不敗の宿将

第一幕 大志を抱いて

 村の広場に大勢の人間が集められていた。いや、その村に住むほぼ全て・・・・の村人達がその広場に集められていた。


 村人達は不安そうに自分達を取り囲む兵士達の姿を見やっていた。兵士達は全員武器を抜いて、殺気立った顔を村人達に向けている。


 村人達の中から村長と思しき人物が進み出てきて、何かを大声で訴えている。しかし兵士達を率いていると思われる冷たい目をした軍師風の男は聞く耳を持たず、逆に酷薄な笑みを浮かべて兵士に合図を出す。頷いた兵士が村長を無残にも斬り殺した。


 それを見ていた村人達から悲鳴が上がる。小さな子共が泣き出す。それらの騒音・・に軍師風の男が不快そうに顔をしかめる。そして周りを取り囲んでいた兵士達に命令を下す。


 命令を受けた兵士達が弓に矢を番えて、容赦なく村人達に矢の雨を降らせる。悲鳴や絶叫が幾重にも鳴り響く。


 そして全て・・が終わった事を見計らった軍師風の男が、更に非情な命令を下す。折り重なった村人達の死体に油が撒かれ、そこに火矢が撃ち込まれる。


 僅かに生き残っていた村人達の苦痛と怨嗟の呻きに混じって、人の肉が焼け焦げる煙と臭気が、誰も住む者がいなくなった村に充満していく。


 蛇のような冷たい目をした軍師風の男は、そんな地獄の光景を何の感情も移さぬ無機質な目で見下ろしていた……




*****




 『中原』を支配する統一王朝オウマ帝国。その北方領土スカンディナ州では最も南寄りに位置するアルヘイムの街。 


 この街には帝国内で認可されている剣術のうちの一つ、ベカルタ流聖剣術の道場があった。


 ベカルタ流は取り回しの軽い剣を用いた流麗な動きを得意とする剣術で、茱教しゅきょうという男尊女卑の思想体系が浸透した帝国内にあって、唯一女性・・に門戸を開いている流派として有名であった。その影響で門下生には護身用に剣術を習う女性の姿もちらほらと混じっていた。



 そして今日、道場ではそんな女性の門下生の中の1人が、免許皆伝の試験に望んでいる最中であった。


 免許皆伝の条件は男女とも同じであり、女性で試験が受けられるまでの段位に到達できる者は限られている為、今日の試験は多くの門下生の注目を集めていた。


 しかしその女性が注目を集めているのは、それだけが理由ではなかった。


 スカンディナ人らしい色素が薄めの淡い金色の長髪を一つに束ねたポニーテールに、やはり色白で滑らかな肌。年の頃はまた十代後半程の瑞々しい若さと生気に溢れた、人目を惹きつける美しく可憐な少女だったのである。


 だが今はその初々しい美貌が引き締められ、これから始まる試験に緊張を余儀なくされていた。


 少女は木剣を構えて師範代の男性と向き合っていた。師範代の手にも木剣が握られている。乱取りの形式でこの師範代から一定時間内に、自分は1本も取られずに逆に3本の有効打を取る事。それが皆伝の条件であった。



「始めっ!」


 審査役の師範が開始の合図を出す。同時に少女が動いた。道場の床を蹴りつけるような勢いで飛び出す。そのまま師範代に向けて木剣を突き出すが、師範代は円を描くように木剣を薙いで少女の突きをいなした。


 少女は怯まずに連続して突きを繰り出すが、師範代はその全てを木剣で受けきった。少女は歯噛みした。このまま攻め立てても1本も取れる気がしない。ならば……


 少女はわざと一旦距離を取った。すると間髪を入れず今度は師範代が攻勢に出てきた。素早く木剣を振り下ろしてくる。力では敵わない事が解っているので、敢えて木剣では受けずに回避に徹する。


 極力最小限の動きで振り下ろしを躱すと、師範代の体勢が僅かに崩れる。少女はその隙を逃さず胴目掛けて薙ぎ払いを仕掛ける。狙い過たず師範代の胴を木剣が薙ぐ。これで1本。


 師範代は僅かに顔をしかめるが、怯むことなくそのまま体勢を立て直して連撃を仕掛けてくる。少女は防戦一方になるが、焦る事なく冷静に師範代の隙を窺う。そして攻撃動作の僅かな隙を突いてカウンターで小手に木剣を打ち当てる事に成功した。これで2本。


「……!」

 少女がカウンター狙いである事を悟った師範代が戦法を変える。自分からは攻めてこなくなり、防御に徹する構えのようだ。制限時間が過ぎても師範代の勝ちなのでこれも立派な戦法だ。それに師範代もカウンターを狙っているかも知れないので闇雲に攻められない。


 相手の隙を窺うがこのままでは制限時間が過ぎてしまう。少女は賭け・・に出た。敢えて隙の大きい大振りな動作で打ち掛かる。これまでの戦闘で疲労が蓄積していた事もあってそこまで不自然な挙動ではない。案の定師範代の目が光を帯びた。


 少女の大振りな斬撃を躱しつつ、カウンターを仕掛けようと木剣を振り抜く。だがその瞬間少女はまるで床に這いつくばるかのように大胆に姿勢を低くして師範代の剣を躱したのだ。


