王国を救う種を託されたが、俺には荷が重すぎる

奏 舞音

王国を救う種を託されたが、俺には荷が重すぎる


 眼下には、深く澄んだ青。

 時々陽の光を浴びて、その色を変える。

 美しい。

 ――俺も、あそこへ行けば、きれいになれるだろうか。

 絶壁の淵に立ち、崖下の遠い海を見つめて、アランは足を一歩前に踏み出した。

 そこには地面などなく、身体は空をきり、ただ落ちていくのみ。


「……ぐっ! これでもダメか」

 

 普通なら助からないゴツゴツとした岩場に落ちて、五体満足でアランは溜息を吐いた。

 アランは、死に場所を探していた――愛しい人に「死ね」と言われたから。

 しかし、アランはただの人間ではなかった。簡単には死ねないのだ。


「だれか、そこにいるのか……?」


 しばらく茫然としていると、岩場の奥からかすれたような声がした。

 アランが声のする方へ近づくと、そこには老人が倒れていた。


「大丈夫ですか?」

「……わしはもう、無理だ」

 老人はしわくちゃの顔を悔し気に歪めて、アランに手を伸ばす。

 思わずその手を取ると、何かの袋を握らされた。

「これは、希望の種だ。わしが半生をかけて作り出せたのは、ようよう三つ。この種を、国中に広めてくれ……頼む」

 命を懸けた頼みであることはすぐに分かった。

 しかし、会ったばかりの、しかもこれから死に場所を探す自分には、荷が重すぎる。

「お主も知らぬ訳ではないだろう。魔王が生まれた瞬間にこの国を脅かした瘴気で死に耐える人々を……これは、その瘴気に犯された人々を救う、特効薬になるはずだ」

「魔王の瘴気に犯された人々を、治すことができると?」

 にわかには信じられない。しかしもし、それが事実なら。


 魔王の瘴気に犯された、灰色の王国ゲルマイン。

 王族や貴族は城を捨て、他国へ逃げた。行く当てのない庶民たちは、逃げることもできずに、灰色に染まった国に生きている。

 しかし、ただの人間が魔王の瘴気を浴び続けたらどうなるのか。

 答えは決まっている。病のように身体を蝕み、いずれ死に至る。

 アランは一つだけ、老人に確かめる。


「この種で、魔王を殺すことはできないのか?」


 老人は静かに首を横に振った。

「わしの研究はそこまで届かなかった。魔王の瘴気は、人々の弱った心を喰って力を持つ。心を強く持つことが、何よりも大切だ……だから、頼む。お主は、勇者一行の仲間だろう?」

 そう言って、老人は体力の限界だったのか意識を失った。

「俺はもう、勇者のパーティを追い出されたのにな」

 アランは自身の鎧に刻まれた、勇者の紋章を隠すように覆った。

 

  ◆


 ゲルマイン王国の民を救う、希望の種。

 この種を育てるにあたり、アランは老人から三つの注意を受けた。

 

 一つ、太陽の光をたっぷり浴びせること。

 二つ、明るい言葉をかけ続けること。

 そして最後に、絶対に諦めないこと。

 

 成功すれば、美しい黄金色の花を咲かせるという。

 そして、その花粉に瘴気を薄める効果がある。

 一つの花で採れる種は、最大三つ。

 国中に広めるためにはとにかく、花を咲かせる必要がある。

「一つ目は問題ないが、二つ目の明るい言葉なんて」

 託されたのは、三つの種。

 それも、老人が半生をかけて作り出した、希望。

 希望とは反対の位置にいるアランにとっては、かなりの難題だった。

 崖下にあった老人の家から、アランはどうしたものかと頭を悩ませながらとりあえず近くの町へ向かう。

 この辺りはゲルマイン王国の外れで、瘴気は薄い。

 町に入ると、珍しく賑わっていた。

 何かと思えば、結婚式が行われている。

「おめでとう~っ!」

 人々が二人の男女を囲んで祝っていた。この時だけは皆、魔王のことなど忘れている。

(……そうか。別に俺が直接育てなくてもいいんじゃないか)

