第二十四幕 スラムでの邂逅
(全く……アーネスト様も兄上もちょっと過保護なんじゃないかしら? 私はこう見えてベカルタ流の免許皆伝よ? この前はあの傭兵の男にだって勝ったんだし……。そんなに心配する事もないのに)
内心ではそんな不満を抱くディアナ。そして不満の反動という訳でもないだろうが、表通りの大きな広場や市場ではなく、そこから外れた裏通りに向かって無意識に足を運んでいた。
流石帝都だけあって表から一本入った程度ではまだまだ人通りも多く、店や屋台などもちらほらと並んでいる。何かの大きな工房や作業場と思しき建物も目に付く。
ディアナにとって長らく唯一の『街』であったアルヘイムは、広場と市場が兼用になっていた上に規模そのものもここより遥かに小さかった。表通りは辛うじて栄えているものの、一歩裏へ入ると狭い路地ばかりで碌に店なども存在していない。更に市場からそう離れていない場所にスラムがあったりで余り活気のある街とは言えなかった。
帝都と比べれば、アルヘイムが田舎の小都市でしかなかった事がよく分かる。ディアナは物珍しさからどんどん奥に歩いていってしまい、いつしか周囲から殆ど人の気配が無くなっている事に気付いた。
「あ、あれ……ここどこ?」
ディアナは辺りを見渡すが、自分がどうやってこの場所に来たかも碌に意識していなかったので自分の現在位置が全く分からなくなってしまった。
既に路地裏といっても差し支えない場所まで入り込んでいたようで、人通りは愚か店などの類いも無く、うらぶれた民家と思しき建物の壁や古い塀などが入り組んで、さながら迷宮のような様相を呈していた。いつしかスラムに入り込んでしまっていたらしい。
帝都だけで人口100万を超えると言われるだけあって、比例するようにスラムもまた広大だ。長い歴史の中で時には無計画に都市拡張が進められてきたリ、スラムに追いやられた人々が勝手に増築を繰り返したりで、帝都のスラムは中原で最大の人造迷宮と化していた。ましてや土地勘もない余所者が入り込んだら冗談抜きに街中で遭難する事もあり得る。
今更ながらに危機感が募って来たディアナの顔が青ざめる。慌てて空を見上げると、路地裏の狭い視界からも辛うじて天空に浮かぶ4つの星の位置を視認できた。
即ち東の青龍、西の白虎、北の黒亀、南の赤鳳の4つの極星が常に東西南北を指し示してくれているので、中原では空さえ見える場所なら基本的に遭難する危険はないと言われている。
それが広大な森林や荒野、砂漠などであれば確かにその通りだ。だが人の手で作られた『迷宮』にはその法則は当てはまらないらしい。同じ方角に進もうとしても必ずどこかで壁に行き当って迂回を余儀なくされる。そうして迂回している内にどんどん元いた場所から離されて、より迷路の奥深くに入り込んでしまう。
(ヤ、ヤバい……! ど、どうしよう!? 全然ここから出られる気がしない! だ、誰か……道を知ってる人は……!?)
焦りから助けを求めるように周りを見渡すディアナ。スラムにだって親切な人間はいる。誰かに道を聞こうとするが、まるで無人の迷宮の如く人の気配がしない。あの賑やかな広場や市場と同じ街にいるとは思えない静けさだ。
焦燥に駆られたディアナが見通しの悪い角を曲がろうとした時だった。角の向こう側からもほぼ同じタイミングで誰かが曲がってきた。
「……っ!?」
「あ……!」
ディアナもそうだが相手も周囲に視線を巡らせていて前方不注意だったらしく、お互いに相手に気付いた時には既に避けられない位置だった。結果としてディアナとその人物は正面からぶつかり合った。
しかし意外というかバランスを崩して尻餅を着いたのは相手の方で、ディアナは少しふらついたものの倒れる事なく踏み止まった。体勢を整える間もなくぶつかった上でのこの結果は、つまり相手の方がディアナよりも体重が軽いという事を意味している。
驚いたディアナは相手を見下ろす。そして尻餅を着いた体勢からびっくりしたように彼女を見上げてきた相手と目が合った。
(お、男の子……?)
