第27話 終末医療:前編

 工場の天井を壊しながら落下。地面に背中が叩きつけられる。


「ぐはっ!」


 数メートルの高さから突き落とされたのだ。背中に亀裂が入ったような痛みが走り、衝撃が脳を揺さぶる。

 普通なら大怪我で動けないはずだ。だが卓也はゆっくりと寝返り身体を起こす。


「痛っつ…………。くそっ、身体が頑丈なのも考えもんだな」


 背中の肉が、骨が疼いている。自分の肉体が桁外れの速度で修復しているのが感じられた。

 自身の頑丈さに複雑ながらも感謝し、痛みが退いていくのを感じながらふらつく足で立ち上がり、服に着いた砂埃を払う。

 すると上空から声が聞こえた。


「ヒュー。やっぱり耐えられるみたいだな。そうでなくちゃ痛めつけがないからな」


 両腕の翼をはためかせ、ゆっくりと降り立つ。そしてニヤリと口角を吊り上げた。

 楽しんでいる。卓也がキャリアーとして高い生命力を有するのを僅かながら喜んでいた。


「藤岡、お前は絶対に許されない罪を犯した。下等生物の分際で、選ばれた存在である僕の顔に傷を付けたのだからな」


 崩れた顔を撫でる。声色は低く、落ち着季ながらも確かな怒りを感じさせる。


「…………松田」


 彼の変わり果てた姿に言葉が詰まる。確かに顔の傷は自分が付けたものだ。しかし松田の行いを許す事は出来ないし、放置するのも論外だ。

 それでも卓也は平和的に止めたかった。戦わずに説得したかったのだ。


「頼む、投降してくれないか? このままだと死ぬんだぞ。協力すれば、きっとこの病気を治せるかもしれないし……」


 卓也の心にはまだ戸惑いがあった。ヴィラン・シンドロームを食い止めるのは賛成だ。家族や友人を巻き込みたくない。しかし戦う選択を選べずにいた。


「…………はぁ」


 そんな卓也の想いを否定するようなため息が聞こえた。その次の瞬間 には、衝撃が卓也の身体を吹き飛ばす。


「ぐっ!?」


 瓦礫の山に衝突し、崩れた残骸が錆臭い匂いを放つ。

 卓也の目には視認出来なかったが、今の衝撃は知っている。松田の口から放たれた衝撃波だろう。

 それをモロにくらってしまったせいか、目眩に耳鳴り、咳き込みながらなんとか這い出した。

 そして松田は半ば呆れたように腕を組み卓也を見下ろす。


「藤岡って本当に馬鹿なんだな。糞に集るハエとデートする奴がいるか?」


 嘲笑うような声で一歩づつゆっくりと歩み寄る。


「ミジンコに頭を下げるゴミがいるか? ボウフラにへりくだるような間抜けが正しいと?」


 卓也の襟元を掴み強引に立ち上がらせる。


「選ばれた至高の存在たる僕が! 無価値な凡人に協力だと? 馬鹿にしているのか!」


 拳を握りしめ卓也の顔を殴る。

 予想以上に重い一撃だった。元々の松田の体格を考えればひ弱な拳のはずだ。しかしキャリアーとなり彼の身体能力も大きく跳ね上がっている。威力が上がるのは当然だ。


