第49話 焦るケダモノ
繁華街に建つ一軒のバー、キャリアー達ケダモノの巣窟にて一人のホスト風の男が酒を呷る。
もう何杯目かも解らない。彼はストレスを誤魔化すかのように酒を飲み続けている。
「クソっ! あいつら……結局使えない雑魚だらけか。何がターゲットを見付けただ。三人がかりでも返り討ちにあいやがって」
グラスを壁に投げ付けると、甲高い音をあげて砕け散る。硝子片と氷、残った酒が飛び散り、僅かな灯りを反射し輝く。
そんな苛立つ彼の様子を、マスターは静かにグラスを磨きながら眺めていた。
「あー、イライラするな、使えねぇ無能部下ばかりでよぉ……。俺がどんだけ迷惑被ってんのかわかってんのか!」
マスターを睨むも、彼は男には興味無いように沈黙を貫く。そんな態度が気に入らなかった。
「……おい。なんでてめぇは出なかった? 勝手にサボりやがっえ……おい聞いてんのか! お前のせいで、どう責任とんだよ!」
カウンターを殴り立ち上がる。酒が回っているせいか、かなり興奮しているようだ。
「お前が出てれば楽勝だったろ。全滅したのはお前のせいだからな。上からの処分、楽しみに待ってろよ」
睨み付ける男にマスターはため息を漏らし、グラスを磨く手を止めた。
「確かにワシが対応すれば変わっていただろう。そこは非を認め責任もとろう。だがな……」
グラスを静かに置き男を睨み返す。
「お前さんも上の者として何をした? まともな指示の一つも寄越さずただやれの一言。相手の情報も無く突撃命令なぞして、自分には責任は無い? 笑わせるな」
「んだと……」
酷く冷ややかな目。男と違い、マスターの瞳は獣のそれよりも感情の希薄なもの、心情の読めない氷のように冷たい。
「そもそもワシはあんたを上として認めておらん。責任感もなく、ただ声を聞いただたけで今の地位に甘んじているあんたが目障りだ」
「てめぇ、誰に向かって言ってんのかわかってんのか?」
こちらに向けられる視線は燃えるような怒りに染まっている。手は震え、今にも殴り掛かりそうだ。
「あんただよ、無能」
「っ! この、カスが!」
我慢の限界とばかりに立ち上がり、カウンターから身を乗り出し殴り掛かる。だが彼よりもマスターの方が速い。
「グッ!?」
男の首を掴み締め上げる。必死に振り払おうとするが、マスターの方が力が強く離せない。指が食い込み血管を圧迫。頭に血が廻らなくなり意識が薄れてゆく。
「ワシもいい加減あんたの下で働く事に嫌気がさしてきてな。まともな上司ならともかく、声だか何だか知らんが、そんなもんで上下を決めて下働きさせられるのも我慢ならん」
ギリギリと首を絞める手に力が入り骨が悲鳴を上げる。
キャリアーの生命力が今だけは仇となっていた。ただ苦しいだけ、意識を手放す事も、死に逃げるのも許されないからだ。余計な苦痛に男の精神も喰い荒らされていく。
「例えるならコネ入社のダメ社員かのう。不相応な地位に甘えるだけのガキが……。だが貴様があぐらをかいてられるのもここまでよ。ワシは必ず進化し上位キャリアーとなると確信している。貴様と違い……な」
そう言うと、男をそのまま店の壁に投げ飛ばした。壁に叩き付けられ力無く床に倒れ伏すが、起き上がろうとする男の前に重たい足音が響く。
額から伸びる一本の大きな角、全身を覆う黒い甲殻、キャリアー特有の髑髏のような口元。この姿に誰しもが感じるであろう、圧倒的な力を。
カブトムシ型キャリアーが男を見下ろしていたのだ。
男はたじろぎつつも威勢は崩さぬよう睨み続ける。
「げ、下克上のつもりか? お前ごときが……」
「怠け者の貴様と一緒にするな。ワシはこの身体になってからも鍛練を怠らず己を磨き続けた。そして何よりも」
「グッ……」
男の背を踏みつける。その巨体に押し潰されては抜け出せず、身動き一つできない。
屈辱。それだけが男の脳を支配している。
