第3部「僕と彼女」

第44話「初めての……(健全)」

 基本的に、僕の生活は誰かにお世話になったうえで成り立っている。


 いや、誰かにお世話にならずに生活できている高校生の方が稀だとは思うが……それでも僕はかなり多方面にお世話になってしまっている部類だと思う。


 それを、ここ最近で非常に痛感しているところだ。


 まず、両親は言わずもがな……僕が無事に高校に通えているのも父さんと母さんのおかげだ。今は出張でいないが、それでも休みの日にはわざわざ帰ってきてくれている。


 お昼のお弁当は七海ななみさんに作ってもらっている。しかも最近ではデザート付きである。


 夕食は、茨戸ばらと家にお邪魔して、七海さんや睦子さんに料理を教えてもらったりしながら作り、そのうえで家族の皆さんといただかせてもらっている。


 家族団欒の食事に、イレギュラーである僕の存在も、みんな受け入れて楽しい夕食を過ごさせてもらっている。


 夕食後は七海さんの部屋で勉強会……というのがここ最近増えた日課だ。そのおかげで、苦手な教科の理解が進んでいる……ような気がしていた。


 そして……帰りは厳一郎げんいちろうさんが車でわざわざ家まで送ってくれて、帰宅後にはソシャゲ仲間のバロンさんやピーチさんに今後の七海さんとの進展について相談していたりする。


 これだけの労力を僕にかけてくれていると言う事実が、日々暖かいものを胸の中に湧き上がらせてくれる。これが当たり前の事だと考えた瞬間に、きっと僕は最低な男になるだろう。


 だから、日々の感謝は大切だ。


 少なくとも、茨戸家には足を向けて寝られないのは確実で、バロンさんとピーチさんがどこに住んでるか知らないが、下手したら僕はどこにも足を向けられず立って寝なければならないのかもしれない。


 まぁ、それは冗談だとしても……それくらい様々な人にお世話になっている。


 そんなお世話になりつつも平穏な日々が続いたある日……僕と七海さんが付き合い始めて三週間目の金曜日に……それは起きた。


「あら、あなた……どうしたの? あらあら、そうなのね……うん、こっちは気にしないで、あんまり無茶しちゃダメよ? うふふ、そうね、それはいい考えね〜。そうするわ〜」


 睦子ともこさんのスマホに、厳一郎さんから連絡が入る。夫婦の穏やかな会話を、僕と七海さんは思わず料理の手を止めて見ていた。


 そして、通話が終わった直後に、僕のスマホにもメッセージが入った。


『陽信くん、すまない。今日、突発的な飲み会が入ってしまってね。帰りがだいぶ遅くなりそうなんだ。お酒も入るし、送ることはできなさそうだ』


 そんな謝罪のメッセージなのだが……。


 むしろ、毎日送ってくれていることに感謝こそすれ、できないことに文句なんて言うことができるはずもない。今までがお世話になり過ぎなのに、それに対して謝罪されてしまっては僕の方が申し訳なくなってしまう。


「いつも送っていただいて感謝してますので、気になさらないでください。僕は大丈夫ですので、今日は飲み会を楽しんできてくださいね」


 まだ高校生の僕はお酒を飲んだことは無いが……楽しい飲み会であることを祈ろう。父さんもお酒弱いけど、飲み会の後はご機嫌で帰ってくることが多いし。


 そんな風に僕が考えていると……不思議な返信が返ってきた。


『ありがとう。パジャマとかは昔のがあるから、遠慮なく使ってほしい』


 僕はその返信に首を傾げる。


「わかりました、ありがとうございます」


 とは返したものの……いや、どう言うことだろうか、厳一郎さんのパジャマを僕が使うって?


