4/最上拝謁の間 -8 行く先
ヤーエルヘルが目を覚ましたのは、翌朝のことだった。
「──あふ」
従者用の寝室から、ヤーエルヘルがふらりと現れる。
「や、ヤーエルヘル!」
「わ」
プルが、ヤーエルヘルを抱き締めた。
「よ、よよ、よかった、ちゃんと起きてくれた……」
「まったく、心配かけおってからに」
プルとヘレジナの態度に、ヤーエルヘルが目を白黒させる。
「おはよう、ヤーエルヘル。昨日の記憶はあるか?」
「記憶、でしか? えと……」
むむむと思案し、
「たしか、女のひとの腕が吊ってあって」
「うん」
「カタナさんが、それを消してくれって」
「あんときはマジで助かった……」
「それで──、あっ!」
ヤーエルヘルが、悲しみに顔を歪ませる。
「ネルさん、……ネルさんが! 死ん、だ……、って──」
「呼んだー?」
ネルが、主寝室からひょいと顔を出す。
「──ネル、さん?」
「ネルさんです」
「ネル……、さん。ネルさん! ネルさあん!」
ヤーエルヘルが、ネルに抱き着く。
「おっと」
「わああああん!」
「はいはい、生きてますよ。大丈夫」
ネルが、ヤーエルヘルの背中を、ぽんぽんと優しく叩く。
「……ありがとね、ヤーエルヘル」
ヤーエルヘルが泣き止むのを待って、運ばれてきた朝食をとる。
「そーいえば、ジグは?」
「鍛錬だってさ」
「あの男、全治半年だってーのに。国王権限でベッドにくくりつけておこうかしら……」
「まあまあ、あんまり安静にしてても逆によくないって」
やりかねない。
「ところで、ヤーエルヘル。ネルの死を確認したあたりから、記憶がないんだよな」
「はい……」
「今まで、今回みたいに記憶が飛ぶようなことって、あったか?」
「えと、あんまし覚えはないでし……」
「ふーむ」
「あちし、変なことしましたか?」
「変なこと、ではないな」
ネルに目配せをする。
「ヤーエルヘルは、あたしの命を救ってくれたんだって」
「あちしが、でしか……?」
「そうそう」
「ヤーエルヘルは、俺に選択を求めたんだ。ネルを助けるのか、見捨てるのか。どちらかを選べ──みたいな感じで」
「???」
「思い出せないか……」
「しみません……」
わからないものは仕方がない。
気になることが、もう一つあった。
「ラライエは、どうして、ヤーエルヘルの名前に反応してたんだろ」
「フシギでしよね」
ヘレジナが、パンを千切りながら尋ねる。
「トレロ・マ・レボロでは、ヤーエルヘルというのは一般的な名前なのか?」
「いえ、あちし以外には聞いたことないでし」
プルが、自分の顎に人差し指を当てた。
「う、失われた名、って言ってた……」
「……失われた名?」
「ネルは、心当たりある?」
「さっぱり」
「だよなあ」
「でも、調べ物なら、ウージスパインの魔術大学校を訪ねてみたら? 世界一の大図書館があるって聞くし。たしか、もともと行く予定だったんだよね」
プルが答える。
「う、うん。さ、最初は、まっすぐウージスパインに抜ける予定だった、……から」
「とんだ寄り道になってしまったがな」
魔術大学校、か。
ヤーエルヘルのお師匠さんの件もあるし、行ってみようかな。
「あ、それで思い出した。読み書き覚えようと思ってたんだ」
「なら、ちょうどいいね。戴冠式やら何やらあって、あと真っ先に城下街のアレを表面上だけでもなんとかしたら、いったんリィンヤンに帰ろうと思ってるんだ。一週間くらいかかると思うから、ちょっと待ってて。カタナたちも騎竜車引き取りに戻るでしょ。一緒に行こ」
「なるほど、そのあいだに読み書きを仕込むというわけだな」
「……一週間でなんとかなるもんか?」
不安を込めた俺の問いに、プルが苦笑する。
「が、がが、がんばれば、たぶん……」
「頑張るけどさあ」
「何を歯切れの悪い。一週間で習得すると吠えてみせろ」
「いや、普通何年もかけて覚えるやつでしょ」
「頑張ってくだし!」
「……頑張る。せめて、数字と、自分の名前くらいは」
「男たるもの、文武両道でなければな」
「でも、本くらい読めるようになりたいんだよな。俺、就職する前は読書家だったし」
「そうだったんでしか。なら、絵本か何かから始めたほうがいいかもしれません。物語があると、頭に入りましから」
「それもいいな」
そんな会話を交わしていると、客室の扉が開かれた。
「戻った」
「あ、ジグ! あんた怪我人なんだからね!」
ネルを無視し、ジグが顎で背後を指す。
「客だ」
そこには、ヴェゼルとアーラーヤが立っていた。
ヴェゼルが、ネルに右手の甲を向け、一礼する。
「──ラライエ四十三世。不躾に私室を訪れたことを、どうかお許し下さい」
「あー」
客室の外には、警備兵が立っている。
「構いません。入室を許可します」
「感謝致します」
ヴェゼルとアーラーヤが客室に入り、扉が閉じられる。
「やっほ」
「やふぁーい」
「国王と貴族の挨拶かよ、それが」
アーラーヤが、呆れたように突っ込んだ。
「さっき、ちゃんとしたじゃん。いいだろ別に」
「いいけどよ」
「ボク、いったんロウ・ララクタに帰ろうと思ってさ。だから、挨拶」
「そっか……」
ネルが、すこし寂しそうな顔をする。
「フン、何勘違いしてんのさ。国王とのコネなんだぜ。使い潰すに決まってんじゃん」
「えっ」
ヴェゼルが、勝ち気な笑顔を浮かべる。
「今後もちょくちょく来るし、なんなら王城に転がり込むかもしんないよ。家、苦手なんだよね。父様は好きだけどさ。ネルの作る、奴隷のいないラーイウラってのにも興味あるし」
「あはは、そっかそっか! あたしも、友達がいてくれたら心強いや」
「そっちのハーレム色男は、ネル置いて出てくんでしょ。罪悪感とかないのかな」
「うッ」
「まあまあ。カタナたちは旅人だから」
「ネルは甘いなあ……」
「──で、俺からも一つ用事だ」
アーラーヤが、ヘレジナの前に立つ。
「どうした、アーラーヤ」
「手合わせしてくれや、ヘレジナの嬢ちゃん。あのラライエを下した手腕を見て、痺れちまってよ」
ヘレジナが、不敵に笑う。
「構わんが、勝負になるかわからんぞ」
「言うねえ」
「では、中庭へ出ろ。一つ指南してやろう」
「アーラーヤ、満足したら行くからね」
「おう!」
その日の午後、ヴェゼル一行は、ロウ・ララクタへの帰途についた。
アーラーヤは、ついに、ヘレジナから一本も奪うことができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます