第34話 矛盾に塗れた想いがある。
————10年前の春。
俺は両親を失った。
交通事故だった。
たまの休日、両親が旅行に連れて行ってくれたんだ。
どこに行ったのかは覚えていない。煌めきに満ちた、幸せな思い出だったはずなのに。あの頃の俺にとっては、事故のことで頭がいっぱいで。何も思い出せなくなってしまった。
旅行の帰り道。
それは起きた。
居眠り運転だったらしい。
当時仕事で忙しかった両親は、相当に疲れが溜まっていたのだろう。
ほんの、数瞬。意識を手放した隙に、両親は命を失った。
事故の時、俺もまた後部座席で居眠りをしていた。まだ小さな子どもだ。旅行の疲れもあっただろう。それは仕方のないことだったのかもしれない。
だけど、目覚めた時。そのときにはすべては終わっていて。俺はすべてを失っていた。
なんの因果か、神さまの悪戯か。俺だけが生き残ってしまった。
そんな俺を襲ったのは深い、深い、深い哀しみと、後悔。
なぜ、居眠りなんてしてしまったのだろう。
俺が、両親に話しかけ続けていれば。旅行の思い出を、語り続けていれば。また行きたいだなんて言って、両親を喜ばせて、笑わせていれば。
こんなことにはならなかったかもしれないのに。
あの時の俺はまだ小さかったから。
そんなふうに責任を感じる必要はないと、人は言うだろう。だけど、割り切れるものじゃないんだ。理屈じゃないんだ。
決して拭えることのない後悔が、俺の中に生まれた。
しかしいくら都合のいいIFを思い描こうとも、それが現実になることはなく。
俺はたったひとり、母方の祖母に引き取られることになった。
事件後、学校に復帰した俺は荒れていた。
友人だったはずのクラスメイトたちと大喧嘩をした。たぶん、たいした理由もなかった。俺が一方的に突っかかったのだろう。
それ以来、友人も失った俺は学校でもひとりになった。
でも、そんなことはどうでもよかった。
大切なものなんてもういらない。
家族も、友人も。いらない。
大切なものとか、幸せとか。
そういうものはみんな、唐突に、突然に、消えてしまうものだから。
一瞬のうちにしかないものなのだから。
失った時に悲しむくらいなら、最初からなくていい。
そんなことを考えるようになった。
そんな時だ。
たまたま迷い込んだ公園の奥深く。桜の森の最奥に、彼女はいた。
その背中は、すごく小さくて。寂しそうで。今にも消えてしまいそうに見えた。
それと同時に、その身に宿す銀色がとても美しくて。眩しかった。
だけど、声をかける気なんてなかった。俺には関係のないことだから。俺はその場を立ち去ろうと思った。
だけど。彼女は俺に話しかけてきた。
それから俺はなんとなく、彼女との時間を過ごすようになった。
最初は暇つぶしのつもりだったのだろう。
だけど、だんだんと彼女に惹かれていく自分がいた。
俺とどこか似ていて、寂しそうな彼女。
たどたどしくも、色んな話をしてくれようとする彼女。
彼女といる時間はとても温かくて、穏やかで。
そんな時間を。ユキを。俺はいつしか好きになってしまったのだろう。
それからずっと、ユキは俺の隣にいた。ある事件を機に、さらに仲が深まった。
ユキだけが、俺の心に住んでいた。
俺の、たったひとつの大切になったんだ。
それからいくつもの季節を、ユキと過ごした。
そして高校生になった頃。
祖母が亡くなった。悲しかったけど、泣くこともなかった。
それから養護施設に送られるものだと思っていた俺に、思わぬ救いの手が差し伸べれる。
ユキの父・
俺は一人暮らしの身となった。
そこからだ。ユキがやけに俺の世話を焼くようになったのは。
一人暮らしをするからには何でも自分でやろうと思っていたのに。
家事はすべてユキがやってしまう。
今までよりもずっと、ユキといる時間が増えた。
それが嬉しくて、世話を焼かれるのもなんだかんだ悪くないと思えてしまって。
俺は結局今でも、ユキに甘えてしまっている。
それからまたしばらくして。
