1/ベイアナット -終 亜人
ルルダン二等騎士邸は、長大な鉄柵に囲まれていた。
見るからに装飾用の柵であり、侵入者を阻む役に立っているとは思えない。
のどかなものだ。
門番へと近付き、久方ぶりの営業モードで話し掛ける。
「こんにちは! ギルドからの依頼で、ルルダン二等騎士さまへのお届けものなのですが」
「!?」
「え、……?」
「わ」
三人が、ツチノコでも見たかのような表情で、俺の笑顔に固まっている。
「あン? そんなん聞いて──」
門番が、俺の顔を見て頬を引き攣らせた。
「てめェ、昨日の!」
「……?」
一瞬思案し、すぐに思い出す。
弱々しい酒場の明かりと太陽の下とでは、随分と印象が異なるものだ。
「ハイゼル──だかなんだか」
こいつ相手に笑顔を作るのはもったいない。
すぐに笑顔を崩し、いつもの無愛想に戻る。
「あ……」
ヤーエルヘルがヘレジナの背後へと身を隠した。
「チッ!」
ハイゼルが、腰に提げた長剣の柄に手を伸ばす。
まばたきの間にヘレジナが動いた。
短剣の柄頭で長剣の柄頭を押し留め、すぐには抜けないようにしたのだ。
「〈誉れ高き銀の刃〉なのだろう? であれば、抜く場所を考えるがよい」
「──…………」
勝ち目がないと判断したのか、ハイゼルが柄に掛かった手を下ろす。
そして、ヤーエルヘルを睨みつけた。
「ヤーエルヘル、俺たちを売りやがったな……!」
「う」
ハイゼルの恫喝に、ヤーエルヘルが身をすくませる。
「──…………」
プルが、ヤーエルヘルを庇うように進み出た。
雰囲気が違う。
普段の吃音やポンコツぶりからは想像もできないほどの凜とした声で、プルが言い放った。
「──やめなさい」
それは、傍で聞いている俺ですら背筋を伸ばさずにはいられないほど、有無を言わさぬ声音だった。
「より弱き者に責任を求め、自らを甘やかすその態度。恥を知りなさい」
「あ、ああ……」
ハイゼルがたじろぐ。
「ルルダン二等騎士に届け物です。取り次ぎなさい」
気圧された自分を誤魔化すように、ハイゼルが咳払いをする。
「……ルルダンなら、今はいねぇよ。それどころか、この屋敷には誰もいねぇ」
怪訝そうにヘレジナが尋ねる。
「どういうことだ?」
「魔獣が出たんだよ。駆除するまでは避難するとさ」
「……マジで言ってる?」
「マジだ」
「荷物の受け取り確認は?」
「知るか」
ふと考え込み、ヘレジナがハイゼルに尋ねた。
「ルルダン二等騎士は、いつから避難なさっているのだ?」
「俺たちだって昨夜からの引き継ぎだから、詳しくは知らねぇ。だが、一週間より短いってことはないはずだ」
「……ルルダン二等騎士の人となりは知っているか?」
「会ったこたねぇが、依頼料がクソショボいことは確かだな。相当なドケチだぜ。貴族サマならどーんと一万くらい寄越せってんだ」
「──…………」
沈黙ののち、ヤーエルヘルが呟く。
「……草むしり、でしね」
「ああ……」
理解する。
理解してしまった。
つまるところ、俺たちは、たったの百シーグルで警備を依頼されていたのだった。
「──ぷっ」
ハイゼルが吹き出す。
