71:二人の距離


 冒険者ギルドを出て、インバハネスの市場へ着いた俺たちの前には、辺境とはいえ人と品物で溢れた露店が軒を連ねていた。


 ユグハノーツより暖かく蒸し暑い気候のこの街では、見たこともない果物や野菜、動物の肉なども売られているのが見えた。



「思ってたより人が多いな」



 市場はちょうど昼時も重なり、食事を出す露店に昼食を食べに来ている人のラッシュと重なっていた。



「そうですね。路地も狭いわけじゃないですけど……。この人の数だと逸れそうな気はします。スザーナからは調味料や食材などを頼まれてますし、それにフリック様さえよければ、わたくしの服を買うのにもお付き合い願えればありがたいのですが。ほら、このローブはユグハノーツで仕立てていてこの地だと少し暑いのでこの際変えようかと思いまして」



 そういえば、帰ってくる時はかなり暑そうにしてて、薄着になってたからなぁ。


 とりあえず今日は日暮れまでに帰ればいいって、スザーナにも言われてるし、服を買うのに付き合うくらいはしてもいいかな。


 どうせだし、俺もちょっと服を見繕うか。


 洗い替えしてるとはいえ、汗臭くなるのはマズいし。



「ああ、この人だかりだし、はぐれるとマズいから服を買うのも付き合うよ。まずは食糧の買い出しからだな」



 人だかりではぐれるとマズいと思い、俺はノエリアに向かって手を差し出していた。


 彼女は差し出した俺の手を見て、少し恥ずかしそうに顔を赤らめていた。



 手を繋ぐって子供扱いしてるとか思われたかな……。


 はぐれないためにはこれが一番いい方法だと思うんだけど。



「ごめん、子供っぽくて恥ずかしいよな」



 俺がそうつぶやくと、顔を真っ赤にしたノエリアはブンブンと勢いよく首を振って手を握り返してくれていた。



「そ、そんなことないです。お願いします」



 ノエリアが俺の手を握り返してくれたことが、なぜか嬉しくもあり、同時に気恥ずかしさも感じていた。



「そ、そうか。なら、さっそく行こうか」



 俺はノエリアの手を引くと、人で溢れる路地の中に入っていった。




 路地の中は見た目以上に人が多く、背の低いノエリアが人の波に埋もれて見えなくならないよう手をしっかりと握って、彼女を守るような形で歩いていた。



「頼まれた食材や調味料は何だった?」


「えっと、保存用の干し肉とか乾燥野菜とか乾燥果物ですね。調味料は塩と胡椒、ナツメグとか、ニンニク、ショウガも欲しいとか。これから向かう先は小さい村しかないみたいですし、ここで多めに補給しておいた方が良いかと」


「日持ちする物だよな。ちょっと気になったけど、あれは無理か」



 長い旅の中で腐らせずに持ち運べるのは、乾燥させた食材が基本であるとは知っているが、目の前の路地では見たこともない色の果物が切り分けられて置かれていたのが気になった。


 冒険者になって五年、ほとんどの時期を調理担当としてすごしてきた俺としては未知の食材は味が気になってしょうがないのだ。



「味見だけします? 美味しかったら夕食用に持ち帰ればスザーナも怒らないでしょうし」



 俺の視線の先を見たノエリアがそう言って微笑んでいた。



 そうか、味見だな。味見。


 冒険者としては、どの食材が食べられてどんな味かは知っているのと知らないのでは生存率が変わってくるからな。


 これは味見という名の知識の研鑽。



「じゃあ、味見してみるか。ノエリアも食べてみるだろ?」


「ええ、フリック様と同じのを頂きたいです」



 俺は露店を出していた店主に声をかける。



「おじさん、これ二つくれるかい」


「おっ、その髪色。噂のトンデモ冒険者殿かな? あー、婚約者殿とデートか。いいねぇ、若いってのは。オレが若い時は――」



 露店のおじさんがノエリアのことを『婚約者』と言った瞬間、握っていた手が熱くなるのが感じられた。



 いやいや、俺みたいなのが婚約者とかありえないし。


 今は旅の同行者だけど、アビスウォーカーの件が終われば、俺は一介の冒険者にすぎないただの男でしかないんだが。



「ユグハノーツ辺境伯令嬢の婚約者なんてとんでもない。俺は護衛ですよ。護衛」



 俺の発した『護衛』という言葉に反応するように、ノエリアが手を握り締めてきていた。



「護衛の騎士見習いと、令嬢がデキちまうってのは物語だけじゃなくて方々で聞く話さ」


「べ、別にそういうんじゃないですって。それよりも、そっちの色鮮やかな果物二切れもらえます?」


「へいへい。お熱いお二人さんにはサービスしとくよ」



 俺は露店のおじさんに代金を払うと、下を向いてうつ向いているノエリアの前に果物を差し出した。



「な、なんか変なこと言われたけど、気にしないでくれるとありがたい。俺はしっかりと依頼された仕事は完遂するつもりだから安心してくれ」


「そ、そうですよね。な、なんか勘違いしてました。……そう、ですよね……」



 うつ向いたまま、声が小さくなるノエリアを見ていたら、なぜだか無性に胸が痛んで仕方なかった。



「あ、違うんだ。そういうわけじゃなくって。ノエリアとの買い物は楽しいけど、仕事はちゃんとするって意味だから!」



 なぜか自分が悪いことでもしたかのように思え、口が勝手に言葉を垂れ流していた。



 これって、聞きようによってはデートしようって言ってる気がするな。


 急にな、なに言ってんだ俺。



 俺は、とっさに自分の口から出た言葉に驚いていた。



 アルフィーネの件でもうそういった感情は湧かないと思ったけど……。


 まさか、まさかだよな。



 顔を上げ、潤んだ目でこっちを見ているノエリアの顔を見ると、急に心臓がバクバクと音を立て始めていた。


 その瞬間――脳裏に浮かんだ俺を罵倒するアルフィーネの顔とノエリアの顔が重なった。



 なんでだよ。今、なんでアルフィーネが……。



 アルフィーネに罵倒された時の負の感情が一気に噴き出し、俺の視界がグルグルと周り始め、やがて意識を喪失してノエリアに倒れ込んでしまった。

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