第25話「お母さんと内緒話」

 陽信ようしん七海ななみ茨戸ばらと家に訪問してから少し経った頃……茨戸家には三人の女性が集まっていた。


 その三人とは……七海の母親である茨戸睦子ばらとともこ、そして七海の友達である音更初美おとふけはつみ神恵内かもえないあゆみであった。


 三人は向かい合わせで座っているが、笑顔の睦子とは対照的に、初美と歩の笑顔は引きつっていた。


「うふふ……初美ちゃん、歩ちゃん? 罰ゲームで告白ってどういうことなのか……おばさんに説明してもらえるかしら?」


 睦子が微笑みを絶やさずに発するその言葉には、有無を言わせぬ迫力が伴っていた。


 ただの普通の主婦の笑顔だというのに、何故ここまで恐怖を感じるのか……。


 名前を呼ばれた初美と歩は引きつった笑顔を浮かべながらも、彼女から出されたお茶に口を付けてまずは喉を潤す。


 そうでなければ、口の中が乾いて言葉が出そうになかったからだ。


「いやー……睦子さん……うちらにも事情があってですねー……あはは……」


「うわーん……睦子さーん……怒ってるー……?」


 軽い調子で応対しているが、二人とも睦子が怒っているのは分かっていた。


 威圧感がハンパじゃない。


 初美はそれこそ小学校から……歩は中学からの付き合いだが……怒っていることがその笑顔からわかる程度には睦子との関係を築いている。


 普段はおっとりしていて、友達のように接することができる、可愛らしいお母さん……。


 だから初美も歩も個人的に連絡先を交換して、よく自分の親にはできないような相談に乗ってもらったりしていた。


 しかし……怒られると分かって家に招かれたのは、これが初めてだった。


 ただし、怒りとしては初期段階……笑顔を浮かべているということは情状酌量の余地ありと言うことだ。


 そのため二人は、まずは謝罪から入ろうとしたところで……その威圧感が唐突に煙のように消え去った。


 威圧感から解放された二人が見たのは、いつもの笑顔を浮かべた睦子の姿だった。


「ごめんね、怖がらせるつもりはなかったのよ。本当はね、七海も一緒にメッてしようと思ってたんだけど……何となく、七海には内緒の話もありそうだから、二人だけ来てもらったのよ?」


 いつものにこやかな笑みを浮かべる彼女の姿に、二人はほっと胸を撫で下ろす。


「それで……なんで二人は罰ゲームの告白を……ううん、七海の告白の相手に陽信君を選んだのかしら?」


 睦子が聞きたかった話題は、それだった。


 罰ゲームの告白云々よりも、何故、二人が選んだ相手が陽信だったのか……。


 それが気になり、放課後に二人から罰ゲームのことを聞きたいから、七海に内緒で家に来て欲しいとメッセージを送ったのだった。


 二人は睦子の相変わらずの勘の良さに、同じタイミングでため息をつく。


「七海は今日は……まだ帰ってこないんですか?」


「陽信君と放課後に、お夕飯の材料を買うためのお買い物デートを頼んだから、しばらくは帰ってこないはずよ。陽信君、今はうちでお夕飯を食べてるから」


 その言葉に驚いた初美と歩は、お互いに顔を見合わせる。


(そんなの初耳なんだけど!! ……これもう……外堀完全に埋まってんじゃないの!?)


(ううぅぅ……羨ましいにゃ〜……相手の家族に認められるなんて……)


 なんだか常に手を引いていたはずの友人が、ここ最近で自分達をぶっちぎりで追い抜いていったような気分になり……。二人はそれが嬉しくも寂しい……なんとも複雑な感覚を覚えていた。


