。


「ぼくの寝る場所がないんだけど……」


 そんなの、と言って雫は子供に似つかわしくない下着姿のままベッドに潜り込んだ。


「一緒に、このベッドで寝るの」


 泣きボクロの肌色と下着の生地が、羽毛を上げた。



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