「僕は完璧なんだ! 最高の、究極の、神にもなれる逸材なんだ! その証拠に僕と違い佐久間達はドブネズミに堕ちた……」


 一言一言、叫ぶ度に殴る。

 思い上がった、高慢な言葉だった。それなのに、まるで自分に言い聞かせるように、必死さが伝わってくる。


「僕を認めない皆……痛っ」


 痛みに手を止め拳を確認する。松田の拳は表面の皮膚が溶け緑色に変色していた。

 殴られた時に滲み出た卓也の血に触れ、血中の抗体が松田の皮膚を融解してしまったのだ。


「…………本当にイラつく奴」


「うぐっ!」


 卓也を投げ捨て、離れるように歩き出す。


「お前と高岩は害虫だ。駆除しなくちゃいけないゴミ以下の存在だ」


 ぶつぶつと呟く松田に不気味さを感じながらも、卓也は顔の血を拭い立ち上がる。


「松田、お前本当に人の心を失くしちまったのかよ! 家族とか、大切な人がお前にもいるだろ!」


 きっと人の心さえ取り戻せば、思い出させればと……。ヴィラン・シンドロームと言う病に惑わされず、心だけでも打ち勝ってほしい。

 そんな願望を叫ぶと、松田は一瞬足を止める。


「家族……だと?」


 淡い期待を抱いたが、すぐに崩れ落ちる。彼の声色は今までに無い程荒んでいる。怒りだなんて生ぬるい、今にも爆発しそうな憎しみに満ちている。


「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 何か触れてはいけないものに触れてしまったのだろう。怒声と共に両腕を頭上で組み翼を広げる。それはまるでメガホンのようだった。


(ヤバっ!)


 松田の口元の空気が震える。

 直感と言うべきか、異様な危機感を感じた。一目散に松田の正面から逃げ出す。


「ハァ!!!」


 放たれたのは突風。今までの衝撃波とは桁違いの威力を持った嵐。地面を抉り、瓦礫を吹き飛ばし、工場の壁に大穴を開ける破壊のエネルギーそのもの。

 直撃こそ免れたものの、卓也の身体は宙を舞い飛びかけた意識をなんとか繋ぎ止める。しかし左足が崩れた瓦礫の下敷きになり動けなくなってしまった。


「ヤバっ……」


 何とかして瓦礫を退かそうと手を伸ばすが、それを阻むように黒い足が瓦礫を踏みつけた。

 視線を上げた先、そこには怒りに満ち息を荒げる松田の姿があった。


「あんな……僕を道具としか見ていない奴なか家族なものか!」


 彼の手には細い鉄の棒、一本の鉄筋が握られている。


「学歴やステータスしか見ていないんだ。僕の価値を理解せず、たった一度のミスで見捨てるような…………奴なんかぁぁぁぁぁぁ!」


 力任せに振り下ろし、鉄筋が卓也の腹部に突き刺す。内臓を抉りながら身体を貫き、卓也を地面に縫い付ける。


「あ……ぐっ……」


 今まで感じた事の無い激痛に意識を失いかける。内臓が焼けるような、身体の内側から溢れる痛みに脳がショートしそうだ。何とか引き抜こうと手が触れるが、その僅かな震動さえ痛みとなり思わず手を止めてしまう。


