第85話
「綺麗だよ……焔」
「ありがとうございます、父さん」
「違うだろ? 僕の名前を呼んでごらん」
「紅炎様」
「……」
異様な光景だった。ある日をさかえに兄は髪を伸ばすようになり、父も以前とは変わっていた。どう変わっていたのかはあきらかだった。兄に自分の名前を呼ばせたり、兄に女の子用の服を着せたりしていたのだ。
「あぁ、黒炎。焔は心の病でね、今は不安定な時期なんだ。だから出来るだけ声をかけないでおくれ」
「心の病ってなに? それに兄さんは男の子で……」
「黒炎、いい加減にしろ!」
「ご、ごめんなさい……」
俺が聞こうと思っても父は理由を言わず、ただ怒鳴った。前はそんな人じゃなかったのに。母が死んでから父の精神は保つのがやっとだったのだろう。
「兄さん、心の病ってホントなの?」
「そうです。だから放っておいてください」
父の目を盗んで兄に話しかけたが、兄も父と同じだった。以前の兄とは別人のように変わっていくのを見て、俺はわからなくなった。
これが俺の知っている兄? 尊敬していた? そんな疑念を抱くようになっていった。日々、女性に近づいていく兄。俺はそんな姿を見るのが辛かった。
「兄貴、どうしてこうなったんだよ!」
小学5年になる少し前、俺はすでにグレていた。
「わかりませんか? 心の病です」
「そんな嘘、通用すると思ってんのか!? もう嫌だ……こんなの、耐えられない!!」
少し成長した俺はわかっていた。兄のいう言葉が嘘だということも。だけど、本当のことを言わないから、兄は心の病だと自分に言い聞かせるしかなかった。
「黒炎!」
俺はその日、家を飛び出した。毎日毎日、父が構うのは兄である焔。俺には構わなくなったし、目も合わせなくなった。兄だって、この有様だ。
柊グループの次男だと知って近づいてくる大人。友達だって、父が手をまわしていたことを知って、仲良くしていた友人も俺から避けるようになった。
嘘ばかりの世界。家庭は母の死をキッカケに立ち直るどころか壊れている。グチャグチャで汚い。誰も信用なんて出来ない。
もう……そんな世界は見たくないんだ。
ここには俺の居場所はない。
そう思った俺はついに家出をすることを決意した。もちろん、何も持たずに、だ。あの家には二度と戻らない、そう誓った。
小学生のガキが何言ってんだって思うだろ? だけど、それ以上に当時の俺は限界だった。行くあてもなくさまよった。どのくらい歩いたかわからない。
「寒い……」
もうすぐ春になるとはいえ、まだ外は寒い。俺は、公園のベンチに一人でいた。声をかけてくれる人は誰もいなかった。どうせ俺は柊家の次男としてしか存在価値がない。でも、そんなのは嫌なんだ。
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