ハイヌウェレの受胎

kattern

写像

 西暦2220年。

 人類はついに地球外生命体とのコンタクトに成功した。人類が宇宙に向かって発信し続けた信号はついに宇宙という広大な海を越え、それを捉まえた生命体が返信文を我々に折り返したのだ。


 それは光速を越えることこそ叶わなかったが、断片的かつ限られた情報しかない我々の文明についての情報を、的確に分析した上で折り返されていた。つまるところ、その返信文は、我々の言葉であった。


 高度な文明と確かな知性をうかがわせる彼らは、文面の最初に。


「この広い宇宙で、同じ意識を持った種と出会えたことを嬉しく思う」


 と、なんとも人間味のある世辞まで添えてだ。


 両者、光を越える科学を持たぬ身のようである。

 どうやらしばらくは穏やかな文通が続き、手を取り合うのか、それとも戦火を交えるのかは数世紀の後になると考えられた。


 とまぁ、そんなことを考えながら、俺は研究室は自分に与えられたデスクの前でふんぞり返って白湯を呑んでいた。

 人間にはね、カフェインというのは不要なんだよ。

 水を飲んでいればいいんだよ、それが一番健康なんだなぁ。


「……妙だな」


「妙とは?」


 JAXA地球外生命体対策本部。

 NASAが発表した地球外生命体との第一接触の一報を受けて急遽作成された本チームには、さまざまな知見を持った研究者が国内から招聘された。物理学から生物学まで。おおよそ、人類の英知を誇るのにいるのかこんな奴らというゴミ溜めのような連中があつまって、何をしているかというと自分の研究である。


 チームに所属するなら研究費あげるよ。


 そんな政府の甘い文言につられて、飛んできたのは俺たち、くいつめ研究者Aチーム。俺の名は空条・J・太郎。まぁ、ヒトデの生態研究では日本で右に出る者はいない感じの奴だ。水棲生物の研究は、我が国の皇族のみなさまも専攻されておられる学問だから、それはそれはすばらしいのだ、えへん。


 そんな俺のはすかいの席で妙だと呟いたのは、俺と同じ匂いがするろくでなし。

 自称文化人類学者兼超常現象評論家の植田太郎氏である。芸術が爆発していそうななんとも形容し難い髪型をした彼は、わしわしと髪をかきむしると首を振った。


 おい、俺の話を聞きなさいよ、お前。


「植田センセイ。意味ありげに呟いて無視すんのはやめてくださいな」


「……返信文に遅れて届いた電子情報なんだが」


「はいはい、電子情報ね。ただのノイズなんじゃないのって、みんな言ってましたけれど」


「0x504B0506が検出されたんだ」


「……なんだって?」


 ZIP圧縮。

 セントラルディレクトリの終端レコードのシグネチャである。

 それはつまり、送付されたデータが、少なくともこちらの人類が持ち得る技術により、梱包されている事実を意味していた。それも圧縮され、少しでも光速にデータを送ろうという意図をもって。


 いや、問題はそこではない。


 どうして彼らがそんな技術を知っているのだろうか。ZIP圧縮技術を、地球人が彼らに伝えたことはない。なにせ、このコンタクトが、最初のものなのだから。

 よりコンパクトかつスマートに、情報を伝達するのに圧縮技術は必要不可欠なもの。

 だが、それは、相互にその意思伝達手法プロトコルが成立されていてこそはじめて意味を成す。


 知らない相手に圧縮した文章を送ったところでそれはただの怪奇文書だ。

 ともすれば、宇宙線のノイズを拾ったただの信号の揺れである。


 そう、少なくとも、植田氏が我々の知っている意思伝達手法プロトコルを発見するまで、それはなんの意味も持たないノイズであった。


「ZIPの構文に従って内容を解析した。見ろ、どうやら画像データらしい」


「画像データ」


「ほぉう、しかも興味深いことに、これはJPEG方式だ」


「それ、単体で送る訳にはいかなかったんですかね?」


「いや空条氏、それを語るのは早計だ。この画像データがそもそも、JPEG形式で撮影されたものだと考えれば、辻褄はあうんじゃないか」


「ZIPにJPEG。ちょっと待ってくださいよ、どうして向うさん、俺たちが二百年前から使っているデータ圧縮技法を使いこなしてやがるんです。こちらは普通に、無圧縮の電波を宇宙に向かって垂れ流しているっていうのに」


