それぞれに様子がおかしい

 そういや、永井がいないな。


 講義が始まってふと気づく。あいつ、確かに変態だけどむやみやたらに大学をサボるようなやつではないのだが。

 ま、いないならいないで平和ではあるので、どうでもいいと言えばどうでもいいや。


 そして結局、胡桃沢はいつも通りで、ちょっと拍子抜けした感はあった。俺が意識しすぎただけなのかもしれない。

 というか、百戦錬磨っぽい胡桃沢と初心者も甚だしい俺を同じレベルで比べてはいけないのだろう。


 それでも。


「ねー、宮沢っち。ここさ……」


「あ……ああ、これは捕捉ほそくされてるイオンがカリウムじゃないの?」


「そっか。クラウンエーテルの大きさによって変わるんだねー」


 小百合のシャンプーのにおいよりも大人びた上品なフローラルの香りが、少しだけ俺を惑わせる。

 なぜか俺のパーソナルスペースに胡桃沢が入り込んでくるような錯覚すら感じ……いや、これは気のせいではないだろう。


 …………


 ま、少しだけなら、いいか。



 ―・―・―・―・―・―・―



「ねー、宮沢っちに坪井っち、一緒にカフェ行かない?」


 二コマ目の講義が終わりすぐに、胡桃沢にそう誘われた。

 別に断る理由もないが……


「うん、ボクはいいけど、睦月は?」


「俺も別に」


 紗英もOKということで、三人で向かうことに決定。

 ま、カフェテリアは化学科の集まるところだから、わざわざ前もって確認する必要は感じないのだが。

 あちらで偶然会うのではなく、最初から一緒に食べるという意思表示が重要なんだろう。


「ほらほら、はやくいこーよ! 席なくなっちゃうよ?」


 そう言いつつ、やや駆け足で胡桃沢は俺たちの前を歩く。

 きょうの胡桃沢はタイトなミニスカートを穿いてるせいか、むっちりとしたお尻がやけに目について仕方がない。


「……睦月?」


「あ、ああ。どうかしたか紗英?」


「……いや別に。確かに混雑しそうだし、ボクたちも急ごうか」


 紗英は、何かを言いかけてやめたような態度のあと、早足で前にいた胡桃沢に並んだ。


 いかんいかん。確かに胡桃沢はわりとグラマラスな体つきしてるけど、こんなふうに見てしまってはただのヘンタイさんになってしまいそうだ。自制心自制心。


 そうしてカフェテリアに入ると、案の定混雑していた。が、なぜかまわりの座席が空席になっているスペースに気づく。その中心にいるのは一人の黒髪の女性。


 ──あ。あれ、サーシャじゃん。まだ黒髪のままか。


「なんでサーシャのまわり、誰もいないんだ?」


「……さあ?」


 怪訝な顔つきでそう会話する俺と紗英を尻目に、胡桃沢はトタトタとサーシャのほうへ近づいていく。


「ハイ、サーシャ。ここの席、空いてるの?」


「見ての通り」


「じゃ、真砂たちが座ってもいいよね! おーいここここ!」


 五秒で話がまとまったようなので、仕方なしに俺はサーシャの向かいに座る。隣は胡桃沢、サーシャの横は紗英だ。

 昨日注意されたことを忠実に守る。


「二コマ目終わってから、まさかこうもすんなりカフェの座席をキープできるとは思わなんだ」


「うん……サーシャちゃん、まだ黒いままなんだね」


 素直に礼を言う代わりに、椅子に座ったあとの第一声をヘンな会話で濁す俺と紗英。


「クロイ……腹が?」


「一応サーシャにも自覚はあるんだな。安心した」


「お腹はいちおう気にかけてるつもりなんだけど……そんなに黒い?」


 公衆の面前であることを少しも考慮せず、そこでおもむろに着ている服をめくって自分の腹を晒すサーシャを、紗英が慌ててカバンでブロックした。間一髪。


「サーシャちゃん! 何やってるのこんなところで!」


「そーだよサーシャ、カフェの歌姫のお腹は見物料取れるんだから」


 サーシャのご乱心には胡桃沢も慣れたもの。ちなみにサーシャは『カフェテリアの歌姫』と言う隠れた通り名があるが、まあそう呼ばれる理由については今は割愛する。


 ……ひょっとして、サーシャが黒髪だったから、みんな恐れをなして近くの席に座らなかっただけだったりしてな。なんか遠巻きに見られてる感あるよこれ。


「というか、サーシャよ。なぜまだ黒い頭を継続してるんだ?」


「たんに気に入ったから、だけど?」


 さいですか。そりゃよござんした。

 まあよくわからんけど、髪だけじゃなく眉毛まで黒く染めてるサーシャは、ある意味で気合い入ってるといえなくもないわ。顔立ちが違いすぎて逆に悪目立ちしてることを指摘するのは野暮ってもんか。


「あははー、ノリで勧めたのにまさかここまで気に入るとはねー。まあ似合ってるしいいんじゃない?」


「そう、ワタシ、これで完全無欠なニホンジン」


 胡桃沢の無責任すぎる一言を軽くいなし、サーシャが自身の黒髪をなでながらカタコトっぽく日本語でそんなセリフをのたまう様は、何かのコメディーとしか思えない。


「バカかい。そこら辺の日本人より日本語をうまく操れるくせに、何を今さら言ってるんだサーシャは」


 思わずツッコミ入れちまったわ。

 少なくとも今は、サーシャを外国人と意識して話しかけたりはしてない。最初のころは確かに面食らったけどな。


「……うん、そうだね。サーシャちゃんは、黒髪じゃなくても、もう立派な日本人だよ」


 茶目っ気たっぷりで言い放った俺の言葉の後に、紗英が真面目な声色でそう続いてきた。自分の髪をなでるサーシャの手が、そこで止まる。


「……アリガト」


 ちょっとだけ照れたふうにうつむく、サーシャのそのしぐさは珍しい。

 何かあるんだろうか、サーシャの反応がいつもと違うな。少しだけ調子が狂う。


 ピエン♪


 だがそこで、そんな懸念を吹っ飛ばすようなメッセージがスマホに届いた。

 小百合からだ。


『ぴえん』


 昼休みだけど、いきなりどうしたのかとすぐさまチェックすると、あまりにも不穏な三文字。

 何があった、と問いただすも既読すらつかない。


「……いったい、小百合ちゃんに何が……」


 俺と同じように紗英も、スマホをチェックして固まっている。


 ……って。おい紗英、ひょっとしてそっちにも同じメッセージが届いてたりするのか? なぜ小百合とライソでつながっている? いつの間に?


 まあそれは後ほど、きっちり問いただすとして。

 きょう、転校初日だよな。まさか初日からいじめに遭った……とかなのか?




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る