第1話 プロローグ
ああ、イライラするな。そう思いながら、俺は天井をにらみつけた。今日は俺の姪である王女、スノウリリイの七歳の誕生祭である。こんなにもめでたい日だが、どうにも周りが騒がしくてしょうがない。さっきから、俺どころか子供にまでに聞こえる声でごちゃごちゃ…こんな日ぐらいはその馬鹿馬鹿しい噂やめられないのかよ!
アクアノーツ王国。海に近いこの国は水の神の加護を受けた美しい国だ。漁業が盛んで貿易も海を介して様々な国と行われている。人々は温厚かつ穏やかな気性で、水の魔法を使えるものも少なくない。音楽、美術、工芸の分野も栄えている。そしてかつて、この世界を救ったとされている者たちが建国し、その地の主となったとされる「神聖8か国」のうちの一国でもある大きな国だ。
俺はそのアクアノーツ王国現国王の弟、ルカ・フォン・アクアノーツだ。王太子もいるこの国では気楽な身分で、貿易と外交の仕事を主に任せられているため城にいないこともかなり多い。だから気づいていなかったのだ。
最初に気づいたのは甥である王太子アルベルトの様子である。アルベルトはスノウリリイの兄であり一学年差だ。兄である国王そっくりの顔立ちに、王妃に似た優しげなまなざし、そして王族の特徴である湖のような水色の髪に青空のような澄み切った瞳。文武両道でもあり、なかなか将来が楽しみな美少年だ。
「よう、元気かアルベルト?」
久しぶりに帰った俺はいつもの軽い調子で話しかけた。
「はい、お久しぶりです。叔父上。」
笑顔でそう答える。やたら他人行儀だが、まあだいぶ会ってなかったからこんなもんか…。
最初はそう思っていたのだ、最初は。場を和ませようと他愛のない話をしてみるが、こいつの緊張は全然解けないのか一向に堅苦しいのが治らない。というかなんか笑顔が顔にずっと張り付いているみたいだ。賢いお子様だとは思っていたがこの年で愛想笑いしてくるのか…急に大人になってるんだが、この間までドラゴンの鱗とかで大喜びしてたのにさ、俺はまだドラゴンに興奮するのにさ。なんてことを考えていたが、ふと明日のことを思い出して彼の妹のことを尋ねる。
「スノウリリイ元気か?ちゃんと仲良くしてる…」
そう言いかけてやめた。急にアルベルトの張り付いていた笑顔の仮面が崩れたからだ。
「妹のことはわかりません。もうずっと話してないので。僕とは話したくないみたいなので、本人に聞いてください。」
急に感情むき出しでそう一気にまくしたてると、アルベルトはこちらに背を向けて走り出した。なんだありゃ…呼び止める間もなく行ってしまった。とりあえずスノウリリイにも会いに行くか。
「殿下、国王陛下がお呼びです。」
「ん、今行こう。」
呼ばれたか、まあ報告まだだしな。スノウリリイはこの後だ。
「帰ったか、ルカ。」
「はい、国王陛下。」
「楽にしてくれ。して、経過はどうだったか。」
軽い挨拶だけすると、仕事の報告をした。俺とは少し歳の離れている兄だが可愛がってはくれるが、決して甘やかしてはくれないのだ。報告も終わったし、色々聞いてみようと思う。
「ところで、兄上。義姉上はお元気ですか。」
「ああ…少し具合が優れないようだ。だが、明日の式典は出る予定だ。挨拶は明日にしてくれ。」
「それは心配ですね。先ほどアルベルトには会いましたが、元気そうで良かったです。見ないうちにすっかり大人になっていて。そういえばあの二人はケンカでもしているのですか?」
「あの二人?」
「アルベルトとスノウリリイですよ。なんだか、様子がおかしかったのですけど。あ、このあとスノウリリイに会いに行っても構いませんよね?」
「そうか・・・。おや、もうこんな時間ではないか。そろそろ今日は休むといいルカ、疲れているだろう?それにスノウはもう寝ているだろうから、明日の式典の前にでも声を掛けてやってくれ。」
