虚盗の魚 7

 目が覚める。

 セットしておいた目覚ましが鳴ったせいではない。端末に通話が入ったためだ。呼び出し音は鳴り続け、夢を途中でぶった切っていた。

 力づく引き戻されたような現実へ頭と気持ちがうまく切り替わらない。まぶたを開いてまつ毛が濡れていることに気づき、拭ってどうにか時計へ目を向けた。ルーターの表示は十九時五十分。あれから二時間ほどしか経っていない。

「ったく」

 片耳からジャックを引き抜く。代りとそこへ呼び出し音の鳴りやまない端末を押しつけた。

「……おう」

「見たぜ、派手にやったな」

 十七分だ。

 そう、名前を「十七分」と言う。もちろん公に登録された名前でなく「おれんじ」と同じ「かる」者のハンドルネームだ。

「アレ、おれんじと、だろ」

 何をや待ちきれず十七分の声は高くなり、そのボリュームに反対の耳のジャックも抜いて端末を持ち替えた。

「陸も海も、もう持ちきりだぜ」

「ほかにするこたぁ、ないのかよ」

「ある、ある」

 嫌味に気づいていないのか。連呼の意味こそ分からない。

「いつも無駄に元気だな」

「残念か?」

「お前には何も期待してねぇよ」

 明かせばなぜ十七分、などと妙な名前かといえば、それはまだ陸で狩っていた頃の話だった。十七分はサスケと名乗る同業者で、自動運転をジャミング、バックドアを蹴破り流れるような手際で積み荷からめぼしい荷だけをピックする、界隈ではちょいと名の知れた猛者だった。

 確かにその全てを十七分でやってのける輩はそうはいない。

 だからこそ互いはタイムを競うことになった。

 そしてサスケはいつも通りに十七分を叩き出し、周囲へ勝利を吹聴している。

 だがそれこそが間違いの元となった。何しろこちらは十五分で済ませたのだから、面目は丸つぶれだ。知って怒り散らすサスケは見もので、周囲も「十七分」と呼びからかっている。うちにもいつしか定着すると呼び名になったというわけだった。

「なぁ、久しぶりに飲もうぜ」

 そんな十七分が誘ってくる。

「たかるなよ。こちとら光ってるんだぜ」

「ゾフルーザで二十時、な」

 聞かない相手に言葉は通じず、その強引さに操られて目が勝手と時計へ動く。

「今すぐかよ。覚えてろ」

「はっは。十七分のうちは忘れるかよ」

 その件があってからおかしなことに、十七分とは張り合うどころかつるむ陸の仲間となっていた。いや正確には仲間だった、と言うべきか。

「じゃな」

 笑った十七分が通話を切る。

「何が、じゃな、だ」

 吐き捨てこちらも元の位置へ端末を突っ込んだ。

 おかげで妙なところで切れた夢はといえば、夢独特と見る者を主人公に、時に真横の傍観者に、全てを知ったる全能の視点に挿げ替えながら、どういう意味があるのか同じ病を患う男の一日を流し込んできている。その五感伴うアリティーにあてられ、こちらもその気で泣いていたなら、不意に切れて放り出された今こそ妙に居心地が悪かった。確かに外の空気でも吸わなければ、気分も切り替わりそうにないと思う。

「やっぱ、ハラ、減ったしな」

 伸ばした手でルーターの設定を解除した。

 端末で確かめる限り表は雨も降っていないらしい。外出するのは何日ぶりか。グループセラピーへ通うこともやめたのだからそもそも出かける用事がほとんどない。ともかく、気になる光をシールするため黒を選ぶと口元までジップを引き上げフードをかぶり、ポケットへ手袋をねじ込んだ。

