第6話 魔法の世界

 生後5日目、僕は魔法が使えるようになった。

 神さまからは、生まれてしばらくは魔力が少ないから魔法は使えないと言われていたので僥倖だ。


 その日は当たりの日だった。

 お母さんに抱っこしてもらえたから。


 この国の貴族階級の人たちは、子育てを乳母に任せることが普通のようで、うちにも何人か乳母さんがいる。

 リオン兄さんも、ヒルダ姉さんも乳母さんたちのお世話になったらしい。


 でも、うちの母さんは乳母さんに任せっきりにはしないで、公務の合間を縫っては子供部屋に足を運び、できる限り子供たちの傍にいようとしてくれる。

 これは貴族としては珍しいことのようだ。

 とはいえ、母さんは忙しすぎるので、毎日甘えられるってわけじゃない。


 『聖女様』と領民に慕われている母さんは、その名の通り、けがや病に苦しむ人たちを癒す診療所『ネスト』を居城の敷地に設けて、数名の治療魔術師たちと一緒に領民を治療したり、健康の相談に乗ってあげたりしている。7日に一度の安息日を除いて毎日、朝から晩までネスト通いだ。


 その安息日だって、誰かがけがをして運び込まれたらすぐに治療をしに駆け出すし、赤子が熱を出したと聞いたらまた駆けつける。


 僕が生まれたときも、出産の前に1日、後に2日、出産当日を入れて計4日間しか休んでいないらしい。自分自身を魔法でヒーリングできるから平気だと周りには言っているそうだけど、それにしてもあまり無理はしないでほしい。


 ネストの治療魔術師たちが話していたのを小耳に挟んだのだけど、なんでも僕が生まれる直前まで治療を続けるスワニー母さんを見るにみかねて、アクィラ父さんがネストまで乗り込んだらしい。


 頼むから休むようにと懇願する父さんに対して、母さんは笑顔で一言「アクィラ、私は大丈夫です」といって追い返したそうだ。

 治療魔術師たちは、一言もいい返すことができずにしょんぼりと引き返す領主様(父さん)の後ろ姿が忘れられないと言っていた。


 そんな母さんのことだから、いつでも抱っこしてもらえるわけじゃないのはよくわかっていた。だから、今日は当たりの日というわけ。



 母さんは優しくゆっくりと、揺りかごのように僕を抱っこしてくれる。

 とても柔らかくていいにおいがする。


 僕の背中にあてがわれた掌から、暖かい何かが流れ込んできて、体の中をゆっくり、ゆっくりと巡り始めた。


 これが魔力? 母さんは僕に魔力を分けてくれているようだ。

 初めてのことなのに、体の中を流れる様子がとてもよくわかる。


 僕はその暖かいものが自分の身体を巡りやすくなるように、少し流れがとどこおっている首と右足の付け根の経路を少し広げてみた。


「まぁ、なんてお利口さんなの。流れがわかるのね?」

 母さんが驚いたように僕の顔を覗き込む。


 目が開いてからもずっとぼやけていた視界だけど、この日はそれも随分とクリアになっていて、近いものなら見えるんじゃないかと思っていた。

 そして、僕がこの世界で生まれて初めて見たものは、母の笑顔になった。


 そのあまりの美しさに目を見開いた僕は、何かを言おうとしたけど、ただ開いた口からは「んぱぁ」と意味のない音が漏れただけだった。


 明るい青色の瞳と、透き通るような白い肌、流れるようにしなやかな銀色の髪……ほんの少しやつれたような様子も見えるけど、それすらも美しさの一部としか思えなかった。


 父さんが言っていたっけ、バラの花びらのような唇って……

 その唇が何かをささやき、そしてやさしい旋律を奏でだす。

 

 ――――――――――――――――――――――

 小夜鳴鳥さよなきどりや、小夜鳴鳥さよなきどりや、その歌声が風を呼ぶ

 小夜鳴鳥や、小夜鳴鳥や、その歌声が雲を呼ぶ

 ――――――――――――――――――――――

 

 その旋律に合わせて体の中を巡る魔力が紡がれ、細く収束されていく。

 あぁ、これが魔力の操作か……


 母さんは、僕が魔力の流れを感じ取ることができるのを知って、今度はその操作法を教えてくれようとしているらしい。


 母さんはお手本を示すように、口ずさむ旋律に合わせて魔力の流れを収束させていった。

 そして、収束されて形を持った魔力が僕の身体を巡るたびに体中がぽかぽかむずむずしてくる 。


 えっ? 魔力がヒーリングの魔法に変化した?


