第1夜  嵐の夜に

 ーー楓たちは帰ろうとしていたが、嵐に見舞われた。

 その為、一泊して行くことになった。


 楓は防人さきもりの街にある宿の一室から、大嵐とも言えるその暴風雨を見つめていた。


 外は真っ暗だ。

 街の中も雨と風で見舞われ電気は、点かない。


 ただ、この街は“ランプ”が主流だ。

 その為、灯りには困らない。


 ガタガタ……


 分厚い窓が音をたてる。

 雨が打ち付ける。


「楓。」


 葉霧が部屋に入ってきた。

 その手には、ランタンをもっている。


 宿の中もランプで明るいが、人の目には少し薄暗い。

 煉瓦造りの宿を歩くのには、少し暗いのだ。


 火は“紅炎の力”を灯した不思議な電球の様なもので、起こしており消える事は無いと言う。


 ランタンの中で灯しているのも、電球の様な丸いものだ。石でもなくガラスでもない。

 水晶球の様な物が火を灯している。


「何か食べないのか? 具合でも悪いのか?」


 葉霧は右手にランタン。

 左手にお皿。そこには宿のシェフが作った簡単な夜食用のサンドイッチ。白い布が掛かっていた。


「うん……」


 楓は窓の外の暴風雨を眺めている。


 葉霧はたった今、みんなと夕食を摂ってきたばかりだ。いつもなら、食事となると一番喜ぶ楓は、行かない。と、言い出した。


 心配ではあったが、その頑固さはわかっている。

 だから、こうして簡単なモノを用意して貰った。


 葉霧はランタンとお皿を丸い木のテーブルに置く。


 この部屋はツインルーム。

 ベッドとテーブルと椅子。


 こじんまりとした宿だが、二人で泊まるにはちょうどいい。


 窓の側のベッドに葉霧は、腰掛けた。

 楓を見上げる。


「どうかしたのか?」


 オレンジのランプはベッドの上からも照らす。

 壁には幾つかランプがあるが、天井にはない。

 淡い光が煉瓦造りの部屋を照らす。


「オレ達は……」


 楓は言いかけて止めた。

 葉霧は黙って聞く。その瞳は心配に満ちていた。


「オレ達……“あやかし”は、現世に居ていいのか? 本当は帰る場所があるんじゃないか? そこから出ちゃ行けないんじゃないか?」


 楓の蒼い眼は、雨を見つめていた。

 強い雨を。


 葉霧はそれを聞くと俯く。


(ずっと……思ってきたことだ。幻世うつせの話を聞いてから、いつか……“言い出す”んじゃないかと、思ってきた。楓は、きっと……“自責の念”と、存在理由に心を奪われる。そうーー、思ってきたんだ。俺は……)


 葉霧は顔をあげた。


「行きたいのか? 幻世うつせに。」


 窓の外で強い風と雨がうねる。


 ガタガタ……


 窓を揺らす。


 楓は振り向いた。


 葉霧の哀しそうな瞳がそこにはあった。

 だが、何処かで“やっぱりな”と、言おうともしていた。

 その表情は。


「それとも……同じ“鬼”がいる事を知って……帰りたくなった? 平安の世に……。その世界に行けば、そうゆう暮らしに戻れるかもしれない。」


 葉霧は楓を真っ直ぐと見つめた。


 楓は、ぎゅっ。と、手を握り締めた。


「違う。オレ達が出て来るから……人間が死ぬ。いちゃいけないんだ。コッチに。」


(また……泣きそうな顔をしてる……)