「先日、別のリーダーが店に来たのだよ。たしか……純一郎とか名乗っておったな」
「な……あいつが来たのか?」
「ああ。実に話しの解る男だったよ。それに手合わせせずとも察せる実力者だな」
足から伝わってくる男の絶望感。抵抗する力がどんどん失われていくのがわかる。
「ワシの力を認め、実績次第では貴様の席を譲るとな」
「嘘……だろ?」
「フフフ……丁度良い獲物もおる。件の抗体持ちのキャリアー、そしてこの街にいるグローバーの首を手土産にすれば良かろう」
男の顔から血の気が引き、みるみる青ざめてゆく。
手にした地位、今の自分が音を立てて崩れてゆく。否、そのメッキが剥がれ落ちているのだ。
「フ……フハハハハハハハハハ! 残念だったなぁ。だがこいつは自業自得だろう」
マスターは男を蹴り、男は床を転がり壁にぶつかり力無く項垂れた。
その様子を鼻で笑い、マスターはカウンターへと向かうと、酒のボトルを掴みそのまま飲み始める。
「ふむ。確かに貴様らは特別なのかもしれん。だがな、そこに天狗になって怠けた結果がこれだ。情けないが、自分の価値の低さを見せびらかしただけよ」
「ぐそっ……」
悔しそうに眉間に皺を寄せるが反論出来ない。否、一つだけあった。
「フ……フン! だがお前が勝てる保証がどこにある。三人がかりでも負けたんだ。お前一人で勝てるはずがないだろ!」
そう、三人で挑み負けた事。人数は戦力に直結する。単純に考えればマスター一人でどうにか出来る問題ではないはず。
どうせ無駄死にするはずと心の中で嘲笑う。
しかしマスターはそんな予想とは反対に、余裕綽々といった様子で酒を口に運ぶ。
「クハハハ。そうだな、普通はそう考えるだろう。だが、残念だがそうはならない。これも貴様の怠惰だな。部下の能力を把握するのは上に立つ者の基本だぞ」
「んだと!」
噛み付くように吠えるも、最早それは負け犬の遠吠え。マスターは笑うだけだ。
「ワシは強いぞ。あのガキ共が束になってもワシの方が上だからな。グローバーが二人がかりでも勝った。で……」
虫の目、無数の目が集まった複眼に男の姿が映る。生理的嫌悪感を抱かせるようなその目に男の背筋が凍りついた。
「貴様は何人のグローバーに勝った? 無論武装している奴にな」
「……グッ」
「逃げているのだろう? 戦いもせずにな」
戦わずに逃げた。その事に怒りを露にする。
下の者が必死に命懸けで戦っているのに、この男はどうだろうか。そんな静かな怒気に男は気圧される。
「貴様にはもう未来は無い。知ってるぞ、貴様が何型のキャリアーかを」
ボトルを置きゆっくりと歩み寄る。そして震える男の襟を掴み強引に立ち上がらせた。
男は明らかに動揺し絶望にうちひしがれる。
「は……はは。俺が何者だろうと関係無いだろ。それに意味があんのか?」
「強がってるな。確かステラーカイギュウ……だったかな。そら貴様も変身しないのも頷ける」
「……止めろ。言うな」
「調べたが、人間に簡単に滅ぼされるような弱者とはな。戦う力を持たない生物とは実にくだらない。そして情けない」
「う……ぐ……」
コンプレックスだったのだろう。男は身体を震わせながら今にも泣き出しそうに歯を喰い縛る。
ステラーカイギュウは本来人類の被害者、愚行の代表とも言える動物だ。発見から僅か二十七年で滅んだ悲劇の動物。しかし人類の敵である彼からすれば、そんな歴史は弱者の烙印でしかない。口にするのも躊躇う恥だ。
「おとなしく海にでも逃げて震えていろ。今は実力主義の世だ」
そう言いながらマスターは店の奥に姿を消した。一人取り残された悔しそうにうずくまり、呻くようにすすり泣く。
その声に応える者も、寄り添う者もいない。ただ一人、絶望感に押し潰されていた。
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