3/ラーイウラ王城 -9 束の間の休息

「──……ッ、はー……」

 案内された客室のソファに深々と腰を下ろし、大きく息を吐く。

「疲れた……」

 天井を仰ぐと、灯術用の絢爛な燭台が目に付いた。

 灯術の明かりがガラス製のオーナメントに乱反射し、より広い範囲を照らし出している。

「すっごく広いでし……!」

 ヤーエルヘルが、小走りで客室を駆け回る。

「たいへん! 向こうの部屋にベッドがたくさんありまし!」

「従者と奴隷用の寝室ね。連れて来る人は、ほんとアホみたいに引き連れてくるから」

 まだ警戒した様子のヘレジナが、ネルに尋ねる。

「あの、ヴェゼルという子供のようにか」

「あの子、あれでも厳選してると思うわよ。絶対過保護に育てられてるでしょ。奴隷が裏切っても大丈夫なように忠実な従者を──なんてやってると、どんどん増えて収拾がつかなくなってくわけ。特に、アーラーヤなんて実力者を侍らせるのなら尚更ね」

 アーラーヤ=ハルクマータ──明日、恐らく初戦で当たる相手である。

 見立てが正しければ、俺とアーラーヤの実力は拮抗している。

 殺すか、殺されるかだ。

「──…………」

 ほんの二ヶ月ほど前まで、俺はただの大学生だった。

 二流の大学へ通いながらバイトをして、給料の一部は家に入れて、残った金で遊んで過ごしていた。

 運命とは、奇妙なものだ。

 人を殺したと言えば、両親は悲しむだろうか。

 人を殺すつもりだと言えば、弟は呆れるだろうか。

 友人たちは、俺を軽蔑するだろうか。

 それでも──それでも、大切なものがあるのだ。

 守りたいものが、あるのだ。

 俺は、彼女たちのヒーローでありたいから。

「──カナト、怖い顔してるよ」

 気付けば、ユラが、俺の顔を覗き込んでいた。

「あ、ごめん……」

 眉間に寄った皺を、指でほぐす。

「謝ることない。明日のこと、考えてたんでしょう」

「……うん」

 目を伏せて、自分の手のひらを見つめる。

 震えてはいなかった。

「怖くはないんだ。命懸けの試合なのに、自分でも不思議だけど。ただ、二ヶ月前の自分が今の俺を見たら、きっと驚くだろうなって」

「二ヶ月前のカナト、か」

 ユラが、隣に腰掛ける。

「きっと、出会ったばかりのカナトだよね」

「まったく、ユラさまの沐浴を覗きおってからに。それだからエロバカナトなどと呼ばれるのだぞ」

 ネルが、楽しげな様子で右手を口元に当てる。

「あらあら、そんなことが」

「だから、気付いたら泉にいたんだって! あと、エロバカナトって呼ぶのヘレジナだけだからな!」

「ふふ」

 ユラがたおやかに笑う。

「カナトは、あの頃から勇敢だったよ。今みたいに強くないのに、わたしたちを助けるために必死に頑張ってくれた。すごく、頼もしかった」

「……そっか」

 思わず口元が綻ぶ。

 でも、不思議だった。

 俺は、元来、それほど勇気のある人間ではない。

 ユラとヘレジナを置いて逃げたっておかしくないような、そんな情けない人間だったはずだ。

 自分の変化に、すこし戸惑う。

「──お風呂沸いてましよー!」

 客室を探検していたヤーエルヘルが、ぱたぱたと戻ってきた。

「カナトさん、どうぞ!」

「一番風呂だけど、いいの?」

 ヘレジナが、腰に手を当てて答える。

「お前を差し置いて先に入ろうとする輩は、ここにはおらん。カナトは頑張った。いちばん頑張った。頑張った者は報われるべきであろう。今日くらいは主人のつもりで過ごせ」

「……うん、ありがとう」

 おもむろにソファから腰を上げる。

「じゃあ、先に入らせてもらうよ」

「うん、ゆっくりしてきてね」

「リボン、上がったら巻き直すから」

「ありがとう」

 重い体を引きずりながら、浴室へと向かう。

 脱衣所で衣服を脱ぎ、浴室へ入ると、湯気がふわりと香った。

 香油か何かを湯に混ぜ込んでいるらしい。

「ほー……」

 高校の教室ほどもある部屋風呂に、思わず感嘆の声が漏れる。

 ハノンソル・ホテルの浴室の倍くらいあるぞ、これ。

 湯船には常に湯が注がれ続けており、滝のように溢れては排水溝に流れて行く。

 洗い場の壁にはシャワーヘッドの先のような放射状の穴があり、その下に半輝石セルが埋め込まれていた。

 ここに魔力マナを注ぎ込むと、シャワーが出るのかな。

 確かめる術はないけれど。

 俺は、風呂桶に湯を汲むと、良い匂いのする石鹸で体を洗い、湯船に身を沈めた。

「──……あ゛ー……」

 思わず、おっさんくさい声が出た。

 足を伸ばして風呂に入るなんて、いつぶりのことだろう。

 ネルの屋敷には浴槽がなかったから、体を拭いて済ませるのが常だった。

 湯に浸かるのは、人間の原始的な欲求の一つなのかもしれない。

 体がほぐれてくると、心もほぐれていく。

 緊張が解け、散漫な思考ばかりが脳を支配する。

「──…………」

 不意に、昼間のことを思い出す。

 御前試合のことではなくて──

「……よく考えたら、女の子を取っ替え引っ替え膝に乗せるって、とんでもないことしてなかったか?」

