第45話 真昼の梟

「いた!」


 美咲の声に我に返る。彼女の視線の先には尻餅をつき追い詰められている千夏の姿があった。

 彼女の前に立つプテラノドン型キャリアーは肩で息をし、疲労感と同時に立っているようだ。


「ちょこまかと逃げ回りやがって、うざいんだよ! 俺を苛立たせるな、玩具になって楽しませろ!」


 千夏は何も言わない。うっすらと開けた目は真っ直ぐキャリアーを睨み付けている。

 今の彼女の心に恐怖は無かった。それ所か、この状況を再び楽しみ始めている。感じた事の無い緊張感、命の危機というスリル、物語のなかにしかない非日常に心臓が高鳴る。

 それが異常だと彼女は気付いていない。今まで築き上げてきた人生、黄川田千夏という人間にはあり得ない感情。まるで自分自身の体験ではないような感覚に揺さぶられる。


「フ……フフ……」


 キャリアーの攻撃を避けられたからだろうか。無意識の内に笑みが溢れ、感情が別の形に変化してゆく。

 だがそれはキャリアーの神経を逆撫でするだけだ。


「クソが! 死ね!」


 頭をかち割ろうと、腕から伸びる嘴を振り下ろした。


「黄川田!」


 卓也と美咲も急ぐが、間に合わないだろう。

 突撃槍のような凶器が迫る。その瞬間。


「!」


 嘴を掴み受け止めた。爪を食い込ませ微動だにしない。


「な……」


 キャリアーが驚くのも無理は無い。こんな小柄な少女が受け止められるはずがないからだ。

 千夏はそれを払い退け立ち上がる。その異質な空気にキャリアーも後退った。


「ふんっ!」


 そして、何かがキャリアーを突飛ばす。

 卓也達が見たのは灰色の翼。羽毛に包まれた鳥の翼が生えていた。暗い色合いのせいか、その姿はまるで堕天使のようだ。


「何だよ……お前。それ……」


 本来人間には、グローバーには無いパーツにキャリアーも驚きを隠せない。

 そんな彼と違い、千夏は息を荒げながらうつむき唸る。


「うう…………ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 叫んだ。その声はもはや人の言葉ではない、獣の咆哮だった。

 翼が彼女の身体を包み球体を形成。そして翼を広げ解き放つ。

 そこにはもう千夏の姿は無かった。

 キャリアー特有の髑髏のような口元、白目の見えない真っ黒な目、鋭い爪を持つ四肢。そして着物のように生え揃った羽毛。

 フクロウ型キャリアーとなった千夏がそこにいた。


「嘘……」


「やっぱり、黄川田さんも……」


 驚きのあまり呆然とする二人。更にキャリアーもその姿に思わず翼を広げ逃げるように飛び立つ。彼は空から千夏、そして卓也達を見下ろす。


「聞いてねぇ、聞いてねぇよ! 一人じゃねえのかよ!」


 悲鳴にも似た声。予想外の出来事に頭が追い付いていない。

 武器も持たないグローバーなど少し面倒で返り血が危ないだけで、それ以外は人間と変わらない。寧ろ、嫌悪感の対象として痛め付ける快感は人間以上だ。彼女の姿が変わるまではそう思っていた。

