翡翠の瞳が見た未来

ななくさつゆり

第1話【種子。遺せるもの】

 ——このほしの未来に遺せるものとは、果たして何だろう。


 ひとつの文明が、終焉を迎えようとしている。

 この世界に昨日まであったはずの文明は、風に巻かれる砂のようにして、一晩で消えた。行く先の果てまで瓦礫と土が散らばる地べたで、青白い空の下、乾いた風が、荒れた大地にそよいでいる。

 その地をひとり、少女が歩いていた。

 その少女は、透き通るような白い素肌に、薄い紫色の艶やかな髪を長く伸ばしていた。翡翠色の瞳が視線の先の朽ちた建築物を捉える。

「ウォルフガン。いる?」

 あてもなく前に声を放った先から、ひとりの男が顔出した。彼もまた、薄紫色の髪に翡翠色の瞳で、穏やかな笑みを浮かべて彼女を迎える。

「おかえり。ミソラ」

「ただいま。もう、ご覧の有り様よ」

 彼女が手で指し示した先は、土と岩と空と、感じられる風しかない。男はその様相を改めて見据え、目を細める。

「ウォルフガン。この世界にはなにもないわ。……なくなってしまった。国も街も、そこに生きたひとたちも。もうこの地上にあるのは、果てた無機物と私とあなたと……」

 ウォルフガンという青年は、仕方がないと言いたげにささやかに笑みを浮かべ、さらりと、

「そうだな」

 とだけ言って軒先に出た。

「だが、まだ希望もある」

 彼女はすがるように頷く。青空に夕の色が交じり始める時分だった。

 彼女は、朽ちた白亜に手を触れ、てのひらに冷たく触れる感触をかみしめる。

「未来に、この家くらいは残るかしら」

 それを聞いた男は、「さぁ。どうだろうな」と肩を竦める。

「——あの子たちは?」

「……大丈夫だ」

 ミソラは安堵して「そう」と述べ、かすかにほほ笑んだ。

「私たちの力で、守れたのはこの家だけ。それでも限界よ。力を消耗しすぎてしまって、今すぐにでも眠りたい……」

 建物の奥へと重たい足取りで進んでいく彼女を、ウォルフガンは心配そうな表情で見守っている。

「そんな顔、しないで」

 ウォルフガンとミソラは、長らくこの地を守ってきた。常に共に在り、この日まで歩んできた二人だった。

「君が眠るのならば、僕は守り人となろう。だが、君が眠ってしまえば、次に会えるのは何百年後か……」

「ほんの一眠りよ。私たちにとって、人の尺度の時の数なんて、幾百積み重なろうと泡沫の夢に過ぎないわ」

 だが、いっときの別れを惜しむ気持ちも当然ある。

「ミソラ」

「なに?」

「君は、人間を信じたのだな?」

「……このほしに来たときから、そう決めているわ」

「僕も、かれらを信じている。果てた地にわずか残されたいのちに願いをかけて、いつしか繁栄を……」

 新しい世界に、と彼は結んだ。ミソラは一旦歩みを止め、つぶやく。

「もう行って。別れの悲しさまで背負うつもりはないわ。思い出もここに捨てていく。さようなら、ウォルフガン」

 絞り出したような声。

「思い出は捨てられないよ。決してその身から剥がれない」

 彼もまたやんわりと述べ、さらに続けた。

「それが命のさがだ。我々だろうと、人間だろうと、時と共に積み上げられる何かがあるのなら、それは記憶だと僕は思う」

「そんなあなただから、私はあなたと共に在りたいと思ったのね」

 最期、ミソラがウォルフガンに見せた笑顔は、とても穏やかだった。

「ウォルフガン。……じゃあ、またね」

 そう言い残し、彼女は閉じられていく扉の奥へと消えた。

 それから彼は、扉の前に腰を下ろした。ここで彼は、いつ来るとも知れない彼女の目覚めの日まで、佇み続けなければならない。

「君を待つよ。何年でも」

 それは自らに言い含めるように。

「たとえ何年経とうと、いくつ年を重ねようとも。僕は君の領域を守り、君の眠りを妨げることのないよう、そばで佇み続けよう。残された彼らが、いずれ世にはばたくことを願いながら」

 どこまでも高く、吸い込まれそうな空を見上げ、ウォルフガンは言う。

「君がまたいつか、目覚めるときまで」

 その間、彼女が安らかであることを祈りながら。

「おやすみ。ミソラ」

 そうして、この文明は閉じられた。

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