4/最上拝謁の間 -6 "奇跡"

 ラライエは本来、頭部だけの存在だ。

 脳に損傷を受けてはさすがに再生できないのか、そのまま崩れ落ち、動かなくなる。

 ヘレジナが、双剣を回収しながら、言った。

「いくら速かろうと体術は素人。次にどう動こうとしているのか、見ればわかる。動く前に避け、適当な場所に刃を置いておけば、勝手に自滅というわけだ」

「うん」

 対処法はわかっていた。

 だが、俺にはできなかった。

 俺は、次撃を予測できるほどの眼力を持っていない。

「──…………」

 アーラーヤに左腕を押し付けると、ネルの元へと足を向ける。

「ネル……」

「──……う」

 ネルの死体の前で、ユラが口元を押さえる。

「ネルさん……?」

 ヤーエルヘルが、呆然と立ち尽くす。

「……なんで」

 ヴェゼルが、叫んだ。

「なんで死んでるんだよ! 王になるんだろ! 奴隷制を廃止するんだろッ! 嘘つき! 根性なしッ!」

「ヴェゼル、落ち着け」

 左腕を治癒したアーラーヤが、ヴェゼルの肩を掴む。

「これが落ち着いて──」

「……落ち着け。こいつらが悲しめない」

「あ──」

 アーラーヤに、心の中で礼を言う。

「……俺のせいだ。俺の、せいなんだ。俺が"羅針盤"なんて当てにしたから、こうなった」

「──…………」

「守れなかった。ネルは、自分の命を犠牲にして、俺を助けようとしてくれたのに。それなのに──」

「……カナト」

 ユラは、何も言わなかった。

 何も言えなかったのだと思う。

 ただ、黙って、俺の手を握ってくれた。

 脳裏にふたつの選択肢がよぎる。


《ネルを助ける》


《ネルを見捨てる》


 ──嗚呼。


 自分自身まで、俺をなじるのか。

 失敗した。

 俺は、失敗したのに。


「……ジグを、呼んでこなければな」


《ネルを助ける》


《ネルを見捨てる》


 うるさい。


《ネルを助ける》


《ネルを見捨てる》


 わかってる。


《ネルを助ける》


《ネルを見捨てる》


 黙っててくれ。


《ネルを助ける》


《ネルを見捨てる》


 頼むから、そっとしておいてくれ。


「カナトさん」

 気が付けば、ヤーエルヘルが俺の顔を覗き込んでいた。

 翡翠色の、美しい瞳で。

 しかし、その色が、普段より遥かに深みを帯びているように見えた。

「──助けますか? それとも、見捨てますか?」

 そんなの、決まってる。

「助けられるのなら、助けたいに決まってる……」

「わかりました」

 ヤーエルヘルが、盃へと向かう。

 そして、盃の中から、いまだくすまぬ赤黒い臓器を拾い上げた。

「ヤーエルヘル、お前……!」

 驚愕するヘレジナを横目に、その心臓を、ネルの背中の大穴へと押し込む。

「ユラさん。アーラーヤさん。治癒術を」

「いや、お前。これ、もう完全に死んでるぞ。治すも何も──」

「アーラーヤ、さん」

 ユラが、深々と頭を下げる。

「一度だけでいい。付き合ってはいただけないでしょうか」

「──…………」

 アーラーヤが、後頭部をぼりぼりと掻き、

「……失敗しても、俺のせいじゃねえからな」

 そう言って、ネルの背中に手をかざした。

「一度失われた命は、治癒術で傷を塞いだとしても、戻ってはきません。でも──」

 ヤーエルヘルが、盃から、サザスラーヤの血潮を注ぐ。

 ネルの背中の穴へ、注ぎ込む。

「命そのものたる、サザスラーヤの血液があれば」

 俺は、尋ねた。

「……可能性は、ある?」

「はい。"奇跡"が起これば、ですが」

 ユラとアーラーヤ、奇跡級の治癒術による二重治癒によって、ネルの背中の大穴が塞がれていく。

 しかし──

「……やっぱ、無理があったか」

 アーラーヤが手を止めた。

 傷は、既に治りきっていた。

「──…………」

 ユラは、無言で手をかざし続ける。

「手は尽くした。諦めよう。死者蘇生なんつーのは、人の手に余る所業なんだよ」

 ヤーエルヘルが、俺を見上げる。

「カナトさん。もう一度だけ、選択していただけますか。あなたの意志で、しっかりと」

 ヤーエルヘルの言動がおかしいことには、気が付いていた。

 口調が違う。

 雰囲気も違う。

 何より、俺の脳裏をよぎる選択肢を読み取ったかのような言動だ。

「選択してください。あなたの意志にお任せします」


《ネルを助ける》


《ネルを見捨てる》


「──…………」

 ネルは死んだ。

 もう、生き返らない。

 俺は、ネルを見捨てた。

 青の選択肢に目が眩んで、思考を停止した。

 俺は──


 同じ選択肢を突きつけられたにも関わらず、またネルを見捨てるのか?


