麻薬みたいなお茶
少しだけ、同居という日常に慣れた昼時。
「小百合はどこ行ったんだ……?」
お昼ご飯だよーと声をかけるため、小百合の姿を探したが見当たらない。
「おかしいなあ……ほかに行くところは……いや、ひょっとすると」
うろうろした挙句、俺は、まだ休業中である『フロイライン』のフロアに顔を出してみた。
「……あ、やっぱり。ここだったか」
小百合が、他に誰もいないカウンター席に座って、ぼーっとメニューを眺めているところが目に入る。
「……どうした、小百合?」
「あ……勝手に入っちゃってごめんなさい」
優しく声をかけたが、悪さをした後に謝るような感じの小百合。
「何も問題ないよ。なんでメニュー見てたの?」
「あ、あの、なんか知らない飲み物がいっぱい書いてあるなあ……って」
「そか」
まあ確かに小百合の年齢では、コーヒーの種類なんて詳しく知らないだろう。物珍しそうに眺めていてもおかしくない。
「コーヒーだけでも、こんなに種類があるなんて……」
「まあ、微妙に味が違うからね。小百合はコーヒー好き? 苦いのは平気?」
小百合は無言でプルプルと首を左右に振る。
「苦いのは平気なんですけど、飲んだことはありません」
「へえ。苦いの平気ってのは、中学生にしては珍しいね。抹茶とかが好きだからかな?」
「いえ、センブリ茶が、うちでは常備されてて」
「それ嗜好品じゃないだろ!? 苦みの程度が違うよ!」
「え、でも、何回煮出しても味が消えませんし……経済的なお茶ですよ?」
「そりゃ、センブリってのは千回煮出してもまだ苦いくらいだからなあ……」
あんな貧しい食生活でも胃腸がおかしくならなかったのは、センブリ茶のおかげなのだろうか。おまけにセンブリなんてそこらへんの野山で入手できそうだし。ほとんど雑草。
恐るべし貧乏生活。まさしく医食同源。
「お茶は大好きです。ドクダミ茶とか」
「……まさかとは思うけど、どっかで採取してた?」
「アパートのトイレ裏にたくさん生えてましたけど……」
「Oh……」
センブリもドクダミも自前で乾燥加工してお茶に仕立てていたんだろーな。石井家の母娘はきっと無人島でもたくましく生きていけることだろう。
達観した俺。
「ま、まあ、それはともかくとしてだ。お茶が好きなら、メニューの中で何か飲みたいものはある? 特別に淹れてあげるよ」
「……いいんですか? 本当に?」
せっかく喫茶店にいるんだから、よりおいしいお茶を飲ませてあげたい。
遠慮がちにお伺いを立ててくるような小百合のためなら、高級茶葉でもバンバン惜しみなく使っちゃうぞー、お兄ちゃんは。
「もちろんだよ。なにがいい?」
俺の許しを受け、小百合はメニューを見ながら真剣に悩み始めた。
「……じゃあ、この、『マリファナ茶』というのをお願いします」
「あれー? 残念ながら
大麻茶ってのは確かに存在するんだが、マリファナとなると手が後ろに回ってしまふ。法に触れない範囲でお願いしたい。
「え……これは、ちがうんですか?」
おずおずと小百合が指さしたメニューの文字は……”
「あのね、小百合。それは、『まつりかちゃ』って読むんだよ。ジャスミンティーのこと」
「そう、なんですね……アパートの隣に住んでいる、以前女優だったらしいやさしいおばさんが、いつも『マリファナ最高!』って言っているものですから、それだけ美味しいのかと……」
「ストォォォォーーーーップ! それ以上いけない!」
ちょっと待った、あの人か、あの人なのか。
万葉市の片田舎に住んでるなんて情報聞いてないぞ。きっと他人の空似だろう。もしくは親類か。そうに違いない。
「しょぼーん……」
まあ、でも。
美味しそうだと思ってた小百合の夢を壊さないのが、できる兄ってもんだ。
「……じゃあ、ちょっと待ってて。麻薬みたいに美味しいジャスミンティー、淹れてあげるから」
ジャスミンティーって、実はお茶としてはそんなに高価ではないんだけど。
フロイラインの茉莉花茶はそんじょそこらのものとは一緒にしてほしくない最高級品だ、という自負はある。
──というわけで。
「はい、きっと気に入ってもらえると思うよ、フロイラインの自慢の一品」
小百合の前に、心を込めて淹れた渾身の一杯を出す。店でもふだん使わないような、とっておきの白いティーカップを使ったのは内緒で。
「わあ……湯気が、いい香り……」
あたり一面に広がるこの香りこそ、高級なジャスミンティーの証だ。
未知の香りにつられ、おそるおそる、という感じで一口飲むと、小百合が満面の笑みになる。
「……! すごく、美味しいです……」
「気に入ってもらえたようでよかった。小百合のために淹れたからね」
できる兄ならば、くさいセリフもなんのその。
ティーカップを見て、俺を見て、またティーカップを見て。
はにかむ小百合の癒し効果は絶大だ。
「はい……この香りを感じるたび、お兄ちゃんのやさしさをきっと思い出すと思います……」
「……あはは」
ちょっとだけ照れてしまい。
俺はまだまだ、完全無欠な甘やかし兄には程遠いと自覚したけれど。
「はぁぁ……こんな美味しいお茶、初めて……」
幸せなら、笑顔になろう。
そういう小百合を、俺はずっと見ていたいから。
「気に入ったのなら、また淹れてあげるよ」
「はい! うれしいです! このお店には、こんなにおいしいマリファナ茶があるんだよ、って隣のおばさんに自慢したいくらいです」
「あー、それ言いふらすとタイーホされちゃうから、このおいしさは俺と小百合二人だけのヒミツねー?」
あと、小百合には我が家で生活するうえで、せめて必要最低限なだけでも漢字の読み書きを教えよう。そう決意した。
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