「……そうだ、あいつらも感染させてやる」


 卓也が動けないのを確認し、松田はゆっくりとふらつきながら後退る。


「僕を理解出来ない無能なんだ。藤岡、お前と高岩を殺したら父さん達もドブネズミにしてやる!」


 人とは思えぬような耳に纏わり付く陰湿な笑い声。邪悪な笑み。家族すらも傷付けようとするその姿を睨む。

 交差するお互いの視線。光を失わない真っ直ぐな卓也の目に舌打ちする。


「生意気な目をしやがって、ムカつくな。…………そうだ、ついでに井上達もやってやるか」


「なっ!?」


 思いがけない言葉に目を見開く。松田のターゲットは一馬と二葉に向かっていた。

 二人に恨みがあるのでは無い、ただ卓也に対する苛立ちの矛先にしたのだ。


「兄の方は半殺しだな。妹は……身体は悪くないし犯すか。まとめてドブネズミにしてやるよ。アッハハハハハハハ!」


「…………!」


 聞き捨てならない言葉に痛みも吹き飛ぶ。

 最悪な絶対あってはならない未来。井上兄妹の感染。それを堂々と宣言したのだ。その言葉に煮えたぎるように心臓が激しく鼓動する。

 卓也の怒りを読み取ったのか、松田は嬉しそうに笑い声を響かせた。


「ゴミが持っていたライターもあるからな、いくら僕と同じ再生能力があっても、バラバラにして焚き火になれば……耐えられるかな?」


 再び腕を組み翼で巨大なメガホンを造る。

 松田が離れたのは衝撃に巻き込まれないようにする為だと気付いた。


「痛めつけずに殺してやるんだ。せいぜい感謝しろよ」


 大きく息を吸い、空気が震動。翼の中で反響しながら渦巻く。


「くたば……」


 空気を加速させ衝撃波を解き放とうとする。

 が、空気が抜けるような感触と、一瞬遅れて右腕に激痛が走る。


「……え?」


 右の翼、その皮膜に鉄筋が突き刺さっていた。その鉄筋に見覚えがある。卓也に突き刺したもの、彼の血がべっとりと付着した物が皮膜に穴を開けていた。

 卓也は自らに突き立てられた鉄筋を引き抜き、松田の翼に投擲したのだ。


「ぼ、僕の……!」


 卓也の血に含まれる抗体が翼を溶かし刺し口を広げてゆき、緑色の粘液が滴る。

 皮膜に穴が空いては翼としての機能を失う。更に抗体の傷は再生能力を阻害し簡単には治らない。飛ぶ事は不可能だ。


「松田ぁ……!」


 瓦礫を蹴り飛ばし、腹を押さえながら立ち上がる。強引に引き抜いたせいか、大量の血が飛び散り押さえる右手は真っ赤に染まっていた。

 本来なら立つのも困難な状態だ。しかしキャリアーの生命力が卓也を奮い立たせ、力強く松田を睨み付けている。


「そんな事…………させるか! 二葉も一馬も、俺が守る!」


 今までにない感情の高ぶりに意識がはっきりしてくる。大切な友人を守ろうとする意識だけで立ち上がる。

 その異様な気迫にたじろぐも、直ぐに余裕たっぷりな笑みを見せる。


「ふ…………ははは。守る? どうやってだ。良い子ちゃんの偽善者な藤岡くぅん? お前に僕を殺せるのかなぁ」


 日頃の腹立たしい正義感と説得を試みた事から、卓也に争う意思が無いと見ていた。

 口先だけの臆病者。善人ぶるしか能の無いヒーロー気取り。それが松田の中での卓也の評価だ。

 そんな嘲笑う言葉に卓也は血に汚れた手を見て強く握りしめる。


「…………戦うなんて、人を殴るなんて、こんな形でしたくなかった」


 武術を習ったのも、今まで鍛えていたのも夢の為、父への憧れから。テレビ番組のヒーローとして子供達の夢や希望になりたいと思ったからだ。


「だけど……現実は違う。この世界に生きる人を、大切な家族や友達を……お前の好きにさせちゃいけないと気付いたんだ」


 引き抜いた傷は既に塞がっているか、痛みはもう消えていた。身体のふらつきも治まり、しっかりと二本の足で松田の前に立つ。


「俺は覚悟を決めた。高岩達、グローバーのように、この病気と戦う」


 彼女達がどんな想いを胸に戦うのかは知らない。ただ一つ、ヴィラン・シンドロームから人々を守る戦いである、この一点は揺るぎ無い。

 そして戦う事は病人を殺めると同位だ。その罪も非難も背負うと心に決めた。


「松田、俺がお前を治す!」


「ハァ?」


 美咲達と同じ目線で、同じ立場で、命を奪う罪を抱きながらも戦うと決めた。

 だからこそ叫んだ。


変身アクティベーション!」


 地面から伸びた蔦が卓也の身体を球状に包む。卵から孵るように弾けその中から人ならざる者となった卓也が現れる。

 髑髏のような口元にマフラーのように靡く大きな葉、木製人形に似た身体。琥珀のような瞳が光を反射し輝く。

 植物型キャリアー。初めて確認された非動物型の怪人。本来ならば人類の敵となる存在が人々の為に立ち上がる。

 今までにない、とても落ち着いた気持ちだった。覚悟を決めたからこそ心の靄が晴れたのだ。

 格好だけかもしれない、一時的な気持ちかもしれない。しかし今この瞬間は嘘偽り無い自らの意思だ。

 そしてこの言葉を宣言しよう。グローバーが告げるキャリアーへの宣告、最期の治療の言葉。


「治療……開始」

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