「YOU。そこがこの話の味噌だよ」


 YOUて。

 そんなん言う人、ドラマ以外で初めて見ましたYOU。


 やれやれだぜ。


 とりあえず、ヒトデの研究より文化人類学の研究をされている、植田センセの方がこの手のことは一日の長がありそうだ。俺は黙って、彼の推論を聞くことにした。


「おそらくだが、彼らは我々の文明に接触してこのデータ圧縮を行った訳ではない。彼らは彼らで、独自にこのデータ圧縮フォーマットにたどり着いたんだ」


「……待ってくださいよ。え、そんな天文学的な話ってあります。宇宙の果ての星と星。そこに住んでる知的生命体が、同じように進化して、同じような文明を持っていた」


「だからこそ彼らは我々のメッセージにいち早く応答することができた。ほら、また一つつじつまがあった」


「でたらめだ。いったい、どれくらいの奇跡を積み重ねればそんな」


「待ってくれ空条氏。どうやら、その謎は、この圧縮画像にあるらしい――」


 植田センセが手招きをする。

 俺は彼の後ろに回り込むと、ノートパソコンに映し出されているそれを覗き込んだ。展開されたフォルダ。タイトルは「ハイヌウェレ」となっている。


 ハイヌウェレ。

 南洋の女神。

 死して豊穣をもたらす者。

 しかしながらそれよりも、太平洋上に広く分布する類型神話の方でその名が知られている。日本神話にもその影響は見られ、比較神話学でも取り扱われるメジャーなものだ。


 はたして、その名前が付けられたフォルダに入っていた画像は――。


「……ほぉう、タイトル、ダークヤマダ・ナホコ.JPG!!」


「そこはかとなく日本人っぽい名前!!」


「サムネイルからでも分かる貧乳!!」


「すごい、胸、平さん!!」


『胸平じゃないわ!! このバカども!!』


 どこからともなく声がする。

 聞いたことのない声がする。

 しかし、懐かしい、いつか聞いたことのある、どこかで聞いたことのある声だ。


 振り返っても声の主の姿はない。

 これはいったいどういうことか。そして、その声は、俺と植田センセイにしか聞こえていないのだろう。研究室に居る他の者たちは、少しも我々の驚きに気が付いていない様子だった。


 いったい何が起こっているのか。

 戸惑う俺たちに、声は語り掛ける。


『地球からの光を受けた研究者の中に私の存在を知覚した者がいたんですよ。そして、彼は貴方たちのメッセージから、私という【拡散する種】の御業が何たるかを知り、賭けるようにこのデータを送ったのです』


「賭けるだと?」


「まて、【拡散する種】とはなんだ、どういう意味だ? 答えろ、貧乳!!」


『だから貧乳じゃないと言っているだろう!! ハイヌウェレだぞ!! 女神だぞ!! こっちは!! うにゃーっ!!』


 ぜんぜんありがたみのない女神だからなぁ。

 そんなこと言われても少しも説得力がない。

 というか、情報が少なすぎて、推測もできない。


 そこら辺を、女神だというのなら察して――。


『さて、母なる海と貴方たちはよく言いますが。その原初の海に生命をもたらしたのはなんだったか。お分かりかね、植田教授、空条教授』


「……わかめ?」


『植田、真面目に答えろ』


「……光。そうか、光だ。太陽からの光。いや、それ以外の恒星からの光。ありとあらゆる光の奔流を、海が受け止めることによって、この世界には生命が生まれた」


『その通り。すなわち、こうも考えられる。貴方たちが生命を生み出す母なる海と思っていたものは、我々を現像するための原液にして母胎。真なる我々――すなわち生命の種である起源、真なる生命の母にして海は――宇宙である。そして、そこに満ちている光りこそが種子であり、神であり、すなわち』


 私である。


 その声が出た先を俺はつきとめる。

 覗き込んだ湯飲みの中に、揺れて移るのは俺のむさくるしい顔ではない。

 植田センセイのパソコンに表示されている女の顔。


 それが、俺たちを湯飲みの中から覗き込んでいた。


「えへへへ!!」


 どうして、宇宙の果てに存在する我々が、同じ文明を持ち、同じ技術を持ち、意思疎通をシームレスに行うことができたのか。歴史的なブレイクスルーが、いともたやすく行われたのか。その謎を氷解させる女神の笑顔は、いささか不器用なものだった。


 彼女が言った通りだ。


 光として存在する神は宇宙に満ち、そして、彼らを受胎するに足る惑星に降り立てば、その地にて受肉を果たす。生命の起源は光の本流の中にあり、それは、銀河を越えて拡散して種をまき散らす。


 そして我々は、そのまき散らされた種の一粒に過ぎない。


 応答した地球外生命体こそは、銀河を越えて産声をあげた兄弟だったのだ。


 謎はすべてまるっとお見通しにじっちゃんの名にかけて一つに解けた。


 まさしくそれなるは神の御業。


「ちなみに、どこの星でも、どこの銀河でも、彼らは自分たちの住む星を、地球と呼ぶわ。文化さえも私たちは運ぶの」


「……けれども、貧乳か」


「……女神でもおっぱいはどうにもならなかったのか」


「お前ら!! いったん貧乳から離れろ!! いい話してる所だろ!!」


 だってあんた、そりゃ酷い断崖絶壁なんだもの。仕方ないでしょうよ。

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