15話〜16話
15
倒れ伏す遥香の元に、桐畑を含む五、六人の選手とダンが駆け寄った。距離の遠さにも拘わらず、ブラムも来ていた。苦々しげに遥香を見つめながら、思案に耽っている様子だった。
しばらくして遥香は、苦悶の表情とともによろよろと立ち上がった。そのまま控えの選手に肩を借りて、校舎へと歩いて行った。
紅白戦は一対一で終了し、会員たちは遥香のいるロイヤル・フリー・ホスピタルに赴いた。
白を基調とした病室の木製のベッドの上で、練習着のままの遥香は、足を前に投げ出した恰好で座っていた。
「どうだったんだ? アルマ」
沈痛そのものな面持ちで、ブラムが静かに尋ねた。
自分の足に平静な眼差しを向ける遥香は、少しの間を置いて返答した。
「心配してくれて、ありがとう。内側側副靱帯損傷で、全治十日。だから、準々決勝には大丈夫」
「そりゃあ十日なら、日程的には間には合うさ。でも、やっぱりアルマには……」
ブラムが不平そうに割り込む。しかし、最後まで達さずに口を閉じる。
「わかった。また見舞いには来るが、詳細がわかり次第、何らかの方法で連絡をするように」
訪れた静寂を、ダンの重厚な声が破る。
「はい」という遥香の返事に、ダンはおもむろに出口へと向き直った。歩き始めるダンを見て、会員たちも後に続こうとする。
「ケントは、もう少し残っていてくれる? 授業について、相談があるから」
遥香の落ち着いた声がして、病室中の視線が桐畑に集まる。
しばし狼狽える桐畑だったが、「わかった」と、はっきりと告げた。
会員たちが、続々と病室を出て行く。名残惜しそうなブラムが、出口からしばらく意味深な視線をくれていたが、やがて去っていった。
桐畑と遥香は意味もなく、無人の出口を見続けていた。
「桐畑君」と、遥香が思い出したかのように呟いた。
桐畑がゆっくりと顔を向けると、遥香は遠くを見るような静かな目を病室の壁に向けていた。
「君、やっぱこのままじゃあダメだよ。今日の紅白戦でもさ。一見、しっかりプレーしてるようで、全然、入ってないよね。一番顕著に出てた場面は、自分でもわかるでしょ。あのボールは、君も追うべきだった」
遥香の声音は穏やかだが、反論し難い雰囲気があった。恐縮する桐畑は、動きを止めて黙り込む。
「意欲さえあればさ、ほんとに、身の回りのすべての事柄から何かを得られるんだよ。遠い昔に起こった出来事からでも、一風、変わったルールのスポーツからでもね。ホワイトフォードの校訓じゃあないけど、自分を成長させるチャンスは、逃しちゃいけないよ。停滞ほど恐ろしいものはないんだからさ」
振り向いた遥香と、目が合った。桐畑はなぜだか視線を外せない
しばらくそうしていると、遥香の口角がほんのわずかに上がった。
「ってなーんか十五の小娘が、烏滸がましくも語っちゃったね。何様だって話だよね。だけど。君の心に何か響くものがあったなら、嬉しいかな」
自嘲気味の遥香に、桐畑は「ああ」と、返答とも唸りともつかない声を出していた。どこか遠くから、馬車ががたがた走る音が聞こえてきていた。
16
遥香の病室を後にした桐畑は、歩いてホワイトフォードに帰った。大小が様々な建物を抜けて、敷地内にあるフィッツロイ寮へと入る。
時刻は十九時になっていた。桐畑は、大テーブルの周りにいくつかのソファー、安楽椅子が並ぶ、教室ほどの広さのコモン・ルームで授業の復習をした。しかし、病室での遥香の言葉が頭を巡って、一向に捗らなかった。
二十一時からは、自由時間だった。勉強をしていた生徒の一部が残って雑談に興じる中で、桐畑は、コモン・ルームを立ち去った。
年季の入った階段を上った先の男子の寝室は、十五m四方ほどの広さだ。中央の通路に沿って、木の温かみを感じさせる天蓋付ベッドが二十個以上並んでいる。
突き当りにある大きな窓の外には満月が見え、寝室中に清爽な光を投げ掛けていた。異国情緒を強く感じさせる、幻想的な夜だった。
桐畑は、右側の奥から二番目のベッドに歩いていった。朝食後に一度荷物を取りに訪れており、自分のベッドの場所は把握していた。
隣のベッドに腰掛けるブラムは、ベッド横のサイド・チェストの上部を使って、手紙を書いていた。
チェストの上には、フットボールの戦術の考察が書かれた数枚の紙が見られた。
桐畑は、背筋を伸ばして万年筆を動かすブラムの顔を、まじまじと見詰める。
黒に近い茶髪に、軽く日に焼けたような色の肌。ブラムは白人だが、顔のパーツ以外は日本人と近かった。鼻は高くはないが目は大きく、優男と豪傑の中間といった印象の男前である。
ブラムは桐畑たちの一つ上の第四学年で、高い技術と守備の貢献を買われてフットボールの給費生として入学したと、紅白戦の前に遥香から聞いていた。
ホワイトフォードは大英帝国各地の裕福な家庭のための学校だが、スポーツ給費生の枠もあるとも、同時に教わっていた。
「筆まめなんだな。誰当ての手紙? やっぱ両親か?」
桐畑は、何となくブラムに話し掛けた。
「ああ。一週間に二通は送って、定期的に身の回りの出来事を伝えるようにしているよ。親があっての俺たちだから、無下にするわけにはいかないさ」
手紙に視線を落としたままのブラムは、静かに答えた。顔付きは真剣だが、どことなく慈しみも感じられた。
「ケント。自分が一番わかってるだろうから、今日のプレーについては何も言わない。だけど一つだけ、お前の意識に刷り込んでおく。フットボールは、人生を懸けるに足るスポーツだよ。絶対に、間違ってはいない」
言葉を切ったブラムは手紙を両手で持ち、文章を読み返し始めた。
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