 老人に頼まれたのは、この種を広めること。

 幸せいっぱいの新郎新婦ならば、明るい言葉でこの種を育ててくれるだろう。

 アランは参列者の一人に声をかけた。

「是非、俺も結婚の祝いに、花の種を贈りたいのだが」

「あぁ、それはいい。きっと喜ぶよ」

 にこにこと酔っぱらう男は、新婦の父親だった。友人たちに囲まれていた新婦を連れてきて話してくれる。

「まあ、ありがとうございます。何の花なのですか?」

 新婦は、アランが差し出した黒い種を不思議そうに見つめる。

「多くの人々を救う、希望の花です」

「ふふ、ロマンチストね。でも、どんな花が咲くのか楽しみだわ」

「あなた方が幸せであれば、きっと美しい花が咲くでしょう」

「ありがとう」

 幸せいっぱいの花開くような笑顔。

 きっと、この人なら花を咲かせてくれるだろう。

 アランの重かった心は、少しだけ軽くなる。


 そうしてアランは、一つの種を託す。


 ここは、外れの街だ。

 希望の種を今最も必要としているのは、王城がある王都。

 そして、そこは魔王が生まれたとされる場所でもある。


「あいつらも、王都に辿り着いた頃か」


 思い出すのは、魔王を倒すことを使命として立ち上がった勇者と騎士、そして聖なる力を持つ巫女姫。

 空は暗雲に覆われ、眼に見える形で黒い瘴気が漂っている。

 しかし、きらめく道もまた見える。

 聖なる力ーー愛する人の、足跡。


「希望の種を託すべきは、勇者と巫女姫だろう」


 未練がましく追ってきたと思われたくはない。

 しかし、人選は間違っていないだろう。

 彼から世界を救うために、姿を現さない魔王を倒そうとしているのだから。


 当然、王都に賑わいはない。人も出歩いていない。瘴気を吸わないためだ。

 そんな中で、十歳くらいの少女が泣いていた。

「どうした、どこか怪我でもしたのか?」

「おかあさんが、しんだの」

「……瘴気のせいか?」

 少女は頷いた。

「辛いな。おもいきり泣いていい」

 アランはその小さな体を抱きしめた。


 ◆


 希望の種をアランが託されて、一年が経った。老人のもとへ王都で出会った少女ララを連れて戻った。

 しかし、老人はいなかった。亡くなったのだと、通いで世話をしていた人が教えてくれた。

 アランは、ララを一人にはできず、ともに老人の家で過ごしていた。

 ララは母の死を乗り越え、よく笑い、よく喋る明るい娘だった。

 だから、アランはララに希望の種を託すことにした。

「きっと、ララなら花を咲かせられる」

「……この花が咲いたら、お母さんみたいに死ぬ人もいなくなって、みんな自由に外に出られるんだよね?」

「ああ」

「アランも、救われる?」

 穢れのないきれいな瞳だった。

 少しの間を置いて、アランはにこりと笑みを返す。


 毎日のように、ララは太陽の下、鉢植にアランとの他愛のない話をして、楽しそうに笑う。

 ちょこんと種が芽を出した時には、それはもう飛んで喜んだ。

 やはりララに希望を託して良かった。


 平和な日常に、死ぬことを忘れそうになる。

 残る種は、あとひとつ。

 今度こそ、勇者一行に託して、自分はこの世界から消えなければならないのだ。


 それを思い出したのは、突然、眩しくあたたかな光が降り注いだ時。


「アラン、あなたが魔王だったのね……」


 愛した人が、勇者と騎士を従えてそこにいた。


「やっと、気づいたんだな」


 アランの声は淡々としていた。

 王都で足跡を見つけた時から分かっていた。


「お前を殺せば、国は救われる! そうだな?」


 勇者が剣をかまえた。騎士もならう。

 ともに旅をしたのは数ヶ月。

 気に食わないという理由で追い出したのは、勇者だ。

 セイラは、魔王さえ死ねば平和な世界で幸せになれるのに、と泣いていた。


「俺の本体を殺すこともできずに、ここに来たお前が俺を殺せるのか?」


 アランの声に反発するように、勇者が攻撃を仕掛けてくる。


 ――終わらせてくれるなら、早くしてくれ。


 魔王が生まれ、国中は瘴気に覆われた。

 身のうちに収まりきらない魔力が瘴気として溢れ出したのだ。本人の意思とは関係なく。

 人々は魔王と恐れ、聖職者と特別な力を持つ者たちを集めて王城の地下に閉じ込めた。

 しかし、身体を縛り付けることはできても、そんなことで魔王の魔力を抑え込むことはできなかった。

 アランは、魔王の分身の一人。

 魔王は外の世界を求めて、分身を放っていた。

 勇者一行は、瘴気を拡散させる原因――本体よりも力が劣る分身と戦い続けていたのだ。


「やめてっ! アランを傷つけないで!」


 抵抗もしないアランの前に飛び出し庇ったのは、ララだった。


「その男は魔王の分身だ! それも、最後の一体だ。こいつを殺せば、魔王の力は弱まるはずなんだ」


「魔王だとしても! アランは希望の種で、みんなを助けようとしてくれてるの! ほら見て、もう少しで花が咲く。アランがいてくれたからだよ!」


 剣を構えた勇者相手に、ララは臆することなく叫ぶ。

 掲げた鉢植えには、希望の花がつぼみを膨らませている。

 

「ねぇ、アラン。これが瘴気を抑える花なら、アランにとっては毒でしょう? どうして、捨ててしまわなかったの?」


 振り返り、ララが涙目でアランを見つめる。


「……みんなが俺の――魔王の死を望んでいるから。これで死ねると思ったから」


 死のうとしても死ねない身体だった。

 きっと、アランは魔王の分身としては失敗作だ。

 瘴気に侵されたこの国を救いたいと思っているのだから。


「私はアランが大好き! だから、死ぬなんて言わないで。私が、アランの希望になるから!」


 セイラを愛したのは、その聖なる力でアランの瘴気を浄化して、殺してくれるのではないかと思っていたからだった。


 しかし今、ララに真っ直ぐな好意を向けられて、アランは気づいた。

 セイラに抱いたものは、愛ではなかったと。


 ララの涙の雫が、ぽとりとつぼみに落ちた。

 その瞬間、見たこともないほどに美しい、黄金に輝く花が開いた。

 風が、黄金の花粉を運んでいく。


「俺は、魔王が捨てた”良心”だ。俺が消えればいいと思っていたが、きっと違う……俺が、救いになりたかったんだ」


 ずっと靄がかかっていた心に、晴れやかな日差しがさす。


「ありがとう、ララ」


 アランは、ララを抱きしめた。

 

 そして。


「この花は、国を救う希望の花だ。お前たちも、仮にも勇者なら、咲かせてみせろ」


 アランは勇者一行に、最後のひとつを託す。


 きっと、国中に希望の花は咲く。

 そして、魔王さえも救われる、優しい物語が始まるのだ。

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王国を救う種を託されたが、俺には荷が重すぎる 奏 舞音 @kanade_maine

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