第三幕 実戦の洗礼
アルヘイム県の更に南寄り。スカンディナ州の南に隣接するガルマニア州との州境に跨るグラファス山岳地帯。その外れに位置する山林の麓までディアナはやって来ていた。
この山岳地帯は立地的な条件から山賊の根城として使われる事が多く、峠を越えたガルマニア側では【賊王】を名乗るドラメレクという有名な山賊が率いる山賊団が存在しているらしいが、こちらのスカンディナ側には幸いにしてそのような大規模な賊は確認されていなかった。
「ここね……。この奥に件の盗賊の根城が……」
目の前に広がる山林を眺めながらディアナは緊張の面持ちで呟いた。シュテファンから教えられたこの場所はアルヘイムの街から馬で1日半ほどの距離にあった。
農村暮らしだったディアナは馬を持っていなかったが、今回の『試験』にあたって義兄が軍馬を1頭貸してくれた。乗馬の技術は元々義兄に教えられていたので何とか乗りこなす事が出来た。
しかし街道や草原での移動には便利な馬も、森の中では使えない。ここからは馬を降りて徒歩で進む事になる。
「…………」
ディアナは無意識に腰に提げた剣の柄を握り締めていた。盗賊を退治するという事は当然……
彼女はベカルタ流の免許皆伝は受けたが、それはあくまで道場の中だけの話だ。実際に真剣を抜いて人と斬り合った経験はない。勿論この手で人を殺した事もない。
ディアナの喉がゴクッと鳴る。緊張で呼吸が乱れて胸の動悸が激しくなる。
(だ、大丈夫……大丈夫よ。あれだけ訓練してきたんだもの。兄上に稽古だって付けてもらった。盗賊なんかに絶対に負けないわ)
必死に自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。どの道これから天下に向けて戦いを挑んでいくに当たって避けては通れない道だ。きっと義兄はこういう形で彼女の覚悟を試しているのだ。ならば自分はそれに応えなければならない。
そう結論付けたディアナは、ふぅぅぅぅ……と大きく呼気を吐き出して心を落ち着かせると、意を決して賊の根城に向かって歩き出した。
……迫る初めての実戦に、極度に緊張していた彼女は気付かなかった。既に件の盗賊の斥候が彼女を発見、捕捉していたという事に。
森に入ってそう遠くない場所に、かつてここで林業を営んでいた木こり達の簡易拠点が設けられていた。戦乱に伴う産業の衰退によって打ち棄てられたこの宿泊所跡が、現在の盗賊団の根城になっているらしい。
ディアナは森に足を踏み入れて以降、ずっと剣の柄に手を掛けて周囲を警戒しながら進んできたが、何事もないまま根城と思われるこの宿泊所跡まで到着してしまった。
宿泊所跡は木で組み立てられた簡易的な柵で覆われて、敷地の内外を隔てていた。
「……誰もいないわね。本当にここが賊の根城なの? それとも逃げてしまったのかしら?」
だが義兄はディアナ1人なら賊は絶対に逃げないと言っていた。それに彼女自身……実は自分が異性の目を惹き付けやすい容姿だという自覚があった。
彼女の姿を見た賊は自分達から寄ってくるはずだ……。義兄の言葉は、実は彼女自身もそう思っている事であった。そして女相手だと油断して散発的に現れる賊をその都度倒していけば、危なげなく退治出来るはずだった。
それだけに若干肩透かしを食った感は否めなかった。退治するはずの賊自体がいないのであれば『試験』を達成しようがない。
やや落胆した気持ちを抱きながらそれでも一通りは見て回ろうと、柵の入り口を潜って宿泊所跡に入り込む。
そして朽ちた井戸のある敷地の中央広場に出た時、『異変』は起こった。
「……へへ、おい、見ろよ。俺達に売り飛ばされたいらしいぜ」
「こんな所で迷子かい、お嬢ちゃん?」
「……っ!?」
唐突に聞こえてきた野卑な声と、廃屋の陰からぞろぞろと現れた男達の姿にディアナは硬直する。粗末で統一されていない鎧に、蛮刀や手斧などの武器。そしてディアナを眺める悪意に満ちた嗜虐的な笑みと視線からして間違いない。こいつらが件の盗賊達だ。
(しまった……!)
青ざめたディアナは咄嗟に踵を返して広場から離脱しようとするが……
「おおっと、逃がさないぜ?」
「……!」
広場は完全に賊達によって包囲されて封鎖されていた。賊は10人程はいる。ディアナは完全に逃げ場なく賊によって取り囲まれてしまった。
盗賊達が姿を現さなかったのは、彼女を逃がさないように自分達の懐に誘い込む罠だったのだ。気付いた時にはもう手遅れという訳だ。
「へ、へへ……あ、兄貴……こいつぁ、滅多にお目に掛かれねぇ上玉ですぜ?」
「ああ……たまんねぇな。飛んで火にいる何とやら……てヤツだな」
兄貴と呼ばれた男が顎を撫でながらディアナの肢体に無遠慮な視線を這わせる。こいつがこの盗賊団の頭らしい。
ディアナの美貌もさる事ながら、彼女の鎧は女性用に改造した少し露出の多い派手目のデザインだった事もあって、顔だけでなく胸元や太ももなどにも卑しい視線が集中するのを感じた。
「……ッ!」
全身に鳥肌が立つような嫌悪感が彼女を襲い、それを払拭するように剣を抜いて自分を取り囲む賊達を威嚇する。
(こうなったら、やってやる! こんな奴等に絶対に負けないっ!)