年の頃はディアナよりもやや下で13、4歳くらいだろうか。男の子というには少々大きいが、さりとて大人の男性や青年とも言えない微妙な年齢層。
何よりも目を惹いたのは、緩くウェーブを描いた金色の髪と青い瞳、そして非常に整った顔立ちだ。それはまだ青年期に入っていない少年だけが持つ線の細さと相まって、何とも言えない蠱惑さを醸し出していた。
相手が少年という事も忘れて一瞬見惚れてしまったディアナだが、美少年が倒れた時にどこか打ったのか痛みにその美貌を顰めるのを見て正気に戻った。
「あ、ご、ごめんなさい! よそ見してて……大丈夫!?」
「え? あ、ああ……だ、大丈夫。大丈夫だ。問題ない……」
問われた少年は年に似合わない口調で頷くとディアナが差し出した手を取った。そして何故か盛大に顔を赤らめる。どうやら彼もディアナの顔に見惚れていたらしい。
こんな美少年に見惚れられるというのも悪い気はしなかったが、どうも余り女性自体に慣れていない感じで、よく見ると耳まで赤くなっていた。
ディアナはこんな状況ながら、この少年の事をとても可愛いと感じた。
「ふふ、それなら良かったわ。でもこんな所に1人でどうしたの? 迷子にでもなったの?」
彼女は自分の事を棚に上げて、お姉さん面して優しく問い掛ける。彼女が言えた義理ではないが、この美少年は年齢や外見だけでなく、雰囲気的にも品があるとでもいうか、このスラムの風景からは異質で浮いていた。少なくとも明らかにスラムの住人ではない。よく見ると着ている物もかなり仕立ての良い絹の服だ。
裕福な商人か、もしくは帝国高官あたりの息子だろうか。
「ま、迷子……? い、いや、違うぞ! 私は断じて迷子になどなっておらん! こ、ここは私の庭みたいなものだ! ちょっと散歩していただけだ!」
少年は先程とは異なる感情で顔を赤らめて反論する。明らかに強がりだが、どうやら自分が迷子であるという事実を認めるのが恥ずかしいようだ。
その様子が非常に可愛らしくて、ディアナはちょっと悪戯心が芽生える。
「まあ、それは頼もしいわね? じゃあ表通りまでの道は勿論知ってるわよね? お姉さんに教えてくれる?」
「う……と、当然だ! 付いてこい!」
後に引けなくなった少年が若干顔を引き攣らせながらも、傲然と胸を張って先を歩き始める。ディアナは苦笑すると共に、可能性は低いがこの少年が本当に道を知っていればスラムから抜け出せると淡い期待を抱いて、彼の後に付いて歩き出した。
そして約10分後……。
2人の前には高い塀に囲まれた袋小路が聳えていた。
「えーと……僕? この先に進めるようには見えないけど?」
「う……うぅ……」
ディアナの言葉に少年は再び顔を赤くして俯いてしまう。やはり完全に迷子になっていただけだったようだ。彼女は溜息を吐いた。
「やっぱり迷子になっていたのね。強がり言っちゃって」
彼女の少し小馬鹿にした口調に少年は泣きそうな目でキッと睨んできた。
「くぅ……! う、うるさい! そういうお前は迷子じゃないのか!? お、お前こそその年で迷子などという事はあるまいな?」
「……っ。も、勿論私は迷子なんかじゃないわ。ちょっと用事があってこの辺まで来ていただけだもの」
思わぬ反撃にたじろいだディアナは咄嗟に嘘で返してしまう。確かに17といえば中原ではもう立派に成人と言ってよい年頃。その年で迷子というのは恥ずかしすぎる。
しかし少年はこちらの思惑を見透かしたように意地の悪い笑みを浮かべる。
「ほぅ? だったら何も問題あるまい? お前こそ私を表通りまで連れていけ!」
「う……わ、解ったわよ。付いてらっしゃい!」
後に引けなくなったディアナが虚勢を張って少年を引率していく。さりげなく上空の極星の位置を確認しながら必死で歩いていくが……
10分後。やはり2人の前には無情にも袋小路が立ち塞がっていた。今度は色んな建物の壁が作った、少し広くなった裏庭のような場所だった。
「く……!」
「ははは! 何だ、やっぱりお前も迷子だったんじゃないか。それでよく人の事を笑えたな!」
悔し気に呻くディアナを見て安心したのか少年が笑う。年下の少年に笑われたディアナも顔を赤らめる。
「う、うるさいわね! 私は今日この街に来たばっかりなのよ! 誰だって迷うに決まってるわ!」
開き直って怒鳴ると、何故か少年は急に興味深そうな様子になる。
「何? お前は余所の街から来たのか? どこだ? ライトリムか? バーウィックか?」
「え……? いや、来たのはダラムからだけど、出身はスカンディナ州のアルヘイムよ」
「ス、スカンディナ州だって!? そんな遠くから来たのか!?」
ディアナが戸惑ったように答えると、少年は目を丸くして大仰に驚く。確かに帝都からは遠いがそんなに驚く程の事だろうか。行商人などならスカンディナ州から来ている者だっているはずだ。
「ど、どういう所なんだ? 私は帝都から一歩も出た事がないんだ。このハイランド州の他の街にすら行った事がない。ましてや他の州なんて……」
「え? 帝都から出た事がない?」
ディアナは少年の反応に再び戸惑った。まだ幼児であったり女子であったりすればそういう事もあるだろうが、この少年くらいの年頃の男子で街から出た事がないというのは……
だが彼女の反応を見た少年はハッとなって慌てて己を取り繕った。
「あ……い、いや、何でもない。忘れてくれ」
「…………」
何か訳ありのようだ。しかし向こうが話さない物をこちらから無理に踏み込む事は出来ない。その代わりディアナは……
「……ディアナよ」
「え?」
「私の名前よ。そう云えばお互いに名前も知らなかったと思って。ここで会ったのも何かの縁だし、君の名前も教えてくれるかな?」
「あ……わ、私はル……ルードだ」
一瞬言い淀んだ事からも偽名と思われるが、それもあまり追求しない方がいいのだろうとディアナは判断した。代わりににっこりと笑って手を差し出す。
「ルードね、覚えたわ。宜しくね、ルード」
「あ、ああ……こちらこそ宜しく……ディ、ディアナ」
彼女の名前を呼ぶのと手を握るのとで動揺して再び羞恥に顔を赤らめる少年――ルード。やはり余り女性と話したりした経験が少ないらしい。
「ふふ、さあ、それじゃ迷子同士、何とかこのスラムから脱け出さないとね? とりあえず誰か道を知ってる人がいないか探してみましょう。その間にアルヘイムや私がここまで旅してきた街の様子で良ければ話してあげるわ」
「……! そ、そうだな。では宜しく頼む」
ルードは嬉しそうな様子になって頷く。素直な反応に気を良くしたディアナは、現地の住民を探しがてら、今は遠くにある故郷の話などをルードに語って聞かせるのだった。
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