外伝 第三十六話 思い描いた生活と現実


 御前試合から一年半があっという間に経った。


 あたしはハートフォード王国貴族、アルフィーネ・ウォルフォートとして第三代の『剣聖』に就任し、近衛騎士団の剣術指南役として、何不自由ない生活を送っている。


 ラドクリフ家から与えられる指南料と、貴族の俸給を合わせれば、白金等級の冒険者の収入をはるかに超えており、買い取った屋敷にはどんどんと華美な調度品が増えた。


 生活が充実するにつれ、あたしとフィーンとの間にすれ違いが増えている。


 フィーンは、あたしが貴族になって生活費や仕送りの心配はないと言っても、冒険者の依頼を受けては王都の外で魔物を狩っていた。


『もう冒険者をやらなくていい』って何度も、何度も、何度も言ってるのに、フィーンはこっちの話を聞かずにソロや他の冒険者と組んで依頼を受けるのをやめない。


 冒険者ギルドのギルドマスターには、フィーンが白金等級の依頼を受けないよう、ヴィーゴに手を回してもらっているため、金等級の魔物討伐だけで済んでいるが、指南を終えて屋敷に帰ってきた時、姿が見えないと気が気でない。


 そういったイライラがあって、フィーンが依頼を終えて戻ってくるたび、一方的にきつい言葉を浴びせてしまったり、剣術の練習も厳しいものになってしまっていた。


 それでもフィーンは、あたしに対して言い返してこないし、黙って俯くことを繰り返し、またあたしのいない時に依頼を受けて魔物討伐に行く。


 フィーンの行動が理解できず、イライラから爪を噛むことが増え、それを彼に見つけられると注意され、また強い言葉をぶつけてしまう。


 思い描いていたフィーンとの楽しい生活はなく、貴族のボンボンたちが多数を占めるポンコツ近衛騎士団員への無意味な剣術指南と、ラドクリフ家の嫡男ジャイルからの面倒な誘いを断るのが日々の日課になりつつあった。


 こんなはずじゃなかった……。どうして、こうなっちゃんだろうか……。


 本日は近衛騎士団の休息日であるため、部屋でぼんやりと考えていたら、扉がノックされた。


「アルフィーネ、入るよ」


 フィーンだ。今日は、家に居てくれるって話だっけ。


「どうぞ、開いてるわよ」


 扉を開け入ってきたフィーンが、部屋の中に放置された着替えをヒョイヒョイと籠に集めていく。


 あたしの部屋には、執事のヴィーゴもメイドたちも入らないようにと伝えてあり、部屋の片づけはフィーンがしてくれている。


「また、脱いだ服をその辺にほったらかしにしてるだろ。ベッドの下のも出して」


「ベッドの下のはいいから、外に落ちてるだけにしてよ」


「ダメだって、この前もそうやって言って、ベッドの下に溜め込んでただろ。メイドさんたちも困るんだから、ほら出して」


 ずっと一緒に暮らしてきているフィーンには、素の自分を出してしまう。


 今は、この部屋から一歩出れば、剣聖アルフィーネとしての立ち振る舞いを求められ、あたしも自分を偽って剣聖であろうと背伸びをしている。


 ヴィーゴに言われ、一緒に寝ることがなくなったけど、この瞬間だけがアルフィーネとして一番自由に喋れる時間だ。


「うぅー、分かったわよ。出すけど、メイドたちには内緒にしておいてよ。剣聖アルフィーネが片付け一つ自分でできないとか思われたくないし。フィーンがこっそりと洗っておいてよね」


「分かった。分かったよ。メイドさんたちには言わないし、こっそりとやっとく」


「頼むわね。あたしは剣聖として王国の住民に尊敬される人ならないといけないんだし」


「ああ、アルフィーネは立派に剣聖をしてると思うよ。剣の腕もこの二年でまた成長したし、僕はまた置いていかれたしね」


 洗い物を籠に集め終えてフィーンが、寂しそうな眼であたしの方をチラリと見ていた。


 決定的に剣の腕の差は出たけど、でもフィーンだってずっと努力して、あたしの練習についてきてるんだから、相当な凄腕剣士になっている。


 でも、もう剣の腕にこだわる必要はないし、あたしのそばに居てくれるだけでいいのに。


「フィーン、ずっとあたしの世話だけして暮らしててもいいんだからね。ほら、いつも言ってるけどお金はいくらでもあるんだしさ。わざわざ、危険なことする必要ないでしょ。フィーンの実力じゃあ、魔物に倒されちゃうかもしれないし。ああ、そうだ。今度あたしの付き人として近衛騎士たちに稽古つけてあげてよ。あいつら、すぐ練習サボろうとするし、近々絞り上げようと思ってるから手伝って」


「ごめん、僕程度の腕じゃ近衛騎士たちは納得しないと思う。みんな、剣聖アルフィーネだから言うことを聞くんだろうしさ。僕みたいな、半端者の声なんて誰も聞かないよ」


 なんで、そんなこと言うの。


 フィーンが半端者なんて誰も思ってないし、言わせてもいないはず。


 なんであたしの言葉を聞いてくれないの。フィーン、あたしはフィーンが必要なんだよ。


 喉から出かかった言葉を無理やり押しようとする。


 けど、飲み込めずに口から漏れ出てしまった。


「なんでそんなこと言うの! あたしの仕事を手伝ってよ! あたしが剣聖やってるのだって、フィーンのためなんだからねっ!」


「ごめん、ごめん、アルフィーネ。全部、僕が悪いんだ。なんとかするから、頑張るから……頑張る……から」


 俯いたフィーンが、手にした籠をギュと抱き締め、声を殺して答えを返してくる。


 その声を聴くだけで心が締め付けられていく。


「もういいっ! フィーン、洗濯物集め終わってるんだから、部屋から出てって!」


「ごめん、すぐに出ていくよ」


 フィーンはあたしの方へ振り返ることなく部屋から飛び出していった。


 ちがうの……そういうことじゃないんだから……フィーンを傷付けたいわけじゃないんだよ。


 なんで、なんでこうなっちゃうの。


 フィーンと喧嘩をしたことを部屋でぼんやりと考えていたら、扉がノックされた。


「ヴィーゴでございます。本日、来客予定だったニコライ様がお見えになりました。応接間の方でお待ち頂いておりますので、お早めにお越しください」


 ヴィーゴは執事として忠実に仕えてくれているが、部屋に入ってくることをあたしが禁じているため、その指示に忠実に従い、扉の向こうから声をかけてくる。


「分かったわ。すぐに行くと伝えておいて」


「承知しました」


 扉の向こうのヴィーゴの気配が消えると、寝巻のままだった服を着替え、ニコライの待つ応接間に行くことにした。

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