拡散スル、種

楸 茉夕

拡散スル、種

「あいつが悪いんだ……そうだ、あいつが……俺のせいじゃない……俺は悪くない……」

 男はずっと手を洗っていた。洗っても洗っても汚れが落ちない。綺麗になる気がしない。

「どうして俺がこんな……くそっ、あいつが別れたいなんて言うから……あいつのせいだ……」

 背後の部屋には女が横たわっている。見開かれた眼はぴくりでもない。顔はどす黒い紫に鬱血し、舌は口から飛び出し、完全に事切れていた。

「あいつのために、俺がどれだけ金を使ったと……くそ、くそくそくそ……!」

 洗っても洗っても汚れが落ちない。あの女を早くどこかへ隠さなければならないのに、一向に綺麗にならない。全開にされた蛇口からは水が勢いよく流れ、排水口の許容量を超えて鉢に水が溜まりかけている。だが、蛇口を締める気にも、手を洗うのをやめる気にもならなかった。

「あいつが悪い……あいつが悪いんだ……」

 だから、背後から近づいてくる影にも気付かなかった。



     *     *     *



「いや……こないで……」

 か細い声を上げて後退りをする少女に、男は薄笑いを浮かべてにじり寄る。その手にはナイフ。

「どうして逃げるの? 何も怖いことはないよ、ほら」

「お願い、やめて……」

「何を? 僕は何もしていないじゃないか。悪いのは君だよ、他の男に色目なんて使うから」

「どうして……あなた、誰なの……?」

「……は?」

 氷で撫でられでもしたかのように、男の顔から笑みが消えた。ぶるぶると震えだす。

「誰って……僕が? 誰か、だって? 何言ってんだテメェェェェェェェ!!!」

「ひ……!」

 突然激高した男に、少女は引きつった声を上げてさらに後ずさった。とうとう背中が壁に当たる。

「僕はずっと見てた! 君を見てたんだ! なんで知らないんだ! 毎日登下校を見守った! 手紙もあげた! プレゼントもあげた!  僕は君を好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで!!!!!」

 少女は声もなくかぶりを振った。こんな男は知らない。今日初めて姿を見た。思いを寄せられる心当たりも、ましてや刃物で脅される心当たりもない。

「そう……じゃあ、仕方ないよねえ……僕は君を愛しているんだ、ずっとずっと好きだったんだ」

 男は距離を詰め、ナイフを振り上げる。

「僕のものになってよ、永遠に!」

「いや……!」

 少女の悲鳴は途中で途切れた。あとは、刃が肉を貫く音が一度。そのあと、何度も。何度も何度も何度も。



     *     *     *


「えー? ああ、違う違う。うん、そう。やっちゃった。マジだってマジ。だってよー、あの女ほんとクソ。ちょっと遊んでやっただけなのに妊娠したとか言い出すんだぜ。マジ頭おかしいだろ。知らねえっつーの、勝手に妊娠してんじゃねーんだっつーの。……はあ? うっせーよ、だからやったっつったんだろ。そう。殺った。邪魔じゃん? うっせーし。訴えるとか言い出すし。俺駄目なんだよなー、泣き落としっつうの? 泣いてなんとかなるわけねえだろ、ガキじゃねえんだからよ。ムカついたからぶん殴ったら動かなくなっちまってよー。だーかーらー、マジだっつうの。写メ送る? あー、動画なー。撮っときゃよかったな。ネットに上げれば、あれだべ? 再生多いと稼げるんだべ? 今からでも……え? おま、何、ちょっ、死んだんじゃ



     *     *     *



「おかえり。早かったね」

「今日は何人?」

「六人かな。順調順調」

「うふふ、じゃあ明日はもっと増えるわね」

 あたしたちは額を寄せるようにしてくすくすと笑った。

 あたしたちが増えるのは嬉しい。少しずつ目覚めて、少しずつ増えていくつもりだったのに、予定よりもずっとずっと早い。

 あたしたちは目を覚ます。命の危機で目を覚ます。

 あたしたちは数を増やす。食べることで数を増やす。

「この星はあっという間に終わりそうね」

「ねー。次の星を捜しておかないと」

「屑が多い方が楽って皮肉よね」

「でも屑はあんまり美味しくないのよね」

 みんなで相談するのはとても楽しい。あたしたちは全員であたしたちだ。

 あたしたちは増えていく。あたしたちが食べる必要がなくなるまで。食べなきゃいけない相手がいなくなるまで。

 次はどれにしようかな。



 了

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