 僕は産まれたてピカピカの健康体だから、ヒーリングの魔法を受けても体力の回復はないんだけど、その分魔力が補われるようで、体の隅々にまで母さんの優しい魔力が浸みこんでくる。


 これが治癒魔法……


 僕は魔力の流れが魔法に変わっていく過程を体験することで一つの考えに思い至った。

 魔力の操作と魔法の構築は、音楽を奏でるのに似ていると。



「あなたはもう魔法の使い方を知っているわ、この世界のだれよりも」


 神さまが僕に繰り返し言った言葉が頭にこだまする。

 その言葉を聞いた時から何となくそんな気がしていたんだ。


 僕は、頭の中の音声コントロールパネルをチェックした。

 ビンゴ!! いつの間にか88鍵のキーボードが接続されている。

 充填された魔力に反応してインターフェイスが追加されたようだ。

 これで母さんの魔法を再現できる。

 アレンジだってできるんじゃないかな?

 なんだかワクワクしてきた。


 前世の僕は音楽が好きで、よく演奏をしたし作曲もしていた。

 小さい頃からピアノを弾いていたので、打ち込みの用のインターフェイスは自然とキーボードを使うようになったんだけど、もしそうじゃなかったとしても、僕はキーボードを選んだと思う。


 だって、キーボードはポリフォニックだから。

 つまり、和音が出せるんだ。

 まぁ、ギターなんかでもコードは弾けるけど、同時に出せる音数も音を重ねる自由度もキーボードの方が上だ。

 

 僕は、母さんの口ずさむ美しい旋律をキーボードでなぞった。

 まずはユニゾンで。


 すると、僕の体の中で細い糸のように収束していた魔力が、金色に輝きだした。


 母さんはすぐにその変化に気が付いたようで、青く美しい目を見開いて、声をより響かせるような歌い方に変えた。


 ――――――――――――――――――――――

 小夜鳴鳥さよなきどりや、小夜鳴鳥さよなきどりや、その歌声が雨を呼ぶ

 熱い想いは山を越え、砂漠を渡り、世界をめぐる

 ――――――――――――――――――――――


 次に僕は、母の主旋律に合わせて和音を足してみた。

 すると、さらに輝きを増した黄金の糸を包むように、赤い光と青い光が編みあがっていく。まるで組紐のようだ。


 ――――――――――――――――――――――

 強い願いは川を越え、海を渡りて、世界をめぐる

 小夜鳴鳥さよなきどりや、小夜鳴鳥さよなきどりや、その歌声は虹となる

 ――――――――――――――――――――――


 その歌が終わった時、僕の身体の中には3色に光り輝く魔力の組紐が完成していた。


 マップの中心には僕を表す星形のマーカーがある。

 それに重なるように輝くハート形のマーカーは母さんのものだ。

 その横に〈治癒再生魔法実行:レベル7〉というボタンが現れた。

 マップで魔法の発動対象を選ぶことができるのか……


 確かこの世界の尺度で最高の魔法強度が第10位階だったはず。

 それが僕の基準じゃあレベル1と同等だとチロリン先生は言っていたから、レベル7と言うのは70位階ってことだね。うん、けっこう強力そう。


 でも100点満点に換算すると70点……前世では満点しかとったことがない僕から見ればひどい点数だ。それに赤ん坊の魔法だし大したことはないよね?


 もし仮にそこそこ威力があったとしても治癒魔法だから……ん? 治癒魔法……再生ってなんだ? まぁいいか、とにかく体にいいものだから特に問題はないはず……だと思う。

 僕は、ほんの少しだけ考えてから魔法の発動対象を❤のアイコン、つまり母さんに設定してボタンを押した。


 “えいっ!”


 僕の中に完成していた治癒魔法の術式が、母さんの中に流れ込む。

 ポワッと母さんの全身が柔らかい光で包まれた。

 光は30秒ほど輝いて、その後は母さんの中に浸みこむようにゆっくりと薄れていった。


『ガシャーン!』


 お茶を運んできたメイドさんがティーセットをトレイから落としてしまい、そのままの姿勢で固まっていた。

 きっとこの様子を見てびっくりしたんだね。

 ごめんね驚かせて。


 暫く呆然としていた母さんは、その音で我に返ると僕の目を覗き込む。

 魔法の名残なのだろうか、その青い瞳には優しい光が宿っている。


 母さんは僕を抱きしめると、おでこにやさしくキスをして、透き通るような声でささやいた。


「私の小鳥ちゃん。あなたのお名前、決めましたよ」


 その艶々の笑顔は、どう見ても15、6歳そこそこの女の子にしか見えなかった。

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