朝、起こしに来たユキに襲われかけた。
貞操を奪われかけたのだ。
俺の幼馴染はどうしてしまったのだろう。
その日から、ユキは小悪魔へと進化したらしい。スキンシップが増えた。やけにえっちなことも言ってくる、してくる。
それがどういう意味なのか。
実を言えば、俺は分かっているつもりだった。
きっとこれは、ユキからのメッセージだった。自分たちの関係性を、もう一歩進めたいというメッセージだった。
これを機に、俺もまたユキとの関係について考えるようになった。
だけど俺はユキのメッセージを躱し続けた。
そういう雰囲気にならないように努めた。
なぜか。
最初はやはり、怖かったからなのだろう。
ユキとキスをするということは。その先にまで至るということは。一生寄り添うと誓うということだ。一生愛すると誓うということだ。一生幸せにすると誓うということだ。
重いだなんだと言われようが知ったことじゃない。それはふたりぼっちである俺とユキの共通認識だと思う。
ユキには出来ていて、俺には出来ていない覚悟がそこにはあった。
俺には家族がいない。幼い頃に、両親を失った。そこには後悔ばかりが降り積もっている。
そんな俺が、ユキと恋仲になるなんて。いずれは家族になるなんて。そんなこと出来るのだろうか、と。
もし、家族になったとして。何らかの事故や病気やなんかで、ユキが死んでしまったら?
俺はそんな人生を認められるだろうか。
逆に俺が先に死んだら?
そんな人生をユキに歩ませる覚悟が、俺にあるだろうか。
大切な人は、いつかいなくなるんだ。煌めくような幸せなんて、長くは続かないんだ。
家族になんて、ならない方がいい。
悲しみが深くなるだけだから。
そんなものは求めない方がいいんだ。
だけどそれは俺の都合で。
俺は俺が苦しまなくていい方法ばかりを考えていて。
そんな自分が情けなくて仕方がなかった。
だからもう一度、考え直してみた。
考えて。考えて。考えて。考え抜いて。
ユキとなら、家族になれる未来があるのかもしれないと思えた。
銀色の幸せを歩めるのかもしれないと思えた。
ユキと過ごした10年の時間が、思い出が。俺にそう思わせてくれた。
ユキを幸せにしたいと。2人で幸せになりたいと。本気でそう思ったんだ。
しかし、それでも。
俺には何もないから。
お金もなければ。頭も良くなくて。まともな職に就けるような保証もない。
俺は本当にユキを幸せに出来るのか?
優秀な幼馴染に、迷惑をかけ続けるだけではないのか?
ユキを幸せにするというそんなひとつのことさえ、今の俺には保証できようもない。
大事だから。真剣だからこそ。適当なことなんてできなくて。言えなくて。身動きが取れなかった。
ユキの未来に、何もない俺は責任を持てなかった。
ユキの想いに応えることが出来なかった。
俺はどうしようもなく、子どもだった。
だから答えを先延ばしにして。逃げて。
いつかの未来でユキを幸せするにはどうしたら良いのか、考えていた。
いつかの未来まで待ってほしいと思っていた。だけどそれを伝える甲斐性さえ、俺にはなくて。
誠実であろうとしながら、不誠実を貫いていた。
矛盾に塗れた生活を送っていた。
そんな俺は、ユキを悲しませてしまって当然なのだろう。あんなふうに、泣かせてしまった俺には。彼女を幸せにすることなんて出来ないのだろう。
✳︎
あの日。あの縁日から、すでに一週間以上が経っていた。
ユキとはほとんど話せていない。
ユキが朝起こしに来てくれることもない。
こんな日々がいつまで続くのだろう。
放課後。
俺は鞄を持って、一人で教室を出ようとする。
すると誰かに出口を塞がれた。
眼鏡をかけた、インテリ風の男。
隣には
「どけよ」
「
磯貝は静かな炎を灯したような瞳で俺を睨みつけ、そう言った。
窓の向こうでは、激しい雨が降り続いていた。
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