「……っ!?」


 最初の大振りな一撃は師範代のカウンターを誘う為の罠だったのだ。師範代がそれに気づいた時には、少女の真下からの斬り上げが師範代の胴を打ち据えていた――




*****




 少女が見事ベカルタ流の免許皆伝を受けた数日後……。アルヘイムの県内にある比較的規模が大きめの村の一角に建つ家の前に、2人の女性がいた。


 1人は身なりの良い初老婦人といった風の女性。そしてもう1人は免許皆伝を受けたあの少女であった。少女は道着や平服姿ではなく、女性用に誂えた鎧を身に着けていた。腰には免許皆伝時に授かった真新しい剣も佩いている。


 通常帯刀が許されているのは男性のみだが、ベカルタ流の免許皆伝者に限っては女性でも帯刀を認められていた。


 それ以外にも少女の姿は明らかに、これからどこかに旅に出るかのような支度となっていた。



「それではお義母様……行って参ります」


「……どうしても考えは変わりませんか、ディアナ」


 老婦人は物憂げな視線を少女――ディアナに投げかける。しかしディアナは決意に満ちた表情でかぶりを振る。


「お義母様、既に何度も繰り返したお話です。朝廷の弱体化に端を発する戦乱は終わる気配も無く、それどころか日々拡大していく一方です。私はただそれを座して嘆き暮らす気はありません。そうするくらいなら……私自らが・・・・この戦乱の世を終わらせてみせます!」


 少女の力強い決意に、しかしその戦乱によって自らも夫や親類を喪っている老婦人は嘆息した。


「……確かにあなたは強くなりました。正直その若さで、条件・・であった免許皆伝を成し遂げてしまうとは思いませんでした」


 ディアナの決意ははっきり言えば、正義感ばかり強い世間知らずの少女の大言壮語でしかない。だが彼女はある意味で極めて頑固であり、また彼女がそう決意するに至った切欠・・を良く知っている身としては強く諭す事も出来ず、せめて免許皆伝くらいの腕前が無ければそんな無謀は認められないと条件を付けたのであった。


 女性で免許皆伝まで至るケースはごく僅かであり、また仮に出来たとしても、その頃にはディアナも現実を知る大人の女性になっているだろうという目論見があった。


 まさか本当に、それもこれ程早くにその条件を達成してしまったのは老婦人にとって完全に誤算であった。ディアナの意志と決意の強さ、そして不断の努力と才能・・を見誤っていたのだ。後は無論……老婦人の息子・・も関係しているかも知れないが。


「しかし……それだけで渡っていける程この末法の世は甘くありません。ましてやあなたは女子おなごです。今の帝国において女が自分で身を立てる事の難しさはあなたも想像が付くはずでしょう?」


 帝国内に浸透している茱教という思想体系では、女は常に慎み深く男を立てる事こそが美徳とされている。男を差し置いて自分で身を立てる女など以ての外なのである。


 だがそれでも尚ディアナは、きっぱりとかぶりを振る。


「その話ももう済んでいるはずです。それも解った上で私は決めたんです。どんな困難が待ち受けていようと私は必ず本懐を遂げて見せると!」


 彼女の言う通り、これまでにも、そして一昨日も昨日も話し合った内容であった。そこで翻意させられなかった以上、ここでこれ以上の問答は無意味だろう。老婦人は溜息を吐いた。


「はぁ……そうですね。解りました。一度決めたら絶対に曲げようとしないあなたの意志の強さは誰よりもよく知っていますからね。いいでしょう。もう止めはしません。あなたのやりたいようにやってみなさい」


 それでもし現実を思い知って挫折するのであれば、所詮はそれまでの事だったのだ。命さえ無事ならいつでもここに帰ってくればいい。しかしもしどんな苦難にも挫折する事が無ければその時は……


「お義母様! ありがとうございます!」


 ようやく折れた老婦人の姿にディアナはその可憐な面をパッと輝かせる。


「但し! 昨日も言ったように、街にいる息子・・を必ず訪ねてもらいます。私は認めますが、息子がこの事をどう考えるかは別の話です。戦乱の世を終わらせるなど大言壮語するくらいなら、自分の義兄・・くらい当然説き伏せられるはずでしょう? それがあなたの旅立ちを認める最後の条件です」


「……! 勿論です! 必ず兄上・・を説き伏せてみせます!」


 意気揚々と頷くディアナ。老婦人は苦笑した。もし彼女の息子を味方に付ける事が出来たなら、ディアナは夢に一歩近付くかもしれない。もしそうなったら後は素直に子供達の無事と大成を祈ろうと心に決めた。


「ディアナ……あなたの行く末に光が照らされん事を……」


 挨拶を済ませ村を後にするディアナの姿を見送りながら、老婦人は義娘のこれからの苦難を想って、その心の安寧をひたすらに祈り続けた……





 帝国の辺境の片田舎での旅立ち。しかし当事者以外に誰も見る者もいないこの小さな出来事が、後に数々の艱難辛苦を乗り越え【戦乙女】の異名と、帝国の歴史上初となる女性の〈王〉……即ち〈女王〉の称号を得る事となる、可憐なる英傑ディアナ・レア・アールベックの立志伝の始まりであった事を知る者は少ない。

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