 部屋を出た足音が廊下に響く。落ち葉が吹き溜まるエントランスへ降り、敷地内に併設された公園を横切って表通りへ出る。育ち過ぎた植え込みと、よく似た形のマンションがとにかくくどい有様だった。店の消えた街はその穴を埋めることにてこずると、いたるところに公園もまたこしらえている。それでいて別の星へと移住を進めているのだから供給過多は甚だしく、公園はどこもかしこも侘しさの溜め池と、空っ風を吹かせていた。唯一、混雑しているところがあるとすれば、街灯かと信号機を並べるこの表通りだけだろう。なぞり歩けば傍らを、自動運転の配送車は連なって、追い抜き黙々、走り抜けていった。

 それにしても車体へ塗られた広告は、ここでは買っても使いようのない家電やネット環境の引っ越しサービス。資産運用に、地上からの引継ぎ委託代行業者の名ばかりだ。移住が進んでそんな広告も、いやニーズそのものが限りなく縮小してゆけば、この風景もいったいどう変わってしまうのか。

 想像すらできず肩をすくめたところで「ゾフルーザ」の入る建物は目に入っていた。空き家となった年代物のマンションをリノベーション。テナントビルに仕立てなおした七階建てのビルだった。

 その半地下へは壁の青い矢印にならいスロープから降りてゆく。広がるコンクリートがむき出しの駐車場だったろう空間は、今や左右に店を並べており、とはいえ移住した客と経営者らのせいですでに歯抜けは目立つが、ぽつりぽつりと明かりを灯していた。

 連なるその突き当りの位置だ。今日も奇跡と営業を続ける「ゾフルーザ」の明かりを見つける。反射させて革張りのドアが濡れたような光を放っており、コの字の取っ手をごついボルトで固定していた。

 掴んで一度、握りなおす。たとえばシールされた缶のフタを開ける要領といえばちょうどだろうか。踏ん張る体で開封の義と、そうしてドアを引き開けていった。なら浮き上がった隙間から空気がむわ、と吸い出されて渦を巻く。紛れてバカ騒ぎの声が、バスドラムの重低音が、襲い掛からんばかり吹き出した。

 全身に浴びて店内へと足を踏み入れる。

 外からでは想像もつかないような数の客だ。窓ひとつない店内にはひしめくのが見渡せた。そのほとんどは半裸で身をすり合わせるように踊っている。ただ中にヘビー級の鐘は吊るされて、真下の舞台でヘラクレスに扮した男が木槌を振り上げ客らをあおり吠えていた。

 応える客が無数の手を伸ばす。

 ヘラクレスは振り上げた木槌でこれでもか、と鐘を突いた。鐘を中心に、蒼く可視化された音が周囲へ波紋を広げる。飲まれた客の肌で砕けて飛沫となって散り、浴びて恍惚とした声は客からまた上がっていた。

 その光はひとかけら、間をすり抜けるとドアまで流れてきた様子だ。

 かざした手で受け止める。

 手袋越しでもゾクッ、とする刺激は伝わっていた。

 これが表へ漏れでもしたら一大事となる。踏ん張り引き寄せ、再びドアを閉めなおしていた。ともかく十七分を探し、アマゾネスがシェイカーを振る壁際のカウンターへ目を這わせる。覚醒波、<ruby>FOSD<rt>フォースド</rt></ruby>(frequency of sound drag)の高揚感を知れば次から生身が欠かせなくなるはずだとしか思えない。皮膚感覚のないそのどこが楽しいのか。モニターとカメラのみの武骨なアバターロボットが遠隔参加でフロアへ向かう姿を追いかけ視線を振った。そのさなかだ。

「よお、クロ!」

 呼び止める手は不意に挙がる。バーカウンターの向かい、申し訳程度にしつらえられたテーブル席に、伸び上がって知らせる十七分の姿はあった。

「全身クロずくめたぁ、まんまかよ」

 ご挨拶だ。

「だから光ってんだよ」

 返して歩み寄ってゆく。

 どうやら本気で話すつもりで来たらしい。ツナギのジップを襟まで引き上げた十七分は、そこでしっかり肌を覆っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る