肩車……の誘惑

 ここでできる兄は。

 話題転換という、基本かつ最強の切り札を切った。


「と、ところで小百合。紗英からもらった服、俺はまだ見せてもらってないものがたくさんあると思うんだが。いったいどんなのがあるんだ?」


「え? そ、それはデートの時までナイショです」


「いやいやでもさ。デートの時以外にも着れる服あるじゃないか。そういうにも見ておきたいんだよね」


「あ、あの、でも……」


 ちょっと話題転換に必死の兄、兄に押されて戸惑う妹。

 うむ、ごまかすにはあと一歩……


「睦月ー! ちょっと蛍光灯切れちゃったから、取り替えてー!」


 とか計算してたら、さらなる助け舟の出現。奥にいるおふくろからそんな声がかかった。

 呼ばれて行ってみれば、無駄に天井が高い居間の隅にある蛍光灯が、命の灯を消す直前のごとく、暗く点滅していた。


「まだLEDにしてなかったのか、ここ」


「仕方ないでしょ、蛍光灯の買い置きが大量に余ってたんだから」


「……あっそ。で、脚立は?」


「あ」


 そこでおふくろが、何かを思い出したようにため息を漏らした。


「そういえば、恵理が脚立を壊しちゃったのよねえ……」


「いやそれおかしいでしょ。逆にどうやったら脚立が壊れるのさ」


「そんなこと言われても……恵理が使ったら、ストッパーが劣化してたのか、折れちゃったんだもの。しょうがないじゃない」


 納得いくようないかないような説明だが、まあたしかにウチにあった脚立は年代物だ。俺が産まれる前からあったはずだしな。

 形あるものいつかは壊れる、これは仕方ないと思う。


「ま、それはそれとしても。この高さだと、俺が椅子に乗っても届かないよ」


「あらそうなの。困ったわねえ……」


「……どうかしたんですか?」


 そこでひょこっと、後追いしてきた小百合が口を挟んできた。


「ああ、それなら小百合ちゃんを肩車してあげたら、届くかな?」


「ふぇ?」


 おふくろの突然なネタ振りにわけのわからない顔をした小百合だが。


「いや、肩車はさすがに小百合がいやがるでしょ」


 さすがに中学生にもなって、兄に肩車される妹、という絵図もなんかねえ。


「……お兄ちゃんが、わたしを肩車してくれるんですか?」


 とか思ってたのは俺だけか。

 肩車、という単語に敏感に反応した小百合が、そう聞き返してきて。


「あ、ああ。あそこの蛍光灯を交換したいんだが、脚立が壊れてて使えないようで……小百合を肩車したら届くかな、って冗談で」


「わ、わたし、手伝います!」


「……はい?」


 俺が説明も兼ねてそう答えると、小百合はこぶしを握り締めながら、手伝うことを快諾……いや、半ば手伝わせろ、みたいなニュアンスの口調で力説してきたんですけど。

 どうかしたんか?


「お兄ちゃんと肩車、お兄ちゃんの肩車……よ、よろこんで手伝いますよ!」


「……」


 そんなに肩車されたいのね。悟った。

 父がいないものとして生きてきた小百合は、小さいころ肩車をされた記憶もないのだろう。だからこそ、かもしれない。いや、兄妹なんだからいつでも肩車くらいはしてあげるけど、という言葉はいちおう自粛して。