「くくッ、ハハハっ、こいつら騙されてやがる! 依頼失敗は査定に響くぞ、ざまあ!」
「ウガルデめ……!」
「うくく、勘弁したれや! こんなクソ田舎のクソ貴族のクソ依頼なんざ、あいつも初めてだったろうさ!」
よほど溜飲が下がったのか、ハイゼルの口が軽い。
「俺たちだって、別のギルドで受けたんだ。ま、依頼失敗で信用下げるか、いつ帰ってくるかもわからねぇ貴族サマを待ち続けるか、好きなほう選びな」
「はァ……」
思わず溜め息が漏れる。
初仕事でこれとは、幸先が悪いにも程がある。
「……か、かたな、ど、どうしよ……」
「──…………」
普段の様子に戻ったプルを、四方八方から観察する。
「な、なな、なにー……?」
「いや、さっきさ……」
「そ、それは、かたなもおんなじ……」
「ああ、営業モードか。取引先ではいつもあんなもんだぞ、俺」
ヘレジナが半眼で呟く。
「心臓に悪いから、笑顔になるときは笑顔になると一言言ってくれ……」
「……ひどくない?」
「あは、は……」
ヤーエルヘルに耳打ちすると、思いきり苦笑されてしまった。
「まあ、それはいいとしてだ。日が暮れる前には帰りたいし、三、四時間くらいなら待てる範疇だろ。それで駄目なら仕方ない。今回の依頼はスッパリ諦めることにしよう」
「相分かった。それがいいだろうな」
「方針は決まったか? 決まったんならどっか行け。警備の邪魔だ、目障りだ」
ハイゼルが、しっしっと手で払いのける仕草をする。
ふと気になった。
「銀の刃は、いくらで警備を請け負ったんだ?」
「四百だ。それがどうした」
「……ラッド?」
「シーグルに決まってんだろ。頭にウジ湧いてんのか」
ニヤリと口角を上げて、ハイゼルが尋ねる。
「おい、お前らはいくらだったんだよ」
途端に生き生きしてきた。
いい性格してやがるな、おい。
「三百か? 二百か? 俺だって教えたんだから、ホラ。言ってみろや」
「ノーコメントです」
「おい、ヤーエルヘル。いくらだ」
「ひ」
「言えば、失態全部許してやるぜ」
「──…………」
いや、どんだけ知りたいんだ。
ヤーエルヘルに俺たちを売らせるわけにもいかないので、仕方なく答える。
「百だよ、百。これで満足か?」
「──ぶははははははははッ!」
この大爆笑である。
「……プルさま。やつをぶん殴る許可をください」
「そ、そういうわけにも……」
「不快だ。離れて待つこととしよう」
「だな」
どこかの木陰で休もうと、ハイゼルに背を向けたときのことだった。
「──イゼル! ハイゼル! 来て! 鳥の魔──ぐッ!」
女性の声が響く。
「ッ!」
その瞬間、ハイゼルが駆け出した。
声がしたのは敷地の裏手だ。
「ど、どうしまし……?」
「そんなこと、決まっているではないか」
背負っていた巨大な荷物を下ろしながら、ヘレジナが口の端を片方持ち上げてみせる。
「魔獣を倒し、報酬を増額するよう交渉するのだ」
「ナイスアイディア、それで行こう」
「う、うん! て、手を組めば、怪我する確率も減らせるし……」
「彼奴ら、足手まといにならなければいいのですが、──ね!」
カン!
