第二十八幕 開戦の狼煙
その後も西進を続けたディアナ軍はクレモナ領に入る。過日のラドクリフ軍との『競争』で引き分けとなり、互いに条約を結んで撤収した因縁の戦場だ。今はクレモナに籠もるリオネッロ軍とは同盟を結んでいる状態でこちらから攻め込む事は出来ないが、反面リオネッロ軍から攻められる事もない為、クレモナの動向を気にせずいられるのは今回に限ってはありがたかった。
しかしそれはラドクリフ軍も同じ条件だ。奴等もクレモナを気にせずに全軍を注力してくるだろう。
斥候からもたらされた情報を総括すると、皇帝一行は恐らくこのクレモナに入ったか入る寸前くらいの場所にいるのではないかと推察される。となると必然的にこのクレモナ県が争奪戦の舞台になる可能性が高かった。
ディアナ軍としてはこのまま西進を続ければこちらに向かっているであろう皇帝一行と合流できる可能性が高いのだが、やはりそう簡単には行かないだろう。事実行軍を続けるディアナの元に伝令が飛び込んでくる。
「南西の方角より北上してくる軍を確認しました! ラドクリフ軍と思われます!」
「……!」
早速来た。だが地理上の関係でこの事態は予測されていた。ディアナは頷いた。
「来ましたね。ここは作戦通りに行きます。ディナルド様の部隊に伝令を!」
ここに至るまでに何度か繰り返された夜営中の軍議で、あらゆる可能性を考慮して作戦が立てられていた。クリストフやカイゼル、そしてシュテファンら知略や軍略に優れた者達が考え抜いた戦略、戦術だ。
しかしこれもカイゼルから忠告されていたが、今回の敵軍はどれも烏合の衆などではなく、ディアナ軍に匹敵する、またはそれ以上の規模の有力な諸侯達ばかりであり、当然ながらその麾下には優秀な人材がそろい踏みしている。
即ち他の敵軍も同じようにあらゆる可能性を考慮した作戦を立てているはずであり、一度戦が始まったら必ずしも事前に決めた作戦通りに事が運ばないだろう。それを常に念頭に置いて戦に当たるようにと忠告を受けていた。
その上でまずは事前に決められていた手筈通りに作戦を展開する。本陣から伝令を受け取ったディナルドがその普段は穏やかな顔を引き締めて頷く。そして麾下の部隊を振り返った。
「早速出番が来たな。よいか、皆の衆! 我等の目的はキメリエス街道を死守し、ラドクリフ軍を一兵たりとも通さん事だ! お主等の命、儂に預けてもらうぞ!」
応っ!! という威勢の良い掛け声と共に、ディナルドに率いられた部隊がディアナ軍本体から離脱して、北上してくるラドクリフ軍を食い止めるべく迎撃に向かう。
両軍が全速力で行軍を続けると、丁度西進するディアナ軍の横腹を北上してくるラドクリフ軍に突かれるという形になる可能性が高い。かといって進軍を止めてラドクリフ軍を迎え撃っていては、他の諸侯の軍に皇帝を確保されてしまう。
となればラドクリフ軍を食い止める為の迎撃部隊を分けるのはある意味で自明の理だ。しかし部隊を分けるという事は戦力を分けるという事でもある。戦力が減れば、やはり他の諸侯の軍相手により厳しい戦いになる事は否めないし、何よりもディナルドが率いる部隊は兵力にして2000に満たない数でありラドクリフ軍を相手取るには明らかに力不足だ。
いかにディナルドが優れた将とはいえ、今回の戦では優れた将は敵軍にもいる。しかしそれでも軍議では敢えて部隊を切り離してラドクリフ軍の迎撃に当たらせるという戦略が採用された。
といっても別にディナルドを完全に捨て駒として利用する訳ではない。
「よし、ここで奴等を迎撃するぞ。兵力は我等の方が圧倒的に少ないが、別に勝つ必要はない。ただ守るだけだ。そして……『敵の敵は味方』。ある程度持ち堪える事さえ出来れば、我等には必ず
ディナルドは兵士達を激励しつつ、素早く布陣を整えて迎撃態勢を取る。するとそう待つ事も無く、南から北上してくる軍勢の姿が見えた。ラドクリフ軍の先遣隊だ。
「ようし、お前達! 奴等にありったけの矢の雨をプレゼントしてやれ!」
ディナルドの号令で部隊の後方に控える弓兵達が一斉に引き絞った矢を解放した。ここに天子争奪戦の最初の戦端が開かれた。
*****
「……迎撃部隊の数はざっと2000未満。
ラドクリフ軍の先遣隊を率いるオーガスタスが少し複雑な表情で呟く。遂にディアナ軍と直接戦矛を交える時が来てしまった。
「怯むな! 楯を展開しろ! 我等の目的は奴等をここに釘付けにする事だ! 無理に殲滅を狙う必要はない!」
オーガスタスは麾下の兵士達に号令を掛ける。彼が率いる先遣隊は1000を少し超えた程度。実はディアナ軍の迎撃部隊よりも更に少ないのだ。
『ディアナ軍は我等を足止めする為に必ず本体から迎撃部隊を割くだろう。それはつまり割いた分だけ本体の戦力が減るという事だ。無論それは先遣隊を割く我等も同じだが……ここで互いにどれだけ相手の戦力を
軍議でのオズワルドの言葉を思い出す。割いた戦力はディアナ軍の方が多い。つまり読み合いにはオズワルドが勝ったという事になるが、より少ない戦力で敵に当たらねばならないオーガスタスとしては到底それどころではない。
「全く無茶ぶりをしてくれる。……よもやそれを織り込み済みで私にこの役を振ったのではあるまいな?」
ラドクリフ軍には他にも勇猛な武将はいるが、不利な状況でも逃げずに戦ってくれるかと言うと、そういう面では心許ない者が多い。彼にこの先遣隊を率いる任が回ってきたのは、その辺りの問題による消去法の可能性が高かった。
「……考えても栓の無い事だ。それを期待されたのなら私は軍人として主の期待に応えるのみ。楯を掲げながら前進だ! これ以上の斉射を許すな!」
自身も楯を掲げて斉射を防ぎながら、兵士達に号令して着実に敵軍との距離を詰めていくオーガスタス。
ディアナ軍とラドクリフ軍。因縁の対決の幕開けは軍師同士の読み合いと牽制から始まった。
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