第2話 完結させるという絶対に必要で、意味のあるテクニック

 さて、前回に書いた通り、僕が文章を書き始めるきっかけは、ライトノベルで、今はどうか、よく知りませんが、当時は文庫本の最後のページに、公募の広告が載っているのです。当時の時点でも、詳しくはウェブで、みたいになっていた気がしますが、とにかく、少年だった僕も、公募かぁ、それはいいぞ、とすぐ考えた。というか、お気楽なことに、簡単に小説家になれるぞ、と考えた。まったく、おめでたい話です。

 十代半ばでしたが、パソコンが家にあって、ネットは使い放題だったので、すぐに公募に送るのに必要な原稿の枚数とかの情報を調べて見る。個々の賞で違いましたが、おおよそは四百字詰で二百五十枚から三百五十枚なんですね。

 では、この条件をクリアするのに、どうするべきか、当時の僕は何も考えないまま動き始める。その考えなかった段階、書き始めからの第一段階は後述しますが、第二段階にあたるタイミングで考えたのは、一つの物語を、五つないし六つに区切って、一つの部分を原稿用紙五十枚にまとめよう、ということでした。当然、素人なので、連作短編にするテクニックもないし、それ以前に素人に輪をかけて素人、ど素人なので、起承転結もない。しかし、五十枚が六つあれば、これで、枚数はクリアできる見通しが立った。当時はウィンドウズのパソコンで、Wordを使っていて、おおよそ四ページで原稿用紙十枚の文量になることも考えて、一つの部分をWordで二十ページにまとめよう、ということも考えましたし、実行しました。これがしばらく続く、悪癖になりますが、この件はここまでで、また後日。

 書き始めて第一段階の話をしましょう。最初の最初はプロットを作るということも考えなかった。しかし設定はだいぶ考えました。世界観、というか作品世界の設定を色々とルーズリーフに書き出して、登場人物も詳細に設定していましたね。この登場人物の作り方もまた、いずれ、触れるでしょう。

 何はさておき、まずは書かないことには公募に送れないので、書き始める。プロットはありません。勢い任せに、パソコンのキーボードを拙いながら打っていく。順調に物語が進み、さて、おおよそ原稿用紙三百枚にはなった。なったけど、完結していない。で、まだ何も知らないというか、頭がなかったので、出来上がっている三百枚の最後をいいようにまとめて、「主人公の冒険はさらに続く!」みたいにして、投稿した。スニーカー大賞だったと思います。これはもちろん、ただの紙とインクの無駄になります。

 しかし結果が出るまで半年はかかるので、その間にも続きを書いていく。続きを書く、まさに「主人公の冒険はさらに続く!」のその部分を書いていくのです。結局、頭の三百枚がゴミになっても、一年は書き続けました。全部ではたぶん、原稿用紙で千枚は超えていたと思います。でも、それでも完結しない。ここでさすがに気づきました。これを書いても無駄だな、と。当時は、「小説家になろう」が稼働していた気がしますが、今のように大きくもなく、僕は物語を発表する場もなく、ただ時間を浪費していることにやっと気づいた。で、その物語は諦めたわけです。

 これは小説家になりたい人がやるべきだと思うけど、文字数の上限がないコンテストは、一度、落選したら、その作品はもうそこで終わらせるしかないと思う。終わらせる、というのは、いきなり区切るということでもあるけど、それは読者に対して誠実ではないので、どこかでうまく締めくくるしかない。この、終わらせるべき、の理屈を言えば、例えば、二〇一九年のカクヨムコンに十二万文字くらいでエントリーして、落選するとする。では一年後、二〇二〇年のカクヨムコンに、去年の続きで、五十万文字くらいになってます、ということでまたエントリーして、でも、審査する人が最初に読むのは、二〇一九年の時点で出来上がっていた十二万文字の部分、つまり落選という判断をされた部分から始まってしまう。もしかしたら、四十万文字を越えるあたりでものすごく劇的になって、面白くなるかもしれない。これは素人考えだけど、読者選考はともかく、出版社が、四十万文字からの部分がすごいから、弱いそこに至るまでを改造させよう、という話になるのか、ちょっと怪しい。そんな気がする。

 このネット小説の「完結しない」という文化が、公募から入ってきて、長く公募に挑んでいた僕には、あまり利があるようには思えない、という考えは今、書いたパターンによります。

 気を取り直して、千枚のデータを捨てた僕は、プロットを練り始める。プロットこそ、物語を完結させる、基礎になるからです。ただ、ここで僕が間違いを犯したのは、先述の第二段階の部分、三百枚を六分割する、という発想です。当時の僕は、プロットを、六部分で書いていた。つまり六つの場面から一つの物語を作る、となったのです。これはそのあと少しして、六つの部分の中を、さらに四つに割る、という手法に変化しますが、今になってみると、これもあまり効果的ではないかもしれない。ただ、分かりやすくはあったとは思います。

 とにかく、こうして僕は、千枚と一年と引き換えに、物語を完結させる、絶対的な束縛とも言える「プロット」を考え始めたのです。今でもカクヨムの中のコンテストで、十万字程度などの束縛がありますが、プロットを効果的に使えば、この十万文字は書くことも、まとめることも、実は容易い、と僕は考えています。慣れているとかいないとかではなく、です。

 文字数の上限がないコンテストでも、とにかくどこかでオチをつけるべきだと思う。小さなオチではなく、しっかりと着地させる、という意味ですが。このオチのつけ方、カタルシスや捻りについては、いずれ語ります。

 これは断っておかなくてはいけないですが、僕がネット小説から書籍化された小説で、何を読んだのかと問われると、実は何も読んでいない(補足:この文章を書いた後、七野りくさんの「公女殿下の家庭教師」の一巻を読みました)。実はライトノベルもほとんど読まなくなった。だから、もしかしたらネット小説のコンテストでは、着地せずに話を進めてもいいかもしれません。その辺りはこれを読んでいる方が勉強してもらうしかありません。

 もう一点、僕には解説どころか、理解もできない要素がある。それは「改稿」や「改訂」という概念です。僕が書く物語は、はっきり言って一発勝負です。今後、プロットについて解説しますが、例えばプロット通りに書いて、完結して、何かの拍子にデータが消えるとする。じゃあ、プロットと設定のメモが残っているから、また一から書き直すか、となると、きっとそれはやらない。正確には、十代の時にそういう事態がまさに起こって、パソコンがフリーズして、文章のデータが全部消えてしまった。その時は一から書き直しましたが、ものすごく違和感があった。青臭い話ですが、僕の頭の中にいる登場人物は、まさに生きていて、一度、確定した過去を、作り直すことにはすごい拒絶反応が僕の思考にはある。実際の人間のように、創作の中の世界でも過去は変えられない、という発想が、僕の創作の中にはあるようです。なので、改稿や改訂がどれほど効果的かはわからないし、そんなことをすると作者の頭の中で登場人物のイメージが崩壊するのでは、と思います。

 では、プロットに関しては、次回以降に触れましょうか。

 次回に続きます。



オススメ曲

King Gnu「Teenager Forever」

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