第一章 【ヒビキ】(5/8)

 辻沢みたいな田舎にこんな素敵なバーがあったなんて。社長から直々に今日終わったら付き合ってって言われて、いつもの駅前の居酒屋かと思ったら、普通なら教えないんだけどって連れて来られた。ん、噛んだらぴりっときた。山椒の実? このカクテル、ブラッディー・ミヤギノって言うんだ。なんでもヴァンパイアに絡めればいいてもんじゃないだろ。

 辻沢は宮木野神社の祭神が実はヴァンパイアってくらいそれと縁が深い土地。平家の落ち武者みたいな感じで末裔伝説ってのもある。実際に古い家にはそれを示す特別な屋号があったりするらしいから、まったくの出鱈目といわけでないのは知ってる。だからって町おこしでヴァンパイアって、何なの? それもあのハナゲ町長になってからのこと。


 ここに来るとき、社長のポルポル運転させてもらった。やばいの通り越して、すんごかった、あの加速の快感はオトコを凌駕する。って、あたしまだ乙女だけど。

 あんな車、夢のまた夢なんだろーけど、やっぱ経験しとくのはいいことだと思う。目標がよりリアルに感じられるから。

「どうだった? ポルポル」

「やばかったです。ありがとーどざいました」

「アクセル踏みこんだとき、いきそーになったでしょ」

「社長。それはちょっと」

「あれ? ヒビキはこういうのダメな人だった?」

「イチオー、乙女ですから」

「ふーん。うそばっかり」

 で、わざわざポルポルを運転させていただいて、こんなおしゃれなバーにご一緒させていただいたので、そろそろご用件をお聞きしましょうか?

「例のさ」

 はい、ガラケーの件ですね。

「どお?」

 ドキュメントは完了届だけって言ったはずなのに。逐一、進捗報告をさせる。仕事はすべて任せてチェックだけはコマメに。完遂するイメージしか持ってない。上等のクライアントだよ、社長は。

「ネットワークにアクセスできそうです」

「もう? さすがヒビキだね。で、どんな?」

「偶然ですけど、学生時分の知り合いの名前が通話履歴に」

「おー、それでも大したもんだよ。とっかかりがビジネスの真ん中、ってね」

 だれの言葉だろ、シェリル・サンドバック? それとも社長の大好きなステーブ? ステーブ死んだとき、「ありがとう、ステーブ」って言ってボーダの涙だったらしいから。今も社長のPCの壁紙、ステーブの写真だもんね。例の白黒で顎に手を当ててるやつ。イマイチ分からない感覚だけど。


「あ、あたし」

 社長、どなたにお電話ですか?

「北村、今何してる? そうか。なら、大門前のいつものバーまで私のポルポル取りに来て。うん。そう。わるいな。10時半? 了解。お、そうだ。この間の企画書よかった。うん。お前主導で立ち上げてくれ。じゃあ、あとで」

「北村シニアマネですよね。大丈夫なんですか?」

 車とプロジェクトの運転、両方とも。

「うん。大丈夫。あいつ運転は慎重だから。まあ、いっつも怒鳴ってるの見せてるから、あいつのことそんなふうに思うのも仕方ないけど、あいつはあいつでいいところあってね。昔、辻沢不動産をうちの傘下に入れようってた時……」

 社長。その話、もう何度も聞きました。辻沢不動産の千福オーナーに3か月張り付いて、うんって言わせた。あいつは泥のように這いつくばって粘り強く仕事する昔ながらのビジネスマン、「二枚腰の北」と呼ばれてたっていう話ですよね。で、創業時一緒に汗したやつは特別とくる流れ。ちょっとうらやましい気がするけど、そこは踏み込んじゃいけない領域ってわきまえてますから。

「二人で3か月間、何してたと思う?」

 え? それ初めて聞くな? わかりません。

「芸者遊びだよ」

「3か月間芸者遊びって、お金かかりそうですね」

「いや。一銭もかかんなかったんだ、それが」

 全部、向う持ちってこと?

「ごっこ遊びだったんだ。千福と北村が姉妹の芸者って設定で、千福んとこで3か月間」

 芸者ごっこって、アタマオカシイ? どっちが? オーナー? 北村さん?

「北村の芸者姿もまんざらじゃなかったって」

 北村シニアマネ、見方180度変わった。


 北村シニアマネ来た。お疲れ様です(無声)。この人が白粉塗って着物着て踊ってたんだ。3カ月も。20年前はどんなだったか知らないけど、想像するのが恐ろしい。

 社長をお店の前でお見送り。

「ヒビキんち、ここから近かったよね。じゃあ、また来週。あっちのほうも期待してるよ」

 行っちゃった。ポルポル、もう点になってる。あたしんち、車だと陸橋渡れるからすぐだけど、歩くとなるとソートーかかるんですけど。

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