虚盗の魚 8

「取れって。ここなら目立ちやしないだろ」

 投げ合えば挨拶はもう十分となり、向かいへ尻を落ち着ける。その傍らでまた歓声は上がると、飛び散った光の欠片が壁で砕けた。

 確かにここなら紛れてしかりか。ジップを下ろし、フードを払って手袋もまた脱ぐ。淡く光りを放つ手で、テーブルの隅に立てかけられたメニューを取った。

「元気そうじゃないか」

 食欲だけではかるなど、相も変わらずノーテンキがうらやましい。

「来れないとでも言うのかと思ってたけどよ、安心したぜ。まあ実際、ド派手にやらかしてるしな。お前らアタマ、おかしいだろ」

 ちょんちょん、と十七分は自分の頭を突いてみせる。

 放ってとにかくメニューを灯した。迷わず選んだナポリタンを<ruby>送信<rt>オーダー</rt></ruby>し、ほかへも目を巡らせる。

「だいたいよ、取引中に介入してシステム障害でも引き起こせば巨額の損害賠償沙汰だっつーの。海の旨味はいくら刈ってもただの不正アクセスでしかないってところだろ。だのにあれじゃ過ぎる」

「派手にやりたい時もあるんだよ。ほっとけ」

 特に食べたいものは見つからず、用のすんだメニューを元の位置に立てた。前ではやれやれと、十七分が両手を広げている。

「消えたお前の話、ようやく落ち着き始めたってのに、おかげでまた持ちきりだ」

「俺の事は言ってないだろうな」

 その顔をチラリ、睨みつけていた。

「めんどくせぇ。陸のクロは謎の引退を遂げたままだ。だがな、これからは前もって知らせとけ。そのうち口止め料、いただくぞ」

「あのな、おれんじと組んでることはお前が無理やり吐かせたんだろうが」

 と早くも傍らへ油の弾ける音はビチビチ、近づいてくる。鉄板仕立てのナポリタンと粉チーズに水の入ったグラスだ。自走カートに乗るとやって来ていた。

「お、そいつ、うまそうだな」

 早々、のぞきこんだ十七分は唇を舐めてみせる。

「ゴラ、話を逸らしてんな」

 一口だろうと横取りされたくなく、テーブルへ移したスパイシーなケチャップまとうナポリタンを隠すようにして食らいついていた。

「なぁ、よぉ」

 などと十七分が呼び掛けたのは、そのナポリタンが半分ほどに減った頃のことだ。

「おれんじ、ってどんな奴だ」

 どうやらそれが呼び出した理由らしい。

「男なのか。女だって噂もあるよな」

「秘密事項」

 確かに活動はこうして隠せず誰もが知るところとなるほかないが、その継続にもかかわる素性は別だ。気安く吹聴するな、というのはおれんじと組む際、こっぴどく念を押された約束のひとつで、バラせばこちらの身元もおそらく海へあらいざらいまき散らされる。

「いい加減、会わせろよぉ。もう口は堅いって知れたろぉ」

 その猫なで声もまとめて退散を念じ、ナポリタンの後半戦に備え粉チーズを真っ白になるまで振りかけた。悩殺極まるその姿へ再び挑む。

「保証人が必要な程度にはな」 

 ならチ、と聞こえたのは十七分の舌打ちで、頭上をまた鐘の光は飛んでいた。周波数が変更されたのか、色は蛍光オレンジに変更されている。触れて人ごみの中、失神した者が出たらしい。店員総出でバーカウンターの端にある裏口から、外へ担ぎ出されてゆく。そのまま店を回り込む裏路地を抜け、降りて来たあの地下駐車場のスロープ前へ放り出されるというのがいつもだった。

「なあ」

 それもまた見送って思い出したように十七分は口を開く。

「もう一度いっしょにやろうぜ、クロ」

 のぞき込む眼差しは熱い。

「相方だからって、おれんじに会おうって魂胆か」

 熱いほどに透けて見えていた。

「てへぺろ」

「その舌、噛んで死ねや」

 うちにも鉄板は底を見せ、最後、散らばる粉チーズを押し付けたフォークの裏で口へと運ぶ。

「うまい」

 鉄板を、ベルを押して呼んだ自走カートへと返却した。

 これもまた見届けた十七分は、すっかり意気消沈した様子だ。

「クロちゃんさぁ、もう俺たちはやっちまってんだよぉ。今さらいい子でいたって移住の順番も繰り上がんねぇし。なんだかんだでジジイになるまでここに足止めがオチってやつだ。その頃にはもう、辺りは俺たちみたいな奴らしか残っていないぜ。なら遅かれ早かれ地上はこっちのもん、ってやつだ。待ってられっかよ。とっととスキにさせてもらおうぜ。な、クロ。仮にも陸の王者だろ。光ってんだか何だか知らないが」

 ぐい、とそこで身もまた乗り出してくる。

「部屋でこそこそナニするなんざ哀れだぞ。負けた俺の名誉のためにも、やるなら<ruby>陸<rt>オカ</rt></ruby>へ上がってこい」

 抱くじれったさは本心からのものらしい。

「コソコソってな。お前」

 だからこそ言うほかなくなる。

「海をバカにしてんのか」

 おれんじには興味津々のくせに、だった。

「違う。おれんじはすげぇさ。だがお前はそっち側の人間じゃないってハナシだ。わかってんだろ。未練があるから組んで、今でも刈ってんだろ」

 と、聞き流すべくグラスを取った手は、そこで止まる。

 未練がある。

 突き付けられて鼻からゆっくり、とりわけゆっくりと息を抜いていた。

「どっちでやろうと、俺には変わんねぇんだよ。それに」

 気づかぬフリこそ出来やしない。

「俺は目立つ。人をオトリにする気か、てめぇ」

 突き付ければ、うむ、と唸って十七分は、胸の前で深く腕を絡めていった。

「さすがだな、クロ」

「当てにいったつもりはねぇっ」

 やり取りこそ、これが変わらぬいつもというやつだ。

「言っておいてやるがな」

 だが十七分は次こそ、いつものようには返してこなかった。

「この先、海は荒れるかもしれないぜ」

 言葉へはどういうことだ、と思うほかない。

 ままに見合えば煙に巻く十七分は、宙へと腕を振り上げていた。

「冗談。冗談だよ。だが一緒にやろうってのは本気だからな。それと」 

 背伸びを放って椅子へと深く背をもたせかける。今度こそ、いつもとおりとこちらを見据えて口を開いた。

「おれんじの件も俺は本気だ」

 その頭をはたく。

「イッ、でぇっ。手加減しろよ、クロちゃんよぉ」

「腹も膨れたし、俺、帰るわ」

 スピーカーを震わせ重低音がピッチを上げている。テーブルの上でグラスの水に波は立ち、合わせて鐘が乱打された。光は輪となり波状攻撃、広がりゆくと、受け止めんと客がつないだ手を高く頭上へ振りかざす。

「おれんじくらいのハッカーならよ」

 それは支払いのカードをテーブルのスリットへ通した時だ。

「前歴があろうと最優先で割り込めるぜ」

 コブをさする十七分の目に他意こそない。

「そのうちとっと移住しちまうぞ」

 唇はそれでもいいのか、と歪められていた。

 だから捨てられる前に戻って来い。

 そういうことか。

 余計なお世話だよ。

 返しかけてアゴを跳ね上げる。

 店を密閉していたドアだ。

 あの重さを無視すると弾けたように開いていた。

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