きょうだけだから

「こーら、小百合ちゃん?」


「え、えへへ……」


「大学は遊ぶところじゃないの。だめでしょ、黙ってついてきたりしたら」


 紗英が小百合のところへ行って、そうたしなめる。


 そしてまわりは。


「なになに!? どこからさらってきたの、宮沢っちはー?」


「おおう……はかなげな美少女の頭をなでる紗英きゅん……尊い」


「…………ふっ、コドモね」


 三者三様の反応。

 正直に言えば、もっと生徒数が多いと紛れ込んでわからなくなることもあるのだが、この閑散とした状況では目立って仕方ない。


「宮沢っちの誘拐ということで警察に連絡していいかなー?」


「そんな犯罪行為するわけないだろ、米子さんじゃあるまいし」


「あー……それもそっか。なーんだ、せっかく宮沢っちの弱みを握れるかと思ったのに」


 胡桃沢、油断も隙もないな。こいつにだけは弱みを握らせないようにしないと。


 ちなみに、米子さんのことを知らない化学科の学生はモグリだと断言できるくらい、悪名が響きわたっている。まだ入学して一か月も経ってないというのに、期待を裏切らないこのヒューマノイドタイフーンぶりよ。


 ──はあ、しかたない。


「……小百合」


 俺はゆっくり立ち上がり、小百合のほうまで歩いて、上から見下ろすように前に立った。


「……ひくっ」


 あ、小百合が涙目だ。今にも泣き出しそう。

 これはいかん。俺は小百合の前で屈み、目線の高さを合わせて優しく諭すことにした。


「小百合のことをかまってやれない俺が、困っちゃうから……勝手に大学にきちゃ、だめだよ?」


 壊さないように、同時に頭をなーでなですることも忘れない。


 それでも。


「あ、あは……ひ、ひっく、ご、ごめんなさい……」


 小百合が泣き出してしまった。大失敗。


「ご、ごめ……なさい、さみしくて、め、めいわくとかかんがえずに、きちゃいました……ぐすっ、ほんとうに、ごめんなさい……」


 泣く子と小百合には勝てない。二つ合わさったら無敵。

 どうすりゃいいのかわからない俺は、オロオロしながら紗英に視線を送ったが。

 紗英も突然で半分フリーズしている模様。


「あーあ、宮沢っち、泣かせちゃったー」


「黙れ」


「いーけないんだいけないんだー、せーんせいにゆってやろー」


 だから黙れ胡桃沢。お前は小学生か。そんなにイヤなやつではないという言葉は撤回させてもらう。


 と、ちょうどその時。

 講義室の前の扉が開いた。


「……なんだこれは……ん?」


 本当にセンセイが来ちゃったよ。いやセンセイじゃなくて黒田教授だけど。


 教授は生徒が数えるほどしかいない講義室を確認するなり呆れたようだが、少し経ってから泣いてる小百合に気が付いた。


「なんだ、ずいぶんとかわいらしいお嬢ちゃんがいるじゃないか。いったいどうした?」


 教授は俺たちにそう問いかけてくる。当然ながら、その質問に答えられる人間は俺しかいない。


 ──これ以上、小百合を泣かせないためには、俺がお願いするしかない。


「あ、あの! 大変申し訳ないんですが、黒田教授。俺の妹が大学についてきちゃって、今から帰すのも難しいので……講義の邪魔はさせませんから、ここにおいてもらえないでしょうか?」


「……妹?」


「はい」


 黒田教授は少しだけ小百合を凝視して、見られた小百合は知らない大人に見られたことに対する怯えのせいか、泣くのを一時止めた。


 が。


「……いいぞ。こんなガラガラな状況だ、妹さんにも講義を聴いてもらうとしよう。むしろ、ここに来ない学生よりはるかに可愛げがあるじゃないか、いくら連休あけとは言え。なあ?」


「確かに」

「……異議はありません」

「みんながいいなら、真砂も別にいいよ?」


 まさかのOK。教授の許しがあれば、学生に文句など言えないだろう。


「い、いいんですか……本当に?」


 小百合は逆に戸惑っている。


「ああ。その代わり、講義を真剣に聴くこと。たとえチンプンカンプンなことだとしても。約束できるか、お嬢ちゃん?」


「は、はい! ありがとうございます!」


「ならよろしい。言っておくが、今日だけだからな?」


 そうやってにこやかに笑う黒田教授に、ガラガラの教室内が和んだ。

 うわー、黒田教授、ほんとにいい人。こういう人の研究室に行ってみたいもんだ。

 四年になったら生化学希望しようかな。


「……というわけだ。じゃあ小百合、今日だけだが、一緒に講義を受けようか。テキストは俺が見せてあげるから」


 俺は席を移動させ、小百合の隣に座る。


「は、はい!」


 今泣いた小百合がもう笑った。まったく、世話の焼ける妹だよ。

 でもさ、なんかいいな。兄妹で大学の講義を受けられるなんてさ。


「ちぇっ、妹ちゃんにとられちゃったよー……」


「妬かない妬かない、真砂ちゃん。今日だけは勘弁してあげて」


「仕方ないなー。でもさ……宮沢っち、あんな笑顔もできるんだね」


「……ふふっ、そうだね」


 周りの雑音は無視無視。

 さて、小百合には難しいだろうけど、生体物質科学の講義スタートだ。



 ………………


 …………


 ……



 講義終了。

 今日はDNAの塩基配列に関する講義だった。

 DNAの塩基は四種類、グアニン、シトシン、アデニン、チミン。それぞれG、C、A、Tと略することが多い。


「初めて大学の講義を受けた感想はどうだ、小百合?」


「む、難しすぎて、異次元でした……」


 ま、そりゃそうだろうな。中学生にはまだ早い。教授の言う通り本気で講義を聴いていたようだけど。

 気のせいか教授もすごく説明が丁寧だったような。おかげで理解するのもわりと楽だった。小百合効果かもしれない。


「でも、お兄ちゃんと一緒に受けられて……雰囲気だけは、すごく楽しかったです」


「ならよかった。今日の部分は、遺伝子的に重要な部分だったからな。グアニン、シトシン、アデニン、チミン。俺も覚えたよ」


「えーと、グアニンがG、シトシンがC、アデニンがA、チミンがT……ですよね?」


 必死に聞いていたせいか小百合もそれだけは覚えた模様。これはDNAに関して重要な知識だからな、どこかで自慢できる……ことなんてないか。


「おおすごい、ちゃんと覚えているじゃないか。そうだ、G、C、A、Tだぞ。忘れないでね」


「は、はい! ぼんばへっ、の人ですね!」


「それじゃM、C、A、Tになっちゃうだろ」

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