ヘレジナが鉄柵に跳び乗る。
「──先へ行くぞ!」
そして、オリンピックの短距離選手もかくやという速度で剣先の上を駆け抜けていった。
「はッや……」
やはり、体操術はチートだ。
羨ましいことこの上ない。
プルとヤーエルヘルを先導する形で走っていると、やがて、空中を旋回する三羽の鳥が見えてきた。
鉄柵の角を曲がり、五名の人影を視界に入れる。
「ヘレジナ!」
「問題ない」
見れば、ヘレジナの足元には、首を掻き切られ絶命した鳥の魔獣の姿があった。
体長は二メートル。
翼開長に至っては三メートル以上はありそうだ。
ヘレジナが先行していたのは、ほんの十秒ほど。
奇跡級中位は伊達ではないということだろう。
「チッ……」
ハイゼルが、怪我をした三人の仲間をかばうように立つ。
ただただ性格が悪いだけでもないらしい。
「──カタナ、気を付けろ!」
ヘレジナがそう告げた瞬間、与し易しと見たか、三体の魔獣がこちらへ向けて急降下してきた。
「ひ!」
ヤーエルヘルが引き攣った声を上げる。
柄に手を掛け、抜き放つ。
折れた神剣アンダライヴ──ルインラインの形見である。
ヘレジナには双剣があるため、神剣は俺が持つことにしたのだ。
一体目。
居合いの要領で、抜き放った勢いそのままに左足を斬り落とす。
二体目。
ヤーエルヘルの眼前まで迫っていた魔獣を、宙を舞うように斬首する。
三体目。
折れた神剣の長さではプルを狙う魔獣に致命傷を与えられないと判断し、神剣をその場に放ってその両足を掴んだ。
「──うおッ!」
鳥の魔獣が羽ばたき、そのまま空へと舞い上がる。
このまま巣まで運ばれてはかなわない。
俺は、左手を離すと、魔獣の右足を両手で掴み直した。
ぐげ。
濁った声を上げて、鳥の魔獣がバランスを崩す。
そして、なかば落ちるようにしながら、地面へと下りていった。
「よーし、いいぞ」
予想墜落地点では、既にヘレジナが待機済みだ。
両手を離し、着地すると、次の瞬間には魔獣の首が地面に落ちていた。
首を切断したにも関わらず、血飛沫は上がらず、切断面から黒い粘液がどろりと滴る。
魔獣というものは、やはり、尋常の生物とは一線を画す存在であるらしい。
「は、はい、かたな……」
なんとか追いついたプルが、神剣を差し出してくれる。
「サンキュ。拾いに行く手間が省けたわ」
「ふへ、へ」
残る魔獣は、手負いが一体。
最初に左足を斬り落としたやつだけだ。
「──…………」
ハイゼルとその仲間たちが、口を半開きにしながら、呆然と俺たちを見つめている。
今のは我ながら良い手際だった、うん。
そんなことを得意げに思っていると、ヘレジナが叫んだ。
「銀の刃、油断するな! 後ろだ!」
ヘレジナの言葉を聞き、ハイゼルが慌てて周囲を見渡す。
だが、遅かった。
いつの間にか大きく回り込んでいた手負いの魔獣が、自由落下の倍の速度で急降下し、残った右足の鉤爪でハイゼルの肩の肉を大きくえぐり取った。
「ぐ、う……ッ!」
鳥の魔獣が高く舞い上がり、再び降下へと転じる。
俺とヘレジナが駆け出すが、間に合わない。
距離が遠すぎる。
ハイゼルの傷は見るからに深く、次が致命の一撃となっても不思議ではなかった。
「──嫌だ……」
背後でヤーエルヘルの声が聞こえた気がした。
「見ているだけなんて、もう嫌だ……ッ!」
次の瞬間、
パチッ。
俺とヘレジナのあいだを、火花が走った。
火花は、まるで雷のように不規則に折れ曲がり、
鳥の魔獣を大きく外れ、屋敷の壁に触れて、消えた。
──時が、止まる。
すくなくとも、そう感じた。
世界から音が消え、
世界から色が抜け、
世界から──
火花の触れた場所を中心として、半径十数メートルの範囲の空間が消失した。
爆砕であれば、俺たちは、爆心地を中心として放射状に吹き飛ばされただろう。
だが、これは逆だ。
俺たちは、失われた空間を補填しようとする力によって、その中心へと軽く引き寄せられた。
「──…………」
「──……」
風の暴れ狂う中、呆然と立ち尽くす。
絶句するしかなかった。
屋敷の半分近くが無に飲み込まれ、巨大なクレーターが大地を穿っている。
悪夢のような光景だった。
「──わぶ!」
自らの魔術のもたらした暴風により、ヤーエルヘルがたたらを踏み、転ぶ。
そのとき、就寝時すらも外さなかった帽子が、落ちた。
外れた帽子の下には、
──獣の耳があった。
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