「──見捨てない。絶対に」


 そう口にした瞬間、脳裏で鳳仙花が弾けた。


 そうだ。

 まだ試していないことがある。

 諦めるのは、すべての手を尽くしてからでいい。

 俺は、王の間へと駆け出した。

「おい、カナト!」

 ヘレジナの声を背に浴びながら王の間へと戻り、テーブルに置いてあった美酒の瓶を掴み取る。

 足りなかったのかもしれない。

 あるいは、摂取の方法が間違っていたのかもしれない。

 俺は、最上拝謁の間へと取って返し、ネルの上体を抱きかかえた。

「カナト、何を……?」

「サザスラーヤの血潮を飲ませる」

「……血潮は、もう、傷口に注いだではないか」

「ラライエは、サザスラーヤの肉を食らい、その血潮を飲んでいた。サザスラーヤは命を司る陪神であり、そして──」

 瓶を傾け、ネルの口に中身を注ぐ。

「ラライエは、千年を生きた」

「!」

「頼む、手伝ってくれ。このままじゃ喉の奥まで届かない」

「わかった!」

 ユラが、ネルの首の角度を固定する。

 俺は、口の端から溢れた血潮を指で拭うと、もう一度ネルの口に瓶を傾けた。

「──ネル、聞こえてるか。見捨てて、ごめん。助けられなくて、ごめん。言い訳なんてしない。起きて、俺のことを怒ってくれ。俺のことを、殴ってくれ」

 涙が溢れる。

 ネルの頬に、しずくが落ちる。

「起きてくれ、ネル……ッ!」

 そのとき、ネルの首筋がかすかに動いた。

 血潮を飲み下したのだ。

「ネル!」

 そして、


「──まッ、ずーい!」


 ネルが、飛び起きた。

「うお!」

「生き、返った……?」

 目をまるくするアーラーヤとヴェゼルを横目に、俺は、ネルに微笑みかけた。

 頬をくすぐる涙を、快く感じながら。

「……地獄の交響曲みたいな味だろ」

「不味さで生き返ったわよ!」

「ネル……!」

 ユラが、ネルに抱き着く。

 ネルは、そんなユラの背中を、優しく撫でた。

「はいはい、ユラ。ちゃんと生きてるからだいじょーぶ」

「……寝坊だぞ、ネル」

「ヘレジナも、泣かない泣かない」

 ヘレジナが、目元を擦りながら怒鳴る。

「泣いとらんわ!」

 そして、ネルが俺を見た。

「──カナト。あなたの声、ちゃんと聞こえてたよ」

「そっか」

「でも、王子さま的には口移しで飲ませてくれてもよかったんじゃない? 減点よ、減点」

「ははっ」

 目元を拭いながら、軽口を叩く。

「だって、不味かったから……」

「そーゆー理由かい!」

「冗談冗談」

「本当かな……」

 ネルが、俺に不信の目を向ける。

 仕方ないだろ。

 口移しじゃ、喉の奥まで届かないもの。

「──よかった」

 ヤーエルヘルが、ぽつりと呟く。

「そうだ。ヤーエルヘル、気分は大丈夫か?」

 そう尋ねた瞬間、

「──…………」

 ふらり、と。

 ヤーエルヘルが、倒れた。

「おわ!」

 ヴェゼルが慌ててヤーエルヘルを受け止める。

「ヤーエルヘル!」

 アーラーヤが、冷静に言う。

「ひとまず王の間へ運ぶぞ。臭そうだが、ベッドもある」

「シーツくらいはちゃんと交換してると思うけど……」

「加齢臭ってのがな、あるのよ」

 実感の篭もった言葉だった。

「では、ヤーエルヘルは私が背負おう。ヴェゼル、乗せてくれんか」

「はいはい。貸し──は、いいか。これくらい」

 ヴェゼルが、ヤーエルヘルをヘレジナの背中に乗せる。

 俺たちは、ラライエと側近の死体を片付ける間もなく、いったんその場を引き上げた。



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