side:アルフィーネ 残酷な現実


 ※アルフィーネ視点



 馬車に揺られ、北部の大都市であるアルグレンに到着していた。


 北の山岳地帯は常に雪が溶けずに残る寒冷な地域であり、このアルグレンも一年の内、半年近くは雪に埋もれる都市であるそうだ。



 ただ、このアルグレンの周囲には多くの鉱物資源が眠っており、それらを採掘して精製する精錬業が盛んらしい。


 精錬された金属類を各地へ輸出することで多くの富を生み出し、王国でも有数の大都市にまで発展していた。



「街全体が煙っているわね。あまりこっちの方には来たことがなかったけど」


「多くの鉱物を精錬するための炉が昼夜を問わず動いておりますので。この街は別名『降灰と煙の街』と言われております。今は」



 窓から見えた街の様子を呟くと、執事がアルグレンの街の別名を教えてくれた。



「そう……」



 街の別名に特に興味はないが、冒険者徽章を捨てたと思われるフィーンがこの街にいるかもしれないと思うとキュっと胸が締め付けられる。



 彼を見つけて、いままでのことを謝って王都に帰ろう。


 もう、あたしのそばに彼が今まで通り無条件で居てくれるなんて贅沢は望めない……。


 贅沢……いや、そう思うこと自体があたしの無意識の傲慢さだろう。



 幼馴染という立場に甘え、彼の優しさにも甘え、剣聖に就任して関係性が変化したことも気付かず、無自覚に甘え続けた大人になり切れなかった馬鹿な女。


 それがあたしだ。



 この一ヶ月、彼が居なくなったことでそのことにようやく気付けた。


 こんな女、まともな人ならもっと前に愛想を尽かしていたと思う。



 それでも、フィーンはあたしが変わることを期待して、理不尽な行為にも耐えていてくれた。


 でも、あたしが全く変わる気を見せなかったから、ついに見切りをつけて去ったのだ。



 本当に馬鹿な女だ……。


 手のひらから零れ落ちたものは、もうすくい直すことはできない。



 せめて、彼の無事な姿だけ確認していままでのことを謝って、お互いに違う道を歩みだすしかない。


 あたしがこれ以上、彼に嫌われないためにはもうその方法しかないのだから……。



 あたしは灰色の染まった空と街に視線を向けながら深い嘆息をするしかなかった。




 馬車が止まると、目的地であるアルグレンの冒険者ギルドが見えた。


 入口の上には大きくつるはしと鉱石が描かれた徽章の意匠が記されていた。


 このアルグレンの冒険者ギルドの徽章の元となっているようだ。



 馬車から降りると、入り口には冒険者ギルドの職員と思われる男女が頭を下げて待っていた。



「アルフィーネ様、お待ちしておりました。事前にご報告したとおり、例の男は地下の独房に捕えております」


「承知しました。今からすぐに会えますか?」


「はい、準備はできております」


「入り口はあちらになります」



 男がそう言うと、女性の職員がそっと裏口にあたる地下牢の入り口へと案内を始めた。


 行き交う冒険者たちを避けるように、あたしはアルグレンの冒険者ギルドの職員に連れられ、地下の独房へと足を運んだ。



 独房は罪を犯した冒険者を刑が確定するまで収容するギルドの施設で、王都の冒険者ギルドにもあるらしいが、一般に公開はされていないそうだ。


 そんな独房はかび臭く、すえた匂いが充満していた。



 職員の先導で、フィーンの冒険者徽章を使い身分を偽った男の独房に着いた。



「おい、起きろ。今から、ここで取り調べをおこなう」



 男は床に転がって寝ていたようで、職員の声に反応してゴソゴソと動き出した。



「うるせーな。もう、言うことなんてねぇよ。全部言ったつーの」



 無精ひげに覆われた年齢不詳の男が、ぞんざいな言葉で返事をしていた。



 あたしは鉄格子越しに男の服の襟元を掴むと引き寄せた。



「貴方が何者かは興味ないけど、貴方が身分を偽った人にはすごく興味があるので協力してもらえるかしら?」



 なるべく冷静に感情を高ぶらせずに頼めたと思った。


 だが、男はあたしの気迫に怖気づいたのか、青ざめた顔をしていた。



「ひぃい。殺さないでくれ。出来心なんだ。出来心で身分を偽っただけなんだって。あの徽章はスラム街で行き倒れた男の遺品だったんだよ」


「行き倒れの男?」


「ああ、珍しい黒髪の若い男だった。なんか病気をしてたようで、オレがスラム街のごみ溜めでそいつを見つけた時にはもう虫の息だったんだ」



 男がペラペラとあの徽章を手に入れたいきさつを喋り始めた。



 黒髪の若い男がスラム街で病気で行き倒れてって……。


 まさか、フィーンが……そんな、まさかよね……きっと別人よね。



 男の言葉を聞いて、あたしの胸の内に言いようもない不安感が広がっていく。



「そ、それでその男はどうなったの!?」



 思わず、男の襟首を掴む手の力を間違え、服を引きちぎってしまった。



「オ、オレは殺してない。殺してないんだ。あいつはなんかボソボソと言ってこと切れたが、聞き取れなかったし、死体を放置してオレのせいにされても困るから近くの港から海に捨ててやったんだよ。それで、残った徽章であいつになりすまして白金等級の冒険者として甘い汁を吸おうとしただけだ!」



