金の生る木
椎慕 渦
金の生る木
親愛なる君へ
メール宛先に君の名前を入れたのは、これを目にする最初の人間になる可能性が最も高いのが、君だからだ。そして私の身に起こったこの奇妙な出来事を伝えるにふさわしいと私が考えるのも、やはり君だからだ。迷惑かもしれないが、どうか最後まで読んでほしい。
あれは、1か月前の事だ。夕立上がりの蒸し暑い夕暮れ時、その日の日雇い仕事に気力体力を強奪された私は、冷えたビールと唐揚を求め、馴染みの居酒屋の暖簾をくぐった。いつもは混んでいる店内だが、その晩の客は私ともう一人しかいなかった。私はカウンターに陣取り、大将に注文を出したところで、彼の浮かない表情に気が付いた。私にビールを渡す時はいつもの愛想顔に戻っていたが、私の物腰に気づいたのだろう。小さく「いやね・・・」大将は顎でかすかにカウンターの端を示した。そこにもう一人の客の男が座っていた。
年は50くらい。中肉中背。薄汚れた作業着にところどころ穴の開いたジャージを羽織っている。汗と尿が入り混じったようなすえた匂いをまき散らし、垢の溜まった首筋をぼりぼりと掻いている。この居酒屋は決して敷居の高い高級店ではない。が、正直言ってその店にさえ憚りを余儀なくされてもおかしくない、いわばホームレス、浮浪者の風体を彼はしていた。
溶けた氷と焼酎がわずかに残るジョッキを握りしめ、傍らには焼鳥の肉片がこびりついた串が何本も散乱している。涎が糸を引く口を開き「ナカ頂戴~!」大将が感情を抑えた口調で話しかける。
「お客さん、もうそろそろ」「あぁ?どういう意味だ?でてけってか?」
目が座っている。
「他のお客さんの迷惑になりますんで」「客なんかいねえじゃねえか」
あなたのせいで入ってこないし帰っちゃうんですよ、と言わないところは
さすがの年季だ。店内がすいていた理由を私は理解した。
同時に面倒な場に居合わせているという事実も。
「シケた店だぜ、なあ?」彼は私に目を向けた。
「何だよ?」「あ、いや」「何見てんだよ!」
すかさず大将が男に伝票を差し出しジョッキに焼酎を注ぐ。
「サービスです。今日はこれで勘弁してください」「けっ」
男はジョッキをあおると「おめえらよぉ、俺をなめてんだろ、
素寒貧のルンペンだと思ってんだろ」一気に飲み干した。
「ところがどっこい、この俺様は」ジョッキをテーブルに叩きつける。
「” 金 の 生 る 木 ”を持ってんだよぉ!」
私と大将の表情は変わらない。おおかた競馬競輪で小金をせしめた。そんな所だろうから。だが「信じてねえな?」男はジャージのポケットを探り「見ろや!」中身をテーブルの上に出した時、今度は私と大将の顔色は変わった。
最初は”臓物”だと思った。形は人体図鑑で見る”腎臓”にそっくりで、
色は血液色。ぬめぬめした表面には白い網状の血管のような模様が浮き出ている。
男は割り箸を手にするとその”臓物”ぶすりと突き刺した。予想通り血と見分けがつかない液体がカウンターに広がり「おいあんた!」怒気を込めた大将の声も意に介さず男はその物体を箸と手でむしり始めた。周りには肉片と血液のようなものが散らばり、やがて男の手は小刻みに震えだした。最後に彼の手には血のような汁まみれの物体の”芯”が残った。桃の種に似ている。男はにったり笑った。
「金だ」血液色にまみれた種の一部が
「金だよ」黄金色の輝きを放つ。
「この木の実は、金なんだよ!」
「いいかげんにしろ!」大将が怒鳴った。「現金持ってないのか?警察呼ぶぞ!」
受話器を取ったその前に「私が払うよ」彼の伝票と一万円札を私は差し出した。
「いい人だぁ、あんた、いい人だぁ」回らない呂律を懸命に動かす男に、
困惑を隠しきれない大将はそれでもレジを打ち、お釣りを手渡してくれた。
”かかわりにならない方がいい”という眼差しと共に。
今思えば、大将のこの”無言の忠告”を私は聞くべきだったかもしれない。
だが君も知っての通り、日雇いの身に落ちる前、私は古物商をしていた。
その目利きが見てしまったのだ。彼の手のひらに踊っていたあれは24金、
まぎれもなく純度99%以上の”金”だという事を。