 あれかな。前に服をもらったみたいに、パジャマを今日くれる予定だったのかな? なんだかお世話になりっぱなしで申し訳がない。


 僕が首を傾げていると、七海さんが睦子さんに電話の件を確認していた。


「お父さん、今日遅くなるの?」


「えぇ、飲み会ですって。だからご飯は要らないって言ってたわ」


「もぅ、それならもうちょっと早く言って欲しいよね……大根とネギってあったっけ?」


 一緒に料理をしていた七海さんが、ゴソゴソと冷蔵庫を漁っていた。今日のメニューには使わない野菜の突然の登場に僕は首を傾げる。


「七海さん、なんで大根とネギなの?」


「お父さん、お酒飲んで帰ってきたら熱いお茶と、大根おろしとネギをかけてポン酢で味付けたご飯を一杯食べるの」


 取り出した大根とネギを両手に持って、七海さんはため息をつく。文句を言いつつも用意をする辺り、厳一郎さんへの思いが伝わってくるようだ。


「じゃあ、僕が大根をおろすよ。厳一郎さんにはお世話になってるし、それくらいはさせてほしいな」


「あらあら、じゃあお願いしようかしら。義息子ようしんくんに作ってもらったと分かれば、喜びもひとしおね」


 なんか、睦子さんの僕の呼び方に若干の違和感を感じるが……気のせいだよね? 七海さんも変なニュアンスを感じたのか、睦子さんを半眼のジトーっとした目で見ている。


「……お母さんがやった方が、お父さん喜ぶんじゃないの?」


 少しでも日頃の反撃をしようとしているのか、七海さんはそんなことを睦子さんに言うが、睦子さんが動じることはなかった。


「そりゃあそうよ、いつも愛を込めてるもの。でも、たまには違う愛が入った料理も良いものよ? 陽信くんの場合は……家族愛かしらね?」


「はいはい、ご馳走様です」


「あれ~? ……もしかして七海……お父さんに嫉妬してる? 陽信くんの作ったご飯が一人で食べられるって?」


「なんでそうなるのよ! もうっ!」


 そんな微笑ましい親子のやりとりを眺めつつ、僕は大根の皮をピーラーで剥いてから、4分の1に切ってから大根をおろしはじめる。


「あれ? 陽信、よくそんなやり方知ってるね? 大根のおろし方、教えようかなと思ってたのに……」


「うん、最近は料理の動画も見るようになってさ。これはたまたま見た中にあったから」


 僕が大根をおろす様子を見て、七海さんはちょっとだけつまらなそうだ。彼女は教えたがりだし、僕に教えたかったのかもしれない。


 実はちょっと良い所を見せたかったという気持ちもあったんだけど……。今度からは、最初に七海さんに聞いてからやろうかな?


「まぁいいや。今日のメインはサーモンの漬け込み焼きだし……陽信、ちょっと多めにおろしてくれる? 油が多いから大根おろしを合わせてもいいかなって」


「あ、うん。分かったよ」


 そういえば、餃子の時も七海さん大根おろしを作ってたっけ。懐かしいな。


 僕が大根をおろしている間に、七海さんは醤油ベースのタレに漬け込まれたサーモンをフライパンで焼いていく。


 食欲をそそる香ばしい匂いと共に、ジュウジュウと言う鮭から染み出る油の快音が聞こえてきた。この時点で美味しいのが分かる。匂いだけでご飯が欲しくなってくる。


「夫婦の共同作業っぽいわね〜」


 睦子さんはニコニコとこの様子も動画に撮っている……いつものお決まりの光景だ。


「七海さん……ちょっとお願いがあるんだけど、良いかな?」


「ん、何? お願いって……なんか食べたいものでもできた?」


「いや、そのさ……サーモンを焼いた後に残った油で……ご飯炒めてみてもいいかな?」


「へ?」


 僕は七海さんの方を横目で見ながら、ちょっとやってみたくなったことを口にする。ちょっとした思い付きなんだけど……男子的な発想というか、米と油と醤油って最高の組み合わせな気がするんだよね。


「陽信がやってみたいなら良いけど……珍しいね、自分から言い出すのって。一人でできる?」


「うん、ちょっと見ててよ」


「炒飯なら、冷蔵庫に残った冷やご飯があるからそっちの方が良いと思うよ。後、材料は自由に使って良いからね」


 僕は七海さんからサーモンを焼き終わったフライパンを受け取ると、冷蔵庫から冷やご飯とチューブの生姜を取り出す。それから、フライパンに残った油に切ったネギとチューブ生姜を入れて、少しだけ火を強くする。


 ネギと生姜に火が入ったら、冷やご飯を投入してヘラで押し付けるようにしてご飯を解していく……それから、サーモンを漬け込んでいたケースに入っていた身の欠片も投入してご飯をさらに炒めていく。