 男はわめき散らすように自分は殺してなくて、黒髪の若い男は病気で死んだと言い募っていた。



 まさか、あの丈夫なフィーンが寒い土地だったとはいえ、簡単に病気で死ぬなんてこと……ないはず。


 行き倒れの男は黒髪の若い男でもフィーンとは別人よ……きっと別人。



 男からもたらされた情報によって、心の中がかき乱されたていた。


 死んでた男は別人でフィーンの徽章を何らかの形で手に入れ、この地で行き倒れたのだと思いたい、そう信じたい一方で本当にフィーンが病気で死んでいたらとも思う。それらの気持ちが、心の中でせめぎ合っていた。



「それで我々も男の証言をもとに、その男を捨てたという海を捜索したところ、腐乱した黒髪の若い男の死体を発見しました」


「っ!?」



 ギルド職員の男が、男の証言を補足するように言葉を継いでいた。



 死体を見つけたと言われ、心がさらに締め付けられる。


 死体が本当にフィーンだったら……もう、永遠に会えないし、謝ることもできなくなってしまうのだ。



 お願い……どうか、フィーンとは別人であってください。


 お願いします。どうか、神様……お願い。



 死体を見つけたと言われ動揺が顔に出ていたと思うが、今はそんなことをかまっている余裕はなかった。



「遺体はこちらで収容しております。お探しの方か確認されますか?」



 女性のギルド職員がこちらの様子を窺うように尋ねてくる。



 このまま帰れば、フィーンが死んだのを確認しないですむ。


 でも、それじゃあ今までの状況と何も変わらないままだ。



 ここで逃げ帰っては、今までの甘えた馬鹿女のままになってしまう。


 そんな自分とはこの一ヶ月で決別した。



 怖さで身がすくむ思いがしながらも、あたしは女性のギルド職員に対し無言で頷いた。




 女性ギルド職員に連れられて、独房を出ると反対側の部屋に遺体は収容されていた。



「こちらが海中より引き上げられた男性の遺体です。海中に浸かっていたので腐敗が進んでおりますが……」



 雪で冷やされた棺の中には半ば腐敗し、身体全体ぶよぶよに膨らんだ黒髪の若い男性の遺体があった。


 魔物に食い荒らされた冒険者の死体は見慣れていたが、目の前の遺体がフィーンかもと思うと、胃からこみ上げるものが抑えきれなかった。



「う、うげぇ……けほ、げほっ」



 吐しゃ物を床にまき散らし、咳込むと汚れた口元を手で拭う。



「こちらをお使いください。床の汚れは私が処理しますのでお気兼ねなく」



 心配したギルドの女性職員がハンカチを差し出してくれた。



「ありがとう。心配をおかけしました。これから、確認作業をさせてもらいます」



 差しだされたハンカチで汚れた手を拭き、ふたたび腐乱した若い男性の死体を凝視した。



 背格好はフィーンと同じくらいだけど……それに髪型も前髪が長いし黒髪……。


 これだけ見るとフィーンかもしれないけど……黒髪が珍しいとはいえ、他に居ないわけでもないし……。



 あとは、疫病避けのまじないとして、孤児院の院長がみんなの首筋に入れてくれた小さな刺青があるかないかだけど……。



 腐乱した遺体を検分し、この遺体がフィーンでないことの理由を見出そうとあたしは必死だった。



「すみません、首筋を見たいので裏返す手伝いをお願いします」


「承知しました」



 女性ギルド職員の手伝いを借りて、慎重に遺体を裏返し、髪の毛をかき上げ首筋の小さな刺青を探す。



「っ!?」



 髪の毛をかき上げると、遺体の首筋にあたしと同じ意匠の疫病避けの刺青があった。



 こ、これはフィーンの刺青……!?


 やっぱりこの遺体はフィーンなの……ね。



 その瞬間、押しとどめていた感情が溢れ出し、目から大粒の涙が溢れ出すのが止められなかった。


 一番起きて欲しくなかったことが現実としてあたしの前に突き付けられた。



 二度と永遠に彼に会えないし、あたしのしたことを謝罪することもできない。


 自分が全て悪いとはいえ、こんな残酷で酷い仕打ちをされるとは……。



 これは傲慢でわがままだった自分に与えられた神様からの罰なのだろか……。


 それならいっそあたしの命を奪ってくれればよかったのに……なんで、なんでフィーンなの……。



「フィーンっ!! そんなのないよ! なんで勝手に死んじゃってるのよぉおおおおおっ!! フィーン!! 嘘だって言ってよ!! フィーンっ!!! こんな結末なんていやぁあああああああっ!」



 訳も分からず遺体に取り縋ると、あたしは周囲に構わず泣き叫び、そのまま気を失って自らの吐しゃ物で汚れた床に倒れ込んだ。

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