成れの果ての街の日常

野宮有

悪質なデマ

 焼けた肌の実業家が運転する赤いワゴンが、背徳の街の夜を駆けていく。助手席に座る愛人は、不安そうな目で男を見上げていた。


「ね、ねえ。本当に大丈夫なの? 私、イレッダ地区なんて初めて来たから不安で。こんなの、所属事務所にバレたらどうなるか……」


「平気だ。いいか、ここは外界から隔離された人工島なんだ。この街でどれだけ羽目を外したところで全く問題ねえよ。それに、もし記者どもに見つかっても俺がその場でぶっ飛ばしてやる」


「で、でもこの街は危険って言うでしょ? 恐ろしい呼び名だってあるし」


「はっ。〈成れの果ての街〉なんて大げさに言うが、今じゃただの観光地に過ぎねえよ。高級カジノに、娼館に、地下闘技場に、およそ金持ちどもの欲望を満たしてくれるものは何でも揃ってる。もちろん、ここでしか手に入らねえ違法薬物もな。お前だって、それが目当てでついて来たんだろ?」


「ごめんなさい。いざ橋を渡ってここまで来ると急に恐くなって……」


「なあ、何をいまさらビビってんだ? 安心しろよ。こっちからギャングどもに喧嘩を売ったりしない限り、俺たちは安全だ」


「本当に?」


「ああ、だからそう言ってるだろ、何度も」男は苛立っていた。「これだから遊び慣れてねえ女は……」


 轟音。

 実業家が振り向くと、後ろから黒塗りの高級車が凄まじい勢いで迫って来ていた。避ける間もなく、黒い車は車体を激しくぶつけてくる。

 突如訪れた生命の危機。慌てて急ブレーキをかけながら、男は生まれて初めて信じてもいないものに祈った。

 鳴り響くクラクション。愛人の悲鳴。スピンする車体。凄まじい遠心力で、内腑が掻き回されていく。


 車体が停止し自らの無事を確認した男は、しかし更なる危機を突き付けられることになる。

 片耳にピアスをした金髪の男が、こちらに銃口を向けながら叫んできた。


「殺されたくねえなら今すぐ二人とも車を降りろ! さあ早く、三、二……」


「わわわわかったから、そんなモン仕舞ってくれ!」


 為す術もなく愛車を奪われた男は、遠ざかっていく悪党どもに中指を立てながら吐き棄てるしかなかった。


「クソっ、〈成れの果ての街〉が安全だなんて、一体誰が言ったんだ?」

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