「私はタンポポになりたい」
相応恣意
「私はタンポポになりたい」
「私はタンポポになりたい」
「実は私はね、タンポポになりたいんだよ」
「ここだけの話――私はタンポポになりたいんだ」
口癖のように繰り返されてきた先生の言葉。
人が花になんてなれっこないことは僕らも分かり切っていたから「また先生が戯言を言ってるよ」と笑って流していた。
けれどそんな他愛もない話も、もう聞くことはできない。
先生は人心を拐かした魔女として、処刑されてしまったから。
*
部屋の中では誰も言葉を発することは無く、ただ雨音だけが響いていた。
陰鬱な空気に耐えきれなくなったのか、誰かが呟いた。
「……なんで先生が」
誰も返事はできない。
“人心を拐した”罪と言うけれど、陽が高くなるころに集まり、様々な教えを学び、陽が沈むころには帰る日々の中で、先生は僕たちにとても大切なことを教えてくれた。
自然の恵み――
野草から薬を作るための知識――
他人を尊重すること――
そのためにあるべき戒律――
それらはどれも刺激的で、これまでの常識に囚われた僕らの世界をぶち壊すほど、魅力的だった。
けれど――
「……あいつらは、それが気に食わなかったんだ……」
僕らが新たな知識を得ることを、新たな価値観に触れることを、新たな世界に至ろうとすることを――領主たちは決して許容したくはなかったんだ。
「……そろそろ、あいつらが来るな……」
部屋の中の空気がさらに暗くよどむのを感じる。
先生の教えが罪だと言うのなら、その教えを受けた僕らも咎人だ。きっと先生はこの場所を最期まで口にはしなかっただろうけれど、この場所が無事だと考えるのは楽観が過ぎる。
「先生の言いつけは守らないと……な」
そういって、1人が立ち上がると、皆がそれに続く。1人、また1人と扉を開け、次々に部屋を出ていく。彼らの行き先はわからないし、それどころか僕は彼らの名前さえ知らない。
先生はかねてから言っていた。もし自分の身に何かあった場合は、この場所を捨て、二度と戻ってきてはならないと。
今になって思えば先生は、この日のことを以前から予見していた節がある。
僕たちに決して、どこの村の出かを聞くことはせず、名前を名乗らせることさえなかった。それは僕らが元の生活に、支障なく戻れるようにするための手立てだったように思えてならない。
やがて部屋の中には、僕と、特に仲が良かったもう1人だけが残った。
「……これで会うのは最後かもな」
「……ああ」
生返事をしながら、なかなか部屋を出るふんぎりがつかずにいると、不意に彼が僕の胸を小突いた。
「……たとえ、先生がいなくなっても、皆とはもう会えなくても……」
そこで彼は少し言いよどむと、やがて意を決したように告げた。
「先生の教えはなくならない……よな?」
自分自身に刻み込むようなその言葉に、
「……ああ!」
僕も強くうなずき返す。それを見て、安心したように、彼は部屋を出ていった。
その姿が見えなくなるまで、見送り――最後に一度だけ、懐かしい学び舎を振り返ると、もう振り向くことはせず、部屋を出た。
*
あれから10年余り。
その後、僕のもとに追手が現れることはなく、平穏な日々は続いている。
そして――
「先生、この草は食べられますか?」
「ん? ああ、こっちは食べられるね、でもこっちはダメだ、毒があるから捨ててきなさい」
気づけばかつての先生と同じようなことをするようになっていた。
『私はタンポポになりたい』
あの頃はその言葉の意味が分からなかったけれど、今ならなんとなくわかる。
先生の教えが種となり、こうやって芽吹いた今ならば。
「先生、先生は大きくなったら何になりたいんですかー?」
「ばっかだなー。先生はもう先生なんだぞ」
「ばかじゃないもん! だって先生は、もっと大きくなるもん」
「こらこら、2人ともくだらないことでのケンカはよしなさい」
背が低いことを気にする身としては、些か傷つくところだがら、それはそれ。
彼女の質問には、こう答える以外に考えられないだろう。
「実は先生はね、将来はタンポポになりたいんだ」
「私はタンポポになりたい」 相応恣意 @aioushii
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