戦わざるを得ない状況に置かれたディアナは覚悟を決めた。剣を構えて精一杯視線を鋭くして賊達を睨み据える。だが……
「おいおい、この女、剣や鎧なんか身に着けて……まさか俺達とやろうってのか?」
「はは! こいつは傑作だな! おままごとがしたいらしいぜ!」
賊達は嘲笑うばかりで誰も本気にしていないし、勿論脅威も感じていない。屈辱的な状況にディアナは歯噛みする。賊にすら相手にされない。これが今の自分の立ち位置なのだ。
「あ、兄貴、俺にやらせてもらっていいですかね?」
賊の1人が下卑た笑みを浮かべながら頭領に願い出る。
「……ふん、やりすぎて殺すんじゃねぇぞ?」
「勿論ですぜ! へ、へへ……」
許可を貰った賊が嬉しそうな笑顔で、碌に手入れもされてなさそうな蛮刀を片手にディアナの前に進み出てくる。他の賊達は頭領も含めて、周りを取り囲んで即席の
その悪意のアリーナの中央で賊と向き合うディアナ。だが呼吸は乱れて、身体や脚は小刻みに震えて動く事が出来ない。結果、賊の先手を許す。
「おらぁっ!」
「……っ!」
濁声と共に振るわれる武骨な刀。何の技術もない力任せの大振りな一撃。だがディアナは思わず硬直してしまい、その一撃をまともに剣で受けてしまう。
「あぅっ!」
男女の単純な膂力差から剣に加えられた衝撃に耐えきれずに、後方に大きく弾き飛ばされて体勢を崩すディアナ。そこへ賊が追撃してくる。
今度は横方向に薙ぎ払う一撃だ。だがディアナはやはり
「っぁ!」
衝撃で今度は横方向に弾き飛ばされる。周りの賊達が囃し立てて野次を飛ばす。彼等は皆この
「う、うぅ……」
対して一方的に嬲られているディアナは周りを気にする余裕もなく、
(こ、怖い……! これが、実戦……! か、身体の震えが止まらない……!)
技術など関係ない。人を殺しうる武器を持った本物の闘い。道場での木剣を使った試合などこれに比べたら遊戯に等しい。
彼女は今、存分に初の実戦の洗礼を味わっていた。
「ふへへ……おら、どうしたんだ? 震えてるぜ?」
「く……!」
あからさまに見下した嘲りにも反論できない。事実だからだ。ただでさえ実戦の恐怖で震えている所に、遠慮会釈ない攻撃を2度も受けた事で腕が痺れていた。
「へへ……おらよ!」
「うぁっ!?」
賊の刀が三度振るわれる。やはり剣で正面から受けてしまったディアナはその衝撃に抗えず、遂に転倒して尻餅を着いてしまう。痺れた手から剣が落ちて地面に転がる。勝負ありだ。
「ははは、いい見せモンだったぜ」
「ま、女にしちゃよく頑張った方じゃねぇか?」
周りを囲む賊達の嘲り。これは彼等にとって戦いではなく、ただの見世物だったのだ。その事実にディアナは目の前が真っ赤に染まる程の屈辱を感じる。それに追い打ちを掛けるように頭領がニヤついた表情で、尻餅を着くディアナの肢体に再び下卑た視線を這わせた。
「……これだけの上玉だ。州都カレリアの闇娼館で高く売れそうだな。いや、それか……ドラメレクの奴に
「……っ!!」
文字通り品定めするような頭領の視線と口調に、ディアナの身体が恐怖とは別の感情で震えた。
(く、悔しい……こんな奴等に! あんなに修行してきたのに……!)
怒りと悔しさが一時的に恐怖を上回る。冷静に思い返せば先程の賊の攻撃は、道場の師範代やシュテファンのそれとは比較にならない稚拙な物であった。ただ力任せに振り回しているだけだ。
事実、自分には全ての斬撃の軌道が
(終われない。このままじゃ……終われないっ!)
――カチャ
「……お?」
ディアナを打ち倒した賊が怪訝そうに振り向く。そこには取り落とした剣を再び手に持って、何とか立ち上がったディアナの姿があった。その目には先程までの恐怖は無く、怒りに燃えていた。
「へ、へへ……まだ懲りねぇのか、よ!」
賊が嗜虐的に嗤って刀を振るった。だが……
「ふっ!!」
「おわっ!?」
ディアナは空気に呑まれる事無く冷静にその軌道を見切って賊の斬撃を躱した。まさか躱されるとは思っていなかった賊は体勢を崩してたたらを踏んだ。格好の隙だ。ディアナは柄を握り締める手に力を込める。
「やあぁぁっ!」
「で……!?」
初めてディアナから斬り掛かった。賊の胴体に斜めに切り傷が走るが倒しきれなかった。本来は確実に決まっていたはずだが、人を斬るという行為に無意識の躊躇いが生じたのだ。
(くそ……浅かった! 雑念を捨てろ……!)
「こ、このアマぁっ!!」
傷つけられて逆上した賊が刀を振り上げて迫ってくる。隙だらけだ。無念無想となったディアナは自らの身体が培った技術に半ば身を任せた。
「おおおぉぉぉぉっ!!」
気合と共に剣を一閃。肉と骨を断つ感触が剣を通して伝わる。
「お……おぉ……?」
首を半ばまで断ち切られた賊は、自らの首から噴き出る血潮を不思議そうに眺めた後……そのまま白目を剥いて倒れ伏した。
「…………」
一瞬その場に沈黙が訪れる。周囲の賊達は何が起きたのか解らないという風に固まっていたが、やがて無力な獲物であるはずの目の前の少女が仲間を殺したのだという事を理解して、俄かに色めき立つ。
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