道すがら、時折しゃがみこんで嘔吐する彼を介抱しつつ、私は
”金の生る木”の話を聞きだした。彼は”仕事師”だったという。
何の仕事かは聞かなかった。ある日、かねてより噂されていた
”金の生る木”の所在を突き止めた。
そこは、山の手のとある富裕層のお屋敷だった。”だった”過去形だ。
今は誰もいない廃墟で、買い手もつかないままその無残な残骸を
風雨にさらしているのだという。彼は屋敷に侵入し、そこで見つけたのだ。
臓物のような果実がたわわに実る、”金の生る木”を。
彼は樹から果実をすべてもぎ取ると、屋敷に火を放った。
「空家で不審火」というニュースになったから君も知っているかも
しれない、あの事件だ。
もいだ果実を持ち帰ると、彼は鉢植えに土を満たし、
”金の生る木”の果実を埋めた。「何とか育ててやろうと思いやしてね」
彼の自宅、というか青シートとダンボールで作られた河原の掘立小屋に、
2Lペットボトルを切断して作った”鉢植え”をずらりと並べ、
彼は自慢げに見せてくれた。
「ですがねえ、水やっても土替えても肥料やっても、芽が出ねえんですよ」
「けど俺ぁ諦めませんぜ、絶対”金の生る木”を育てて見せる。
そうすりゃ一生左団扇でさぁ」そういうと彼は種を一つ差し出した。
「旦那はいい人だ。分け前を上げやすよ」純金の種を一つ受け取り、
私は彼の家を後にした。
自宅に戻ると、私はその種をいろいろ調べてみた。
どうも純金なのはその表面だけで、中には胚芽をはじめとして
植物の種子の構成ができているらしい。
ならば、発芽条件は何なのだろう?
数日後、私は再び男の掘立小屋を訪ねた。だが、
青シートの小屋に彼の姿はなく、いやそれどころか
小屋は荒れ放題で崩壊し、そして・・・
木が生えていた。血の色をした腎臓の形の果実がたわわに実る
”金の生る木”が。
彼は栽培に成功したのだ!
いったいどうやって?
だが彼を見つけることは出来ず、私はその木の果実をすべてもぎ取ると、
自宅へ持ち帰った。
”金の生る木”の栽培法はわからないままだったが、君も知る通り、
早急に金が必要だったので、私は種の表面の純金をナイフで削る事にした。
一つの種から数グラムは採れる。金を採取するためいくつか種を削り、
うっかり手を滑らせて指を切ってしまった。
親愛なる君よ
君は”拡散する種”というのを聞いたことがあるだろうか。
植物は、繁茂するために、テリトリーを広げるために、
ありとあらゆる手段を使う。
タンポポの種は綿毛と共に風に乗る。
オナモミの種は野原を駆ける獣の毛皮に絡みつく。
甘い果実はその内側に種子を宿し、鳥や動物に食されて移動し、
糞として排出された先で萌芽する。
”金の生る木”もまた同じだったのだ。
ただ、この木が繁茂手段として使う道具は
「 ヒ ト の 欲 望 」だったというだけで。
種子の表面の純金を手に入れようとした者が
弾みで血を流した時、”引き金”は引かれる。
私が気づいた時は、もう手遅れだった。
種から弾け飛び出た”新芽”が私の体に食い込み、恐ろしい勢いで根を伸ばし始めた。血肉を吸い取りながら神経内臓を引き裂き、骨に蔓が絡みつきへし折った。凄惨な苦痛が私を苛むが、もはや身動きが取れない。体のあちこちから葉と枝が飛び出ている。木に飲み込まれるのも時間の問題だろう。辛うじて声が届くスマホの音声入力で、このメールを書いている。
親愛なる君よ
このメールが届いた時、いや、届かなかったとしても、
君は私の部屋を訪ねるだろう。それは私の身を案じての事ではなく、
君が私に貸し付けた大金の処遇について話し合うために。
君は部屋のドアをノックし、返事がないことに激昂して
扉を蹴破るかもしれない。そこでこのスマホを拾うはずだ。だが、
その傍に生えている木に決して触れてはいけない。
そこに実っている血の色をした果実を決してもいではならない。
それは、冷徹な自然界の生存戦略に駆動された悪魔の
おしまい
金の生る木 椎慕 渦 @Seabose
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