 だけど、あの罰ゲームが順調に友人の幸せにつながっているようで、二人はほっと胸を撫でおろし……お互いに頷き合って、睦子に対して事情を説明することを決めた。


「分かりました……。睦子さんはもう分かってるみたいですけど……うちらが簾舞みすまいを選んだのは、偶然じゃ無いです」


「そうそう〜、簡単に言っちゃうと……簾舞なら七海を任せられるんじゃ無いかなって……当たりをつけてたんだよね〜」


「つまり……予め誰に告白させるか調べていたってこと?」


「正確に言うと、簾舞は候補の一人目で……その一人目が七海と相性バッチリだったって話ですね」


 二人はそこで自身のスマホを取り出して、あるアプリを起動する。


 それはどこにでもある平凡な名簿アプリだった。ただ、そんなものは少なくとも……普通は女子高生が使うようなアプリではない。


 二人はその画面を揃って睦子に見せると……そこには、かなりの数の男性の名前が記載されていた。さらには一緒に男子の大まかなプロフィールも書かれている。


「あらあら、まるで探偵みたいなことをするのね」


 それを見ても睦子は全く動じない……どころか、そこから全てを察したのか……仕方ないと言わんばかりに溜息をついた。


 少しは彼女を驚かすことができるかと期待してた二人は、その反応に苦笑する。


「高校までは、うちらは一緒に進学できました……だけど、うちらにはそれぞれ夢があって……一緒にいられるのは高校までです……」


「そーそー。でもでも、それだと大学に行く七海がすごく心配だったんですよー。……だから私等……同学年の男子全員の中で……誰が七海を私達の代わりに守ってくれそうか……女子同士のネットワークでどんな男子がいるかって……ぜーんぶ調べたんですよー」


 だからこそ彼女達は、自分達がスクールカーストと言うものの上位に行くように立ち回った。


 クラスの中心になるように友達を多く作り、かといっていじめに繋がるようなことはしないよう注意して……他クラスの人間の情報を集めても、不自然にならないよう恋バナと言う体で探りを入れていく。


 そんなことを彼女達は、高校に入学してからすぐに行っていたのだ。


 ギャル系のファッションも、可愛いし興味があったというのもあるが、その方が七海も含めて上に行きやすいと判断してのことだった。


 そして調査して、精査して、数ある同学年の男子の中から最も七海に合いそうだと二人が判断したのが……簾舞陽信であった。


「まぁ、簾舞の奴があんなに行動力あって、彼女のためになら何だってできる奴だったってのは、うちらにとっても嬉しい誤算でしたねぇ……。一番おとなしい男子を選んだつもりだったんですけど……」


「ほーんとほんと……おとなしいから七海にはピッタリだと思ってたけど、まさか七海がガッチガチに惚れちゃうなんてね~。ほんと、簾舞には感謝だよ」


 同学年の男子を全員調べたなんてあっさり言うが……それは並大抵の労力ではなかっただろう。


 この二人の行動は、全て七海が幸せになるためだけの行動だった。


「そんなことしてたの……なんで、七海のためにそこまでしてくれるのかしら?」


「そんなの簡単ですよ、うちら七海のこと大好きですから」


「そーそー。それに、七海のおかげで私等は今の彼氏と付き合えるようになったしね~」


 その恩があるからこそ、彼女達の行動原理は全て七海の幸せのためだった。


 各男子から告白されているときも、実は周囲にこっそりと待機しており……何かあった時にはすぐに飛び出せるようにしていたのは、当の七海も知らないことだ。


 その彼女を幸せにする役目は今や、陽信へと無事に引き継がれたと考えている。


 もちろん、困ったときには手助けをするが……ここから先はきっと大丈夫だと、あの大人しいのにやたらと行動力のある男子を信じることを二人は決めていた。


「そうだったのね……二人ともありがとうね、うちの娘のことをそんなに考えてくれていて」


 睦子はいつの間にか二人の近くまで移動しており、そのまま二人を優しく抱きしめた。


 柔らかく、温かく、安心する匂いがして……二人は許されたのだとホッとしたのもつかの間……。


「でも、ケジメは付けないとね?」


 その一言が二人の耳に響き、抱きしめられて温かいのに、背筋がゾクリと冷たくなるという不思議な体験をしてしまう。


「七海ね……一ヶ月の記念日に……これが罰ゲームだったって言うことを陽信君に告げることを決めたわ」


 二人は睦子の発言を黙って聞いていた。


 七海がその決断をしたというなら、自分達に止める権利はないし……何より今は圧倒されて動くことも喋ることもできなくなっていた。


「きっと私は大丈夫だと思ってる……陽信君ならきっと……受け止めてくれるって思ってる。でも、それとは別に……どういう結果になろうとも……二人も……陽信君に謝罪してね?」


「……そうですね……当然です。私等も……簾舞には感謝してもしきれないんですから……謝罪します」


「うーん……わかったよー……。と言うか今のままでもラブラブだろうに……七海は真面目だにゃ~……。でもそうだね、私達もケジメつけないとね」


 七海のためとは言え、自分達が行ったことが最低だとは理解していた。罪悪感だってある。


 だからこそ、いざとなったら泥をかぶる覚悟は二人にはできていたのだが……睦子の次の一言でその覚悟が若干揺らいでしまう。


「ちなみに上手くいかなかったときは、この件はぜーんぶ、貴女達の彼氏にバラしちゃうからね?」


「え”ッ……?」


 二人から同時に濁音交じりの一言が漏れる。


 それぞれが、もしもこれが自分達の彼氏にバレたときのことを想像し……それぞれが……顔面蒼白となる。


 その表情を見て、満足そうに睦子は彼女達から離れた。


「お兄ちゃんに……お兄ちゃんに怒られる……絶対怒られる……がっつり怒られる……めっちゃ怒られる……嫌われる……? お兄ちゃん違うの、違うの、ごめんなさい……これは七海のためだったの……ごめんなさい……」