 葉霧は楓の泣きそうな顔を見つめていた。

 この顔を見るとどうにも苦しくなる。


 ぎゅうっと、胸を締め付けられる様な気持ちになる。

 苦しくていたたまれない。


「楓。それでも“俺は行かせるつもりもないし、離すつもりもない”。それだけは忘れるな。」


 遠くで……雷鳴が轟いた。

 稲光が空を走る。


 嵐は更に強さを増した。

 窓を打ち付ける雨と風も。


 葉霧のその声を楓は聞いて、胸元を掴む。

 ぎゅっとTシャツを掴んだ。


「……葉霧は……ズルいぞ。」


 顔を俯かせた。


「それに……“バカ”だ。反対されるかもしんないのに。」


 葉霧は絞り出す様な声でそう言った楓を、ふっ。と、柔らかく見つめた。


 その笑みは優しげでありつつも、哀しそうでもあった。


「誰に?」


 そう聞いた。


「人間だ。葉霧の事を大切だと思う人達。この世界の人間が……オレ達の存在を知れば……消えてくれ。と思う。平和じゃなくなるんだ。そんなのイヤだろ?」


 楓は俯いたままそう言った。

 葉霧は、それを聞くと笑う。


「バカなのは楓だ。」


 と、そう言った。


「え?」


 楓は顔をあげた。


 その目を見開く。


「楓は……そんな人間の為に、血を流し戦ってきた。涙も流してきた。護ろうとしてきた。“鬼”だから嫌われるんじゃない。人間を欲望の為に殺すから、嫌われるんだ。」


 楓は葉霧の優しい声を聞く。

 自然とぽろっと涙が落ちる。


「楓は“してない”。俺はそれを見てきたから知ってる。もしも、楓の事を鬼だからと嫌う人間がいたら、俺はそれを許さない。楓はそんな“くだらない奴”じゃない。」


 葉霧がそう言った時には……楓は、その優しい眼差しをする腕の中に飛び込んでいた。


 葉霧は楓の背中を擦る。


 首にしがみつき泣きじゃくる楓の背中を擦り、ぎゅっと抱く。


「大丈夫だ。“俺がいる”。一人にはしない。絶対に。」


 楓は葉霧の肩に頭をくっつけながら、泣き喚いた。


 えんえん。と、子供の様に泣いた。豪快に。


 葉霧は微笑みながら頭を撫でる。


(不安……だったんだな。楓も。もっと早く……“伝えるべき”だった。)


 葉霧は楓の髪を撫でながらその耳元で、囁いた。


「来年になったら“18”になるんだ。楓……“結婚しよう”」


 楓はひくっ。と、涙がひっこんだ。


「へ……?」


 と、涙でぐしゃぐしゃな顔をあげた。

 ベッドに膝をつくと少し離れた。


 葉霧は、そんな楓の顔を見上げる。

 頬を伝う涙を拭う。

 その長い指で。


「ずっと“決めてはいた”んだ。来年になったら言うつもりだった。でも……“楓が不安”そうなのを見てるのはしんどいんだ。」


 楓は驚いていて……何も言えない。

 葉霧は楓の手を掴む。

 右手を。


「イヤだった?」


 と、そう聞いた。


 ふるふる……。楓は首を横に振った。


 葉霧は楓の前髪をそっとずらす。

 その蒼い眼を見つめる。


「返事……。“プロポーズ”したんだけど。」


 と、そう微笑む。


「あ……。」


 楓はようやく声をだした。

 だが、その先が出ない。


 それでも葉霧の自分の頬を撫でる手を掴む。


「……葉霧の……お嫁さんにしてください……」


 と、顔を真っ赤にしてそう言った。


 葉霧はたどたどしくもあり、照れて真っ赤な顔をしている楓のいじらしさに、微笑む。


 あやかしに“冥府へ逝け”などと、息巻く楓は今はいない。


 自分にだけ見せるこの“愛しい姿”


 葉霧は、楓の瞳を見つめる。


「いいよ。その代わり……“永遠”なんで。長いよ?」


 そう笑うと、楓はようやく笑顔になった。


「うん」


 強く頷く。


 葉霧は楓の頭に手を滑らせると、引き寄せた。

 楓は葉霧の肩に頭をくっつけて、抱き締められる温もりを感じていた。


 “鬼娘楓と退魔師末裔の葉霧……。

 鬼と人間の恋は……加速を始めていた。また少し絆が深まった”



 嵐の夜にーー。




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