92:二人の心の距離
スザーナの運転する馬車は、ハートフォード王国の王都フラグーンに向け街道をひた走っていた。
俺はその馬車の隣をディードゥルに跨り、並走している。
あの馬鹿……何やってるんだよ!
いくら嫌いだからって、ジャイルに襲い掛かるなんて……ことはしてないはずだ。
アルフィーネは貴族に対し外面だけはどんな状態でも繕っていたはずだ。
だからジャイルの暗殺犯として処刑されたなんて、風聞に尾ひれがついて流れてきた誤報だろ。
ディードゥルに跨り走らせながらも、俺はアルフィーネの噂に関して物思いにふけっていた。
そもそも、病気療養していたなんて意味がわからない。
俺と同じく、野外で寝泊まりしても一度も体調を崩さなかったあのアルフィーネが病気になんてかかるわけがない。
だとすると、俺というストレスのはけ口がなくなって、体調をおかしくしたとかだろうか…。
アルフィーネの性格であれば、絶対に俺に振られたなんてことは口が裂けても言わないだろうし、剣の修行に出るとかなんとか言いそうだ。
あいつのことだし、絶対に周りにそう言いふらしてるはずだ。
あいつの中で都合の悪いことは、すべて俺の責任にされるはずだろうし。
散々自尊心を傷つけられたアルフィーネとの生活を思い出すと、今でも心臓が締め付けられて吐き気がこみ上げてくる。
その生活から抜け出したくてアルフィーネから逃れ、地位も名前も容姿も捨て、辺境のユグハノーツにまで流れてきたはずだった。
なのに今は、その元凶になったアルフィーネの生存を確かめるために王都へ向かって馬を走らせているのだ。
我ながらおかしなことをしているという自覚はある。
けど、アルフィーネが処刑されたと書かれた看板を見た瞬間、自分自身の中でよく分からない感情が爆発して、看板の内容が本当なのか突き止めようとする衝動に突き動かされていた。
「フリック様、そちらは王都へ向かう道ではありませんよ」
スザーナに声をかけられふと我にかえると、俺は知らぬ間に街道の分岐路を王都とは逆方向の道を走っていた。
「あ、ああ。すまない。そっちだったな。ディードゥルすまん。あっちだった」
ディードゥルの手綱を引き、慌てて王都へ向かう道の方へ戻る。
ディードゥルも俺の様子がおかしいと感じているようで、チラチラと首をひねってこちらを見上げようとしていた。
「ディードゥルの言いたいことは分かる。最近、ボーっとしてるな……俺」
インバハネスの街でアルフィーネが処刑されたという看板を見て以来、俺の中で王都に全て捨ててきたと思っていたアルフィーネとの日々が心の奥から漏れ出してくるのが止められないでいた。
あれだけ俺の人生に影響を与え、自分勝手なわがままで振り回してきたアルフィーネのことに、心がかき乱されてしまってもいる。
おかげでさっきのような物思いにふける時間が増えていた。
「あ、あの……フリック様。お疲れのようでしたら馬車の中で休まれた方が……。その、お顔の色もあまり良くないようにもお見受けいたしますし」
馬車に近寄ると、俺の様子を心配したノエリアが中から顔を出して見てきていた。
ノエリアも、あの時から俺の様子がおかしくなったと思ってるんだろうな。
実際のところ、自分でも驚くくらいに動揺しているし、あの立て看板に書かれていたことが嘘であって欲しいとの気持ちが強い。
行き先を王都に変えたのも、アルフィーネに関する噂が本当なのか、自分自身で確認したいからだったし…。
心配そうに俺の方を見ているノエリアを見て、彼女からの好意に気付いている自分の心が、じくじくと疼くのを感じていた。
ノエリアにはこれ以上、心配掛けさせないようにしないと。
これは俺だけの問題でもあるしな。
彼女には俺がユグハノーツに来る前、剣聖アルフィーネと冒険者パーティーを組んでいた白金等級冒険者フィーンであることを伝えられずにいる。
「だ、大丈夫。問題ないさ。ああ、問題ない」
「……そう、ですか。わたくしではフリック様のご相談相手には……なれませんか? とても、苦しんでおられるご様子ですし……」
彼女の潤んだ瞳に俺の顔が映り込むのが見えるたび、心の痛みが増すのを感じる。
そっと俺から視線を外して俯くノエリアの姿に、どうしようもなく心が疼く。
気まずい……。
アルフィーネの件で心配してくれている気まずさと、自分の正体を隠している後ろめたさで、ノエリアの顔をまともに見られない。
明らかに彼女も俺が何か隠していると察しているようで、自分の服の裾を掴んでもじもじと何か言いたそうにしてる。
ノエリアのことを少しでも愛おしく想うたび、元恋人であり剣聖となったアルフィーネとの息苦しい日々が脳裏をよぎってしまい、心臓が早鐘を打つように激しく動く。
俺がノエリアを好きだって言うと、またアルフィーネの時みたいに豹変して、自分を押さえつけようとしてくるのではないだろうか。
そんなことを彼女はしないと思いたいけど……。
思い……たいけど……。
振り払ったつもりのアルフィーネの影が、俺の心を散々締め付けかき乱すのを感じ、ノエリアとの関係に積極的になれない自分がもどかしてくてしょうがなかった。
「ごめん、ノエリア。王都できちんと俺の中にある色々なモヤモヤに対して決着をつけるから。そう……したら俺は――」
ノエリアは俺の答えを待たず、馬車からディードゥルの背に飛び乗ると、背中に掴まってきた。
「フリック様が色々と言えないことを抱えていらっしゃるのは、鈍いわたくしでも分かっております……。そして、わたくしでは支えになれないことも理解しています。ですから、わたくしは待ちます。フリック様のことをずっと――」
その後の言葉は俺の耳では聞き取れなかった。
ノエリアが言ったのか、言わなかったのか、それすらも定かではない。
でも、俺の腰に回されたノエリアの手の力は細身の彼女とは思えないほど強いものだった。
けど不安なのか、少しだけその手は震えている。
ノエリア、ちゃんと決着はつけるから。
背中から感じるノエリアの体温の温かさを感じ、腰に回された彼女の手に自分の手を重ねると無言でディードゥルを走らせた。
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