おっと、露骨に話を逸らされたな。これは聞くなというやつか。大体まだそんなに暗い時間でもないんだから、寝てるとは思えないんだけども。とりあえずここは引こうか。
「はい、それでは失礼いたします。」
そして、本日、冒頭に戻る。俺はちらりと兄の隣に立つ義姉こと王妃を見た。久しぶりに見た彼女はとても痩せていた。というよりは、かなりやつれていた。他国から嫁いできた彼女は小麦のような黄金色の髪と緑色の瞳のこの国では他に見られない美女だ。それが今、自慢の髪は輝きを失い、『妖精姫』と呼ばれていた頃の華やかさはそこにはなかった。先ほどあいさつした時の彼女はいつも通り私に楽しげに笑いかけていた。しかし、式典が始まってからは暗い表情で俯いている。
実のところ、俺はここに来るまで何か夫婦の問題があるのだろうと疑っていた。それが子供たち二人にまで波及して空気が悪くなっているのだろうと。けれども、この講堂に入った瞬間から、察してしまった―気づいてしまった。
そこにいる人々はみなスノウリリイのことを見ていた。彼らの様子は実にバラバラで怯えたように、悲しげに、憎んでいるような、嘲るような者もいた。しかし、それでいて何か期待するような目でこちらを見る者もいた。彼らの声は大きい。なんと目の前に本人と彼女の家族がいるにもかかわらずだ。その多くはスノウリリイと義姉上への言葉、中傷の言葉であった。
汚らわしい、よく来れたななんて言葉は可愛いもので、ほとんどが聞くに堪えない酷い言葉だった。信じられない、これが王族に対する態度か?怒りが湧いてきたが、少しずつ状況は見えてきた。俺はこの現象の理由はわからないが、原因は今更ながらに気づいた、思い出したというべきなのかもしれないが。しかし、それはもうとっくの昔に折り合いがついたことであったし、今蒸し返されているとは思ってもみなかったのだ。
何にしてもまずい、何とかしなくては。そして、この話題の中心である彼女は最初からずっと静かだった。泣いたり、動揺している様子もない。隣の彼女の兄は歯痒そうに、怒りをこらえた顔をしているが彼女は全くの無反応であった。これは落ち着いているじゃないよな。
スノウリリイは明らかに心を閉じてしまっている。何も聞こえないように、何も感じないように。
これは傷ついた人間が起こす自分の身を守るための防御策じゃないか。やはりとてもまずい、時間が解決してくれるとか、人の噂も七十五日なんていうもんじゃない。周りがそれを忘れても、子どもの頃にできてしまった傷跡は時間が経てば手遅れになるのだ。
何かこの状況を打破することはできないのだろうか。俺がそんなことを考えている間にも、儀式は進んでいた。この国に一人しかいない神殿長はこの世界の人間ならだれもが知っているだろう世界の成り立ちを今更ながら語っていた。
「そして、古の四神の一人である…」
「お前、話長いな。もう出てきちゃったぜ。」
…えっ、誰。
「なんだよ、皆そんな顔して。さっきから、ワシの話してたじゃあないか。」
突然現れた女はすねたようにそう言った。女は神殿長のすぐ後ろでぷかぷかと浮いていた。月の光を集めたような銀髪、見たこともないほど美しい顔ながら年齢不詳、素人でもわかるほどの禍々しいまでの魔力、何色とも表せない不思議な色のその目、そして何よりその静かな美貌に合わない荒々しい言葉遣いとたった今発したワシの話をしていたという言葉。あの抱きかかえている黒い子猫はよくわからないが、それ以外は伝説に聞いた通りである。
「あなたは…もしや四神様のお一人の」
「ああ、悪いが勝手にきてやったのだ。」
恐る恐る聞いた兄に対し、ニヤッと笑いながら彼女はさらりと言った。その笑顔を見た途端なぜだか、俺は全てがいい方向にいく様な気がしていた。
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