「うわーうわーうわー! 絶対に怒られるー!! デート禁止とかハグ禁止とかキス禁止とか絶対言われるー!! そんなのやだー!! うわーん!! お兄ちゃんごめんなさいー!! 許してー!!」


 二人はそれぞれに自身の彼氏にこのことが伝わった時のことを想像して、あからさまに取り乱す。初美は静かに、歩は叫びながら……対照的だがそれぞれが彼氏に怒られることを恐怖していた。


 これで二人もめでたく……かどうかはわからないが、一蓮托生の身となった。


(まぁこれも……惚れた側が負けってのの一つの事例よねぇ……)


 睦子はその姿を苦笑しつつ見ていたが……今回は七海のためにしてくれた行動とはいえ、陽信を騙したという点で、二人にちょっとだけお灸をすえられたことに満足する。


 彼女自身も無意識的にだったが、それは既に陽信を未来の義息子としてみているため……今の彼女の優先度は七海と陽信の二人に傾いているがゆえの行動だった。


「さ、二人とも。反省して謝罪の気持ちが持てたならウジウジするのはもうおしまい。あとは今まで通り二人を見守っていきましょうね?」


 パァンと言う睦子が両手を叩いた音に我に返った二人は、そのまま睦子の方を見て少しだけうなだれた。


 それから二人は夕飯を食べて行かないかと誘われたのだが、それは遠慮して帰宅することにした。


 今の彼女達は、七海と陽信に合わせる顔が無いと思っていたのだ。


 しかしそういうときほど世の中とはうまくいかないものであり……ちょうど茨戸家を出たところで、エコバックをぶら下げた二人と鉢合わせてしまったのだ。


「あれ、初美に歩どうしたの? お母さんに用事でもあった? そうだ、夕飯食べてかない? 今日は私と陽信で一緒に麻婆豆腐を作るんだよー」


「こんにちわ、音更さん、神恵内さん。僕、七海さんから料理を教えてもらっているんだよね」


 二人は指を絡ませた恋人繋ぎをしており、繋いだ手と逆の手ではそれぞれエコバックをぶら下げている。


 見たところ陽信が重いほう、七海は軽い方を持っている。


 どう見ても、同棲中のラブラブカップルの図だ。


「いや、もう……その姿を見ただけで御馳走様ですって感じだよ。今日はうちらは帰るんで、新婚二人でイチャイチャとラブラブ麻婆を作ってくださいな」


「二人ともホント仲良くなったよねー。まだ付き合って二週間くらい? もうラブラブで熱々だよね~……羨ましいにゃ~……私なんて彼氏と会える時間短いから……」


 新婚と言われた七海と陽信は、まんざらでもない様子で顔を見合わせ、だらしのない笑顔を浮かべていた。


 どう見てもその姿は、罰ゲームで交際している男女には見えない。


 二人はその姿を見て……偶然とはいえ七海と陽信を引き合わせられて良かったと実感する。


 そのまま手をひらひらとさせながら遠ざかっていく二人の背に、唐突に七海の大声がぶつけられる。


「二人とも、ありがとうね!! 私、陽信の事が大好きで、今とっても幸せだから!! 安心してね!!」


「七海さん?!」


 唐突に自分以外に向けて言われた、自分への好意を示す言葉に陽信は慌てるが、初美と歩だけはその言葉の意味を理解して……大声で笑った。


 長い付き合い……二人の顔から何かを察してその言葉を言ってくれたのかもしれない。しれないのだが……。


「七海ー!! 自分達のラブラブっぷりをご近所にアピールしてどうすんのさー!!」


 そこで周囲を見渡すと……そこらにはパート帰りの近所の奥さん達や、家の前で掃除していたお年寄り達が……七海たちのことを暖かく微笑ましい目で見ていた。


 その目に気づき、耐え切れなくなった二人は慌てて家の中へと逃げるように入っていく。


「……七海と簾舞なら、きっと大丈夫だな」


「そーだねそーだねー……。私等もできる限りのサポートはしていこうね」


 家に入っていった彼女達を見た二人は、改めて……今度は七海と陽信の二人のために行動しようと決意した。


 余談だが……それからしばらく、茨戸家のご近所の間で陽信は「若旦那」、七海は「若奥さん」と密かに呼ばれるようになるのだが……それを二人が知るのはだいぶ先の話だった。

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