 ある程度ご飯がほぐれたら、強火にして、ちょっとだけご飯を焦がす。醤油とサーモンの香ばしい匂いが周囲に漂って。思わず僕のお腹が鳴ってしまった。


「あはは、陽信のお腹から可愛い音が鳴ったねー。もうお腹ペコペコだねぇ。そろそろ食べよっか?」


「うん……でもその前に……七海さん、ちょっと味を見てもらっても良いかな?」


「ん? 良いよ。うわぁ、凄い美味しそうにできてるね。良い匂いしてる」


 僕は炒め終わったご飯をスプーンに乗せて、七海さんに差し出して味見をしてもらおうとする。あえて僕は……自分では口を付けずに先に七海さんに食べてもらおうとする。


 差し出されたスプーンから、七海さんは僕の作った炒飯を口にして……。


「うん! 凄い美味しい!! サーモンから出た油でご飯炒めるって、陽信凄いね。でもこれ……美味しくて太っちゃいそうだよー。お米と油の塊だもん!」


 七海さんは一口食べてから、嬉しそうだけど困ったような笑顔を浮かべた。確かに、残り油で米を炒めるって、偏見かもしれないけど「男料理」って感じだもんね。


 でも、僕がこれを作った目的は……別にあるんだよね。


「七海さん、これでさ……僕がはじめて一人で作った料理を最初に食べたのは……七海さんだよ」


 僕の一言に、先ほどまで嬉しそうに笑顔を浮かべていた七海さんの目が点になり……僕の目を見つめ返してきた。僕は少し照れくさいけど、彼女の目を見ながら言葉を続ける。


「いや、厳一郎さんにはとてもお世話になってるけどさ……やっぱり僕がはじめて一人で作った料理は……七海さんに最初に食べて欲しいなぁって思ってさ……」


「陽信……うん……すごく嬉しいよ」


 七海さんは感激したように僕を見つめてくる。


 僕は色んな人にお世話になって生活している。厳一郎さんもその一人だ。本来、そこに優劣なんて無い。


 でも僕は……それでもいろんな点で、七海さんを一番に考えたいなって思ったのだ。どんな些細なことであっても。


 まぁ……ただご飯を炒めただけの料理で胸を張っていいのかはわからないけど。


 七海さんが喜んでくれたんだから、結果オーライだ。


「あらあら、いいわねぇ~、お二人さん。陽信くーん、私もその料理食べたいわ~?」


「あーもー……なんで料理作ってるだけなのにお姉ちゃんもお義兄ちゃんもそんなにイチャつけるのよ……。私もそれ食べたーい」


 ……しまった、睦子さんに動画撮られてるの忘れてた……。


 しかも、沙八さやちゃんまでいつの間にか帰宅してるし……うん……場所は考えた方が良かったかもね。


「ダメー!! これは陽信が作ってくれたんだから私が食べるの!! 私のなの!!」


「いや、七海さん……僕……結構作っちゃったからさ、流石にこれ一人は無理でしょ?」


 駄々をこねる子供のように、七海さんはフライパンの中の大量の炒飯の所有権を主張する。だけど、僕も量を考えずに作ってしまったので、流石に七海さん一人では無理だろう。


「でも……陽信が私のために作ってくれたのに……」


「最初に食べたのは七海さんだからさ……今日はみんなで分けて食べようよ。……僕がもうちょっと料理上手くなったら……今度は七海さんだけのために料理を作るよ」


「……約束ね? 指切り」


「うん、約束」


 僕と七海さんは指切りをする。七海さんの小さい小指が、僕の小指に絡んで約束を交わしたところで……。


「もしもーし? 二人とも……私等の前って忘れてないですかー?」


 沙八ちゃんからのツッコミが入る。ごめんなさい、忘れてたわけじゃないです。お腹もすいたので、僕と七海さんは配膳をして四人で食事を開始する。


 今日のメニューはサーモンの漬け込み焼きに、わかめと豆腐のサラダ、ナスのお味噌汁とかぼちゃの煮つけと和食だったのだが……僕が炒飯を作ったことで一品だけ中華という、妙な取り合わせになってしまった。


 それでも三人とも、僕が一人で作った料理を美味しいと食べてくれた。本当に、喜んでもらえてよかった……。


 四人での夕食を終えて片付けも終わり……僕と七海さんが部屋で勉強をしようとしたところで、睦子さんが声をかけてきた。


「そうそう、陽信君……お風呂は先に入る? それとも、後に入るかしら?」


「はい?」


 唐突に出たお風呂の話題に、僕と七海さんの足が止まる。どういう意味だろうと二人で首を傾げると。睦子さんも首を傾げてきた。


「あれ? お父さんから聞いてない? 今日は送っていけないから……明日はお休みだし、せっかくだから泊まっていってもらおうかって話をしてたんだけど……?」


 あー……それでパジャマを遠慮せず好きに使ってって、厳一郎さんはメッセージを送ってきたのか……納得した……。


 って……泊まり? 誰が? 


 ……僕が? ……七海さんの家に?


「えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇッ?!」


 僕と七海さんが同時に上げた、悲鳴にも似た驚愕の声が茨戸家に響くのだが……睦子さんはニコニコとした笑顔を崩さずに驚く僕と七海さんを見てきている。


 ……僕の『初料理』というイベントで終わると思っていた今日は……どうやら『初お泊り』というダブルの『初めて』を体験する日になるみたいです。


 いや、不健全なことはしないけどね。それでもこれからの展開を考えると……僕は思わず緊張して、顔やら背中に変な汗をかいてしまうのでした……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る