「それじゃ、お願いしようかな。私と恵理はまだ店が忙しいから、悪いけど睦月と小百合ちゃん、よろしくね」


「は、はい! 任されました!」


「……おおう」


 そんなことを言い残し、おふくろが去った後。

 小百合が顔を赤らめながら迫ってきた。


「あ、あの! じゃ、じゃあ、肩車用に着替えてきますから、お兄ちゃんは少し待っててください!」


「いや、別に肩車するからって、着替える必要……」


「いいから待っててください! 初めての肩車の記念なので!」


「は、はいな」


 小百合の迫力に押され負け。デートの服装は明かせなくても肩車時には着替えるのか。

 理解に苦しむところだが、仕方ない。兄は妹には一生勝てないのです。



 ―・―・―・―・―・―・―



 そうして五分ほどしてから、小百合が着替えて戻ってきた……のはいいとしても。


「着替え完了です! さあ、ちゃっちゃと肩車して蛍光灯を替えちゃいましょう!」


「……なあ小百合」


「なんですか?」


「これから肩車するのに、なんでスカートを穿いてきたんだ? しかもミニ」


 着替えてきた小百合が身に着けていたのは、落ち着いたグレンチェック柄の、ミニのプリーツスカートである。

 紗英からもらった大事なスカートを、なぜ今ここで穿くのか疑問。


「え、あ、だ、だって、お兄ちゃんの肩車ですよね?」


「ああ」


「な、ならば、お兄ちゃんに失礼がないようにと」


「……言ってる意味がよくわからないんだけど」


「と、とにかく、妹としての最低限の礼儀です!」


「……まあいいや」


 なんとなくだけど、押し問答みたいな予感がして、深く突っ込むのはやめることにした。

 ま、どうせチャチャッと交換して終わるわけだし。


「じゃあ、ちょっと怖いかもしれないけど、肩車でよろしく。はい、どうぞ」


 俺がそう言って小百合の前でしゃがむと。

 おそるおそる小百合が、前から俺の首筋にまたがろうとしてきた。


「ちゃう! ちゃう! 普通は後ろからまたがるでしょ、肩車って!」


「そ、そうなんですね……初めてなので、わからなくて」


 いやわかるでしょ、肩車がどういうものか理解していれば。

 というか前から肩に乗ったら、それ肩車じゃなくて何かいやらしい別のアレだ。


 というわけで仕切り直し。

 今度は後ろから小百合がおそるおそる右足、そして左足の順で俺の肩に乗るようにまたがってきた。


 ふわっ。


 なんだろう、首元がなんか落ち着かない。ああ、小百合がスカートだから、裾が当たる感じでそう思うのか。


 ……いや。なぜか小百合のフトモモが触れているあたりも落ち着かないわ。生暖かい。

 こりゃ困った。だが俺は兄、そんなスケベ心など心頭滅却するに限る。


 というわけで、任務を果たすべく、フトモモに触れないように小百合の足を押さえて立ち上がる兄。勃ち上がってはいないからな、一応宣言しとくけど。


「大丈夫か? はずせそうか?」


「あ、はい。なんとか……きゃあっ!!」


「なんだ、どうした!?」


「く、蜘蛛の巣にからまった虫の死骸があぁぁぁ!」


「なに? たくさんいるのか?」


「あ、あふぅっ、お、押し付けるようにグリグリと首を動かさないでくださあああぁぁぁい!!」


「お、おう……すまない」


 なんか色っぽい声が聞こえ……心頭滅却心頭滅却。色即是空空即是色気。あ、間違えた。俺はただ蜘蛛の巣に引っかかっていた虫の死骸を確認したかっただけなのに、肩車という体勢がそれを許さなかったようである。


「は、はずせました」


 悪戦苦闘の末に蛍光灯を外した小百合が、手渡しで埃だらけの蛍光灯を俺に渡してきた。


「あ、ああ、ちょっと待っててな。まずこの蛍光灯をここに置いて……と」


 ちょっとかがんで、俺はブツを壁に立てかけ、新しく取り付ける蛍光灯を手に取り小百合に渡す。


「じゃあもう一度立ち上がるからな。いちにの、さん」


「ひゃあひいっっ!」


「……どうした今の声は。何かあったか?」


「あ、ああああい、いい、い、いいえ何もないです」


 再度立ち上がると、それに合わせ小百合が俺の首を挟む太ももに力を込めてきた。スタンドでの首四の字固め

 なにこれなんのご褒美だ、というやつもいるかもしれないが、妹に絞め落とされるなんて兄のプライドが許さないわい。


 ああ、ちなみに小百合のフトモモはスベスベだった。ちょっと細いけどな。もう少し肉づきをよくしてくれたほうが兄としては好みである。今後も計画的に餌付けしないとダメかも。


「う、うまくハマりません」


「ああ、蛍光灯の先っちょをうまく合わせて、ぐっと押し出すようにしないと、うまくハマらないぞ」


「先っちょ……先っちょ……合わせてグッと……」


 ズボッ。


「あ」


「うまく入ったか?」


「は、はい! ちゃんと奥まで入りました!」


 オノマトペがおかしいとか、兄として何かを試されているとか、思うところはいろいろあるが。

 まあいいや、ミッションは達成したわけで。俺は安堵のため息をつく。


「そうか。お疲れさん。じゃあ、肩車から降り……」


 そう言いかけたら、突然小百合が頭にしがみついてきた。

 まるで駄々をこねる子供のようなそぶりとしか思えない。


「あ、あの。お願いなんですけど、もう少し、このままで……」


「……ほ? まあ、別に構わないよ。好きなだけ」


 そんなに気に入ったか。


「あ、ありがとうございます! えへへぇ……初めての肩車、最高です……」


 ま、そのくらいお安い御用だから、遠慮せずにしばらく小百合の太ももに挟まれていましょ。兄の役得、ということにしておく。


 父親の代わりになれたのか、甚だ疑問だけど。

 小百合の歓び以上に尊いものはないはずだから、終わり良ければすべて良し、と自分に言い聞かせておきましょうかね。


 ちなみに小百合の中では、いま穿いていたスカートは俺に肩車されるとき専用の衣装と決まったようで。

 その後、小百合の部屋に行ったとき、飾ってあったスカートに『お兄ちゃんの肩車専用』とデカいタグがつけられていたのを発見したのはここだけの話である。


 ……で、肝心のデートの時は、何を着るんだ?

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