懺悔の時間は遅すぎた

 喫茶店フロイラインの中は、なぜかカウンター席のところだけ静寂に包まれている。

 気のせいかもしれない。けどそう感じさせるだけの何かがあったことは確かだ。


 仕方なしに、何も言われてないけど俺はイチゴミルクを作り、唐橋の前に置く。


「……あ、ありがとう……」


 これは俺のおごりだ、みたいな真似ができるのは喫茶店経営者の特権。だが一緒にそっと伝票も置いたのは気づかれてないようだな。

 唐橋におごる義理はないので、一応ね。軽い嫌がらせと思ってもらって結構。


 イチゴミルクは、唐橋の好物だった。

 中学時代、よく学校の売店で、紙パックのイチゴ牛乳を買って飲んでいた記憶がある。


「で、一応確認したいんだけど。平野さん、唐橋と同じ高校だったんだね?」


 俺の問いに、平野さんは大きくうなずく。


「……そうよ。桃百合女学院、まあ一般的に言うにはお嬢様学校ね。エスカレーターの先には理系がなかったから、私はそこから飛び出して万葉大学に来たけど」


 そういや平野さんも一年回り道してきたんだった。


「まあ、そんなところだから、高校から外部で入学してきた人はいろいろな意味で話題にあがるの。その中でも御子柴バカ音はとびぬけて有名だったし、とびぬけて嫌われていたわね。性格が悪すぎて」


「……」


 平野さんの饒舌っぷりはとどまるところを知らない。普段の口数の少なさはいったいどこへ行ってしまったのか。ま、それだけ御子柴のことが嫌いなんだろう。


 一方、唐橋は目の前のイチゴミルクに手も伸ばさずに、うつむいたままだ。


「だからこそ、そのバカ音にいつも付きまとっていた取り巻きの唐橋さんも、悪い意味で有名だったのだけど……まあ、仕方ないのかもしれないわよね。家庭の事情が事情だし」


 この物言い、平野さんも分かってるな。

 御子柴も唐橋も確かにお嬢様高校に通えるような社長令嬢ではあるけれど、唐橋の父親の会社は御子柴の会社の下請けである。

 生殺与奪を、御子柴に握られているといってもいい。


 だからと言って、御子柴が唐橋を下僕のように扱っていいというわけではないのだろうけれど。親との関係と子供とのそれは別問題だし。

 それでも残念ながら唐橋は、御子柴の言いなりになることを選んだ。その時点で、結局御子柴と同罪なのだ。


「……で、宮沢殿。いったい何をされたのかしら、彼女に?」


「その『殿』って呼び方はどうなんでしょうね。やめようよ」


 さっきから呼ばれているその言葉にちょっとだけ耐えきれなくなってそうお願いしたのだが、平野さんはクールにスルーして俺の言葉を待っている。

 いったいどうしろと。


「別に。今さら唐橋が気にするようなことじゃないよ」


 というわけで嘘八百発動。

 平野さんはおろか、紗英すらも当然ながら納得していない。


「睦月……」


「ストップ紗英。言いたいことはわかるが、今になって気にされてもどうしようもないだろ?」


「……」


「もう遅いんだよ。タイミング的にさ」


 正直なところ、御子柴の手びきで唐橋に嘘の告白されてからかわれた、なんていう情けない過去を平野さんに知られたくないっていう気持ちもある。胡桃沢にも言ってないしな。


 けど、あの時傷つけられた俺の心は、今さら唐橋に謝罪されたことで癒せるわけでもない。

 謝罪が六年以上遅かった。それだけのことだ。


「……そうね。何があったか知らないけど、唐橋さん、あなたが宮沢くんを傷つけたことは間違いないようね?」


 平野さんの言葉を受け、唐橋が無言で首を縦に振った。


「はん……確かに遅すぎるわよね。おそらく、中学時代のことなんでしょう? 思春期の多感な時期に起こした過ちを、成人した今になって懺悔するなんて」


 唐橋の誠意を、唐橋の懺悔を鼻で笑う平野さんに感じる圧。こわい。

 ま、俺への呼び名を戻してくれたようだからいいけどさ。


「だいいち唐橋さん、中学が一緒だったんだから本気で謝罪しようと思えば、いつだって来れる距離だったんじゃないの? それなのに今まで謝罪に来なかった。この事実だけを見ても、あなたに対して真摯な態度を感じることなんてできないわよ」


「……」


「それが突然、ここに現れて謝罪? どんな心境の変化なのかしら」


「……」


 何を投げても、唐橋は口を割らない。いや、口を開かない。

 だんだんみんながじれてきたのが露骨に分かるのだが、いったいどうすればいいのやら。


 そこで、紗英が仕方なしに。


「唐橋さん、突然こんなところまで来たんだから、何か目的があるんでしょう? 今日は、何のためにここに来たんだい?」


 さっきとは違って、できるだけ優しく努めて、唐橋に話しかけたそのとき。

 くいっと俺の服を引っ張る誰かがいた。


 小百合だ。


「あ、あの、お兄ちゃん?」


「どうした小百合? 今は少し取りこみ中……」


「え、ええと、その方なんですけど……」


「……ん?」


 わが妹にこんな修羅場を見せるのもはばかられるので、なんとかお引き取り願おうとしていたんだけど。

 小百合は、ひそひそ声で俺に話を続ける。


「結構前から、ちらちらと喫茶店の中をのぞいてたりしてましたよ? 何かを探るように」


「へっ?」


 どうやら小百合も、唐橋の存在を知っていたようだ。あらびっくり。


「いつもいつも、喫茶店の中を確認した後、とぼとぼと去っていく姿が印象的だったので、憶えてます」


「……いつのころだ?」


「え、ええと、店が休業中だったころからずっと、ですね。最初はこの店の常連さんで、この喫茶店の営業再開が待ち遠しい方なのかな、と思ってたんですが、お店が再開しても外目から中を確認しては立ち去るだけだったので……ちょっと不思議に思って」


「おおう……」


 つまり、唐橋は小百合に気づかれるような頻度で、ここに来ていたということか。

 いやごめん、俺も紗英も気づいてなかったんじゃね、ソレ。

 少なくとも俺は気づいていない。


 何を考えてるんだろう、唐橋こいつは。


「……ありがとう小百合。しかし、よく唐橋のことに気づいたな。俺や紗英が全く気付いてなかったのに」


「ステルスモード発動しながら覗いてましたからね、あのお姉さん。たぶん、影が薄すぎて気づかなかっただけかと」


「どこかの東横さんかいな」


 そんなオカルトありえません。

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