桜花は一片の約束

ritsuca

第1話

 小さいときよく遊んでいた公園は、高台の神社の足元、鳥居のすぐ外に広がっていた。歩いて5分程度のアパートに住んでいた僕には、その公園で毎日のように遊んでいた、所謂公園友達的な子がいたらしい。母が言うには、不思議とその公園の外では一度も会ったことのない男の子だったという。神社には駐車場があるもののさほど広くもなく、他の子どもたちには公園の外でもちょくちょく遭遇したことがあるというのに、だ。

 残念ながら高校に進学した時点で小学校の記憶すらも怪しくなっていた僕には、未就学児時代の記憶などあるわけもない。小学校入学と同時に引越してしまった町の記憶は、アルバムと両親の思い出話から想像で作り上げたようなものだ。

 ただ、アルバムにも両親の話にもない、いつの記憶だかもわからない、花びらの舞う風景が春を迎えるたび、繰り返し夢に現れる。年を経るごとに鮮やかになる夢は、いつしか花びらの嵐の向こうから、アルバムで何度も見た公園の風景を見せるようになった。


「えーと、ちょっと待ってくれ、いまあたしは『遅刻の理由を述べよ』と言ったと思うんだが」

「はい、なのでその理由を」

「……つまり、寝坊したのか?」

「まぁ、そうなりますかね」


 頭が痛い。

 卒論と日夜格闘している4年生たちと別室で、3年生のためのゼミを開催するようになったのは先月から。隔週開催で、今日が3回目。就活があるからと休んだり遅刻したりの学生はあれど、まだ遠慮もあるのか、みな最低限の連絡はある。そんななか、初めての無連絡遅刻者である。

 指導教員ボスからの目配せをうけて、ゼミの後、ちょっとおいでと手招きをすると、素直についてくる。恐らく根は悪くない。ゼミで出している課題に対しても、手抜きをしたりしている気配はない。まぁ、まだ3回目であるし、課題については2回目だったが。

 さて、と思いながら研究棟を出てすぐの自動販売機で缶コーヒーを片手に始めた会話が、これである。


「メールは?」

「あ。……忘れてました」

「研究室のメーリスとLINE、入ってるでしょ。遅れるときはどっちでもいいからとにかく一言。先生も心配してたから」

「はい」


 それにしても、世間が狭いのか、ただ単に、神社と公園とが似たような位置関係になるよう配置されている地域が多いという話なのか。

 神社の足元の公園仲間の女の子が引越してしまうと聞いた日、梅の花吹雪が舞うなか、咄嗟にその朝食べてそのままポケットに入れていたサクランボの種を渡したことを思い出す。この種から芽吹いた桜が咲いたらまた会おうね、と指切りをして。そして帰宅後、母からサクランボの種を発芽させるのはとても難しいこと、桜とサクランボは全く異なる木であることを聞かされて撃沈して夕飯も食べないままに泣き疲れて眠ってしまったのは、未だに覚えている程度にはトラウマだ。

 翌日、彼女に会えなかった公園でばらまいた、前日のサクランボの種の残りはどうなったろう。砕けて鳥に啄まれでもしたろうか。植生を乱していないと良いのだが。

 まだ寝起きのままなのか、ぼうっとした様子でコーヒーを飲む後輩を見る。中性的な服装に、スキンヘッドと無精ひげ。


(まぁそもそも、私の公園仲間は女の子だったしな)


 よくある配置というだけの話なのだろうな、とひとりごちて、残り少ない缶コーヒーを飲み干す。

 微糖というには甘い後味が舌に残った。


「そういえばサクランボと桜って違う植物なんですよね」


 ふと思い出したように言った後輩は、相変わらずぼうっとした様子のまま、缶に口をつけた。

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