第十二幕 仮面の刺客

 レオポルドとの謁見を終えて、ミラネーゼ宮にあるディアナの執務室。ディアナはそこで軍師のクリストフと向き合っていた。


「さて、クリストフ様。ここで改めてお伺いしますが、レオポルドは本当に信用できると思いますか?」


「十中八九、信用できませんね。まず間違いなく二心あっての偽装仕官でしょう」


 クリストフは迷いなく即答した。同じ結論であったディアナは安心して頷いた。


「やはりそう思われますか」


「ええ、そもそもアーネストやシュテファン殿らが軒並み不在のこの時期を狙って・・・やってきたのが決定的です。我々だけなら騙し通せるとでも考えたのでしょうが、随分と舐められたものです」


 クリストフは不快気に眉を顰めて、静かな怒りを立ち昇らせる。どうやら次席軍師としてのプライドを傷つけられたと感じているようだ。



「でも、如何いたしましょうか? 何もしていない者をただ怪しいという理由だけで放逐する事は出来ませんし……」


 同じ理由でレオポルドの仕官を断れなかったのだ。当然放逐した場合もレオポルドは声高にディアナの欺瞞を吹聴して回るだろう。


「そうですね。いつどのような形で牙をむくか解らぬ者に、ディアナ様の周囲をウロチョロされるのも目障りです。なればいっその事、さっさと解りやすく牙をむいてもらう・・・・・・・・としましょうか」


「牙をむいてもらう、ですか? 具体的にはどのような……?」


「簡単です。奴の持ってきた土産話・・・。あれを利用します」


「土産話? ユリアンの居所に案内するという話の事ですか?」


 ディアナの確認にクリストフは頷いた。


「はい。ディアナ様が必ず関心を持つだろうという確信の元にあの話を出したはずです。もしレオポルドの転籍自体が狂言であるとするなら、この話も最初から罠だと仮定した方が良いでしょう。ですのでこれを逆に利用してレオポルドに自ら尻尾を出させるのです」


 ここまで言われてようやくディアナも、クリストフが何を考えているかを理解した。


「なるほど。そして尻尾を出して実際に私に害を為そうとすれば、こちらも遠慮なく処断・・できるという訳ですね」


「その通りです。そして……どうせなら『餌』は大きく美味である方がより確実な釣果が期待できるでしょう。そういう訳でディアナ様にも是非ご協力頂ければと。勿論御身の安全には十分配慮致しますので」


 何らかの囮役になるという事か。だがディアナにとって囮役は慣れたものであった。それに彼女自身、二心のあるレオポルドにいつまでも張り付かれたままでいるのは気持ち悪いし落ち着かない。


「ええ、構いません。それでこの身中に入り込んだ害虫・・を駆除できるのであれば喜んで協力させて頂きます。私は何をすれば宜しいのですか?」


「……ディアナ様も『敵』に対してはとことん辛辣ですな」


 笑顔でサラッと人を害虫呼ばわりするディアナに、クリストフは若干目元を引き攣らせながらも作戦の概要説明に入った……




 レオポルドから得られた情報を元に、急遽ユリアン討伐軍が編成される事となった。これから他州を相手取って外征していかなくてはならないディアナ軍にとって、未だに州内に潜伏してディアナの命を狙っているというユリアンは、普通の山賊団などとは比較にならない優先討伐対象であった。


 しかし当然ながら他州からの侵攻もあり得る為に、相応の備えは常にしておかなければならない。そのためユリアンの討伐に割ける兵力は現時点では1000程が限界であった。またそれを率いる将もほとんどが前線の都市に出張っていて不在である為に、君主であるディアナ自身が総大将となって、その参軍に次席軍師のクリストフがつくという形で率いる事となった。


 そしてユリアン討伐部隊は、その居場所を知っているというレオポルドの案内の元、奴の隠れ家があるというシエナ、チリアーノ間の山林地帯を目指して出陣していった。



*****



「ふふふ! 早速手柄を立てる機会が巡ってきて嬉しい限りですな! ディアナ様、お約束通りユリアンめを討てた暁には御取立てのほど、宜しくお願い致しますぞ?」


 進軍する討伐部隊の中央、総大将のディアナに随伴するレオポルドは喜び勇んでいる様子だ。ディアナはそれに冷たい一瞥を投げかける。


「ええ、お約束通りユリアンを討ち果たせた場合はあなたを信用致します。本当に討ち果たせたのなら、ね」


「おお、ご信用頂けないとは悲しいですぞ、ディアナ様! しかしそれも過去の経緯を考えれば致し方なし。今少しの間と思い辛抱致しましょうぞ!」


 抜け抜けと悲し気な表情でそう語るレオポルド。因みに無いとは思うが万が一レオポルドの情報が本当で、無事にユリアンを討ち果たせた場合は、約束通り彼を取り立てるつもりではあった。それはクリストフも反対しなかった。どちらに転ぶかはもう間もなく解る事だろう。 


 

 行軍を続けた討伐軍はやがて、シエナ、チリアーノ、そしてトレヴォリの3つの都市が形作るトライアングルの内部に位置する山野地帯に入り込んだ。


 トリエステ丘陵地帯と呼ばれる場所で、比較的なだらかな平野が多く肥沃な穀倉地帯となっているリベリア州南西部において、その地域だけ凹凸が多い丘陵や山岳が集まり、『エトルリアの』と呼称される事もある。