 だが実際はどうだろう。未知の敵に恐れ後退りしているのは自分だ。

 そしてゆっくりと千夏は上を向き、キャリアーを感情の読めない真っ暗な目で睨む。


「ハアァァァ!!!」


 飛んだ。翼を羽ばたかせつつも、羽音一つ立てずに、キャリアーよりも高く。

 大きく広げた翼には赤い光がいくつも点在している。それが何なのか、彼は瞬時に理解した。


「やべ……」


「ツァ!」


 逃げようとするが千夏の方が速い。彼女が赤い光を投げるように羽ばたく。その光は翼に生えた羽根。羽根の一つ一つが投げナイフのように放たれたのだ。

 赤い光の雨が一斉に襲い掛かる。


「ヒィ!?」


 悲鳴にも似た叫び。その声は千夏には届いていない。それが何なのか解っているからこそ恐ろしいのだ。猛毒の雨が眼前に迫っているのだから。

 赤い刃が降り注ぎ、キャリアーの翼、四肢、顔を切付け、背中に突き刺さる。そしてその傷口は緑色に変色してゆく。

 傷付き、バランスを崩したキャリアーはそのまま地面へと墜落する。全身を叩き付けられ、血の塊を吐き出しながらもその強靭な生命力が意識を繋ぎ止める。

 墜落の怪我は再生されてゆき、痛みに耐えながら立ち上がる。だが千夏に切付けられた傷は治る気配がない。抗体によりウイルスがやられ、肉体が融解しているからだ。


(ヤバイ……ヤバイヤバイヤバイ!)


 心の奥底から沸き上がる死の恐怖。僅かに残った人の部分が恐れを訴えている。


「オァァァァァァァァァ!」


 上空では千夏が咆哮を上げその鋭い足の爪を向け急降下、キャリアーの頭を蹴り砕こうと迫る。彼女の爪に貫かれればどうなるか、想像するのは容易い。


「クソっ!」


 先程までの威勢は消え失せ、狩る側、狩られる側の立場は入れ替わった。もう彼は大空から獲物を品定めする翼竜ではない、より強大な捕食者から必死に逃げ回る小鳥だ。急ぎ飛び立ち、紙一重でその爪から逃れた。

 衝撃に土煙が巻き上がる。空振りした千夏の足は地面に突き刺さり、彼女は下を向きながら首を真後ろに回転させキャリアーを見詰めていた。


「クソ、くそ、糞! 何なんだよあいつは。あの無能ホスト、適当な情報寄越しやがって!」


 体内のウイルスは彼女を殺せと命令してくる。だがそれ以上に生物としての生存本能が逆の要求をする。逃げろと。

 彼が年若いせいか、圧倒的な死の恐怖が勝ったのだ。外敵の排除、醜悪な存在の根絶よりも。


「……………ファァァァ」


 土煙が晴れ、息を吐き首を傾げながら足を引き抜く。

 彼女が恐ろしい。その黒い目に見られるだけで心臓が握られるようだ。


「ウウ……アアァァァ!」


 叫び、地を蹴り飛翔する。慌ててキャリアーも逃げ出すが、その距離はどんどん縮まってゆく。

 当たり前だ。身体中ボロボロな翼竜の少年は飛ぶ事すらギリギリなのに千夏は無傷。逃げきれるはずがない。


「俺はもっと殺したい。嫌だ……まだ死にたくない!」


 悲鳴は彼女の心に届かない。千夏の翼は赤い光が灯り、羽ばたく度に強く光を増してゆく。それは一対の光の大剣だ。


「嫌だ嫌だ! 来るな来るな、来ないでくれぇぇぇぇぇぇ!!!」


「ガアァァァァァァ!!!」


 すれ違い様に、背後から腰に翼を叩き付ける。一瞬の抵抗感。だが彼の身体は一撃で真っ二つに両断される。


「糞がぁ……」


 上半身と下半身は離れるだけに止まらず、傷口から緑色に変色し広がってゆきキャリアーの肉体を溶かす。

 地面に到達した時には全身が溶け、グシャっと音を立てて緑色の水溜まりが二つ残されただけだ。

 千夏は息を荒げながら降りると、膝を着いてへたりこむ。


「ハア、ハア……。私……何を? え?」


 まるでたった今自分の状況を理解したかのように、己の手を見て震えている。


「待って…………これ、何? ちょっと……嘘?」


 今さっきまで何をしていたのか。次第にその記憶が鮮明になり、怖れが心を塗り潰してゆく。

 そんな千夏を遠目に卓也と美咲は息を飲む。


「……藤岡君、見えてるよね? 私が幻を見ている訳じゃないよね?」


「ああ、俺にも見えてるよ。まさかとは思っていたけどさ……」


 卓也の予感は的中した。これが良い事なのかはわからないが、心の片隅で不安が根付いているのが感じる。


「黄川田さんは……俺と同じなんだ。抗体を持つキャリアーなんだ」

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