 よく考えなくてもしているのだが、さっきはそれどころではなかったのだ。

「そりゃ、あの奴隷の人も絡んでくるわけだ……」

 急に恥ずかしくなって、口元まで湯船に浸かる。

 ぶくぶくと泡を吐き出しながら、三人のことを考える。

 俺は、ユラの恋人だ。

 ユラを愛しているし、身も心も守りたいと思っている。

 それは、疑いようのない事実だ。

「──…………」

 ヘレジナは、俺のことを、異性として見ているのだろうか。

 自惚れでなく、好いてはくれていると思う。

 そうでなければ、あのヘレジナが、喜々として男の膝に座るはずがない。

 ヤーエルヘルは、どうだろう。

 彼女はまだ子供だ。

 俺のことを兄のように慕ってくれているし、俺も妹のように感じている。

 しかし、考えてみれば、ユラと二歳しか違わないのだ。

 このまま成長したとして、兄妹のような関係を、その感情を、維持できるのだろうか。

 ぽつりと呟く。

「モテ期か……」

 言葉は軽いが、苦悩は本物だ。

 俺は、三人の誰も傷つけたくはない。

 異性として愛しているのはユラだけど、他の二人にだって、別々の"好き"を抱いている。

「……どーすりゃいいんだか」

 そんなことを延々と考えていたら、すっかり茹だってしまっていた。

「そろそろ出よう……」

 脱衣所で部屋着に着替え、皆の元へと戻る。

「──あら、お帰り。随分と長風呂だったね」

「ちょっと考え事を……」

 ネルが、読んでいた本を閉じる。

「はい、左腕出して。リボン巻き直すから」

「ああ、お願い」

 ネルに、緑色のリボンを差し出す。

「誰がどのベッドを使うか、決まったよ。カナトは主寝室ね」

 ユラの言葉に、首をかしげる。

「主寝室?」

「いっちばん、おっきいベッドでし!」

「気を遣わなくていいのに……」

 どのベッドだって十分に寝心地が良さそうだ。

「言っただろう。今日は、私たちの主人のつもりで過ごせ。主人は主寝室で眠るものだぞ」

「そういうもんか」

 ネルがリボンを巻き直してくれるのを待って、ヤーエルヘルが俺の手を引く。

「カナトさん、来てくだし!」

「はいはい」

 導かれるまま主寝室へ入ると、

「──で……ッ、か!」

 キングサイズの二倍は優にある、漫画でしかお目に掛かれないような巨大なベッドが鎮座ましましていた。

「これ、全員でだって寝られるんじゃないか」

「こら、エロバカナト! 主人のつもりで過ごせとは言ったが、同衾は許さんぞ! それも全員とは、お前は何を考えておる!」

「いや、したくて言ったんじゃなくて……」

 靴を脱いで、そっとベッドに上がる。

 ──ぎ。

 軋みと共に、スプリングらしき感触が俺の体重を受け止めた。

 質も良さそうだ。

「これ、ちょっと、ありがたく申し出を受けようかな。寝てみたい……」

 ユラが、嬉しそうに微笑む。

「どうぞどうぞ」

 ベッドの上を這い進み、真ん中まで辿り着く。

 両手両足を広げるが、当然、端には届かない。

「うわー……」

 狭い日本で育った身としては、軽く感動ものである。

 ふと頭上を見ると、ヘッドボードに半輝石セルが埋め込まれていることに気が付いた。

「この半輝石セル、なんだろう。仕掛けがあるのかな」

「あ、それはね──」

「ユラさま、見せたほうが早いかと」

「そうかも。ネル、お願いできる?」

「はーい」

 ネルがベッドに上がり、膝立ちで俺の隣までやってくる。

「じゃ、魔力マナ篭めるね」

 縦に二つ並んだ半輝石セルのうち、上側に指を触れる。

 すると、ベッドの頭側がゆっくりと持ち上がっていった。

「おお……!」

「しごい、こんな機能が!」

「これ、上げ過ぎるとずり落ちるのよね」

「わたし、子供のころ、滑り台代わりにして遊んでたな」

「やるやる。あたしも、十年前ここに来たとき、遊んだ記憶あるもの」

 ネルが下の半輝石セル魔力マナを注ぐと、角度が徐々に戻っていく。

「いやー、マジで偉くなった気分……」

 ベッドひとつで大袈裟かもしれないが、得がたい経験なのは間違いない。

 ふとスプリングの軋む音がして、そちらへ視線を向けると、ヤーエルヘルがベッドに乗っていた。

「さすらいのマッサージ師がやってきましたよー」

「お、マッサージ師さん。お願いしようかな」

 ごろりと寝返りを打ち、うつ伏せになる。

「それなら私は腕を揉んでやろう」

「え」

「わたし、左腕ね」

「ちょ」

「ふくらはぎを揉んで進ぜよー」

「待って──」

 なんだこれ。

 四人の美女と美少女に、寄ってたかって疲れ切った体を揉みほぐされる。

 こんなことがあっていいのか。

 朝になったら肥溜めに肩まで浸かってるんじゃないのか。

 しかし、体は正直で──


「……ここが、極楽……」


 あまりの心地よさ、満足感に、意識がどんどん沈み込んでいく。

 幸せに微睡んだまま、俺は眠りに落ちていった──



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