 周囲は小高い丘や森林に覆われていき、高低差のある地形が視界を遮る。少しでも戦に慣れた者であればその状態が何を意味するかに気付くはずだ。クリストフがディアナの側に近付いてくる。


「……ディアナ様。そろそろご準備・・・を」


「ええ……やはり私達の予想が的中してしまったようですね」


 ディアナはやや残念そうにかぶりを振った。外れてくれれば良いと思っていたが、やはり現実は無情であった。



 丁度そのタイミングで伝令役の兵士の1人が近付いてきた。部隊の最前列との連絡役だ。最前列からの伝言をディアナに伝えにきたのだろう。定期的な伝令による連絡は義務として行わせているので、ディアナは当然のようにその伝令の兵士を眼前まで通す。


「ご苦労様。異常はありませんか?」


「…………」


 伝令兵は何も答えない。その時点でディアナは兵士の顔に見覚えがある・・・・・・事に気付いた。それは過去にフィアストラでレオポルドに襲撃された時、その相方・・を務めていてあわやディアナの命を奪い掛けたとある男に酷似していた。


 あの時はファウストが乱入してくれなければ、彼女は確実に死んでいた。


「――っ!! お前は……!?」


 ディアナは反射的に距離を取ろうとするが、それよりはその兵士――ラドクリフ軍の残党の1人、アートス・カール・ビョルケルの方が遥かに速い身のこなしで接近する。鍛え抜かれた武人の動きは護衛の兵士達が止める間も無かった。


「死ね」


「……っ!」


 アートスは非情にも剣を鞘走らせ、ディアナを一刀両断しようと剣を振り抜く。流石のディアナも一瞬顔を青ざめさせるが――



「――させるかぁっ!!」



「……!!」


 その無慈悲な凶刃を、力強い声と巨大な蛮刀・・が遮って受け止めた。護衛の兵士の1人が他の兵士とは比較にならない動きで割り込んで、アートスの攻撃を防いだのだ。


ゾッド・・・様っ!!」


 ディアナは安心したように息を吐いた。それは元山賊で現在はディアナ軍きっての猛将の1人である『魁賊』ゾッドであった!


「はは! やっとこの窮屈な鎧から解放されるなぁっ!」


 ゾッドが笑いながら筋肉に力を込めると、その身を覆っていた兵士の鎧が弾け飛んだ。



「ぬぬ……!! まさかそちらも・・・・兵士の中に武将を変装させて紛れ込ませていたとは……!」


「当然だ。貴様らの浅知恵など最初からお見通しよ」


 その様子を遠巻きに見ていたレオポルドが唸るのをクリストフが嘲笑う。


 ゾッドは今現在エトルリアに残っていた唯一の武官であった。だが巨躯の彼はそのままでは目立つので、ディアナの周囲の護衛兵達を大柄な兵士達で固めて極力目立たないようにしていた。その甲斐あって何とか隠し通す事が出来ていたようだ。無論レオポルド達が最初からこちらが警戒して策を講じているという前提が無かったからこそ騙せたようなものだが。


「レオポルド。これであなた方の害意は明らかとなりました。残念ですがここで捕らえた後に処刑させて頂きます」


 ディアナが周囲の兵士達に合図を出して彼等を捕らえようとする。如何に彼等が手練れでもこの数の兵士達に囲まれてはどうにもなるまい。だがそれが解っているはずのレオポルドは何故か不敵な態度を崩さない。


「ふぁはは! 仮に暗殺が成功していても、この数の兵士達相手に2人だけで逃げおおせるとは最初から思っておりませんぞ。何のためにこの場所まであなた方を引き込んだのか教えて差し上げましょう!」


「……!」


 レオポルドもまた合図の鐘のような物を鳴らす。すると森の木々や小高い丘の上などに待ち伏せていたと思われる大量の伏兵が出現した!


 優に1000ほどはいそうな大軍で伏兵の奇襲効果もあり、もしディアナがアートスに討ち取られていたら、その動揺も加わって為す術もなく殲滅されていたかもしれない。だが……


「怯むなっ! 数はこちらの方が上です! 冷静に陣形を整えて迎え撃つのです!」


 その当のディアナが兵士たちを鼓舞する事で、瞬く間に動揺を鎮めてしまい、伏兵の奇襲効果は無きに等しくなってしまう。それに加えて……



「馬鹿め。この事態を見越しておいて何も備えをしていないと思ったか? 伏兵を用意していたのは貴様らだけではないぞ」


 クリストフが嗤うと、レオポルド達の伏兵の更に後方から土煙を上げてこの場に迫ってくる500ほどの騎馬隊の姿が見えた。騎馬隊はディアナ軍の旗を掲げている。


「あ、あれは、まさか……!?」


「貴様に気づかれぬ距離を保ちながら騎馬隊に追跡させていたのだ。そして何か本隊に異変があればすぐに駆けつけるように隊長に命じてある」


「……!!」


 動揺するレオポルドに、対照的に冷静なクリストフが説明する。アートスによる暗殺が失敗した時点で最早趨勢は決したと言っても過言ではない。 

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