幕間 料理教室もどき
「…上手く教えられると良いなぁ」
金…ではなく土曜日の昼前。とある男性が食材を片手に歩いている。
この男性、この日に知り合い含めて開かれる料理教室のようなもので講師役を任されている。
元々、人に何かを教えるのが好きな性分の上、料理も得意な自覚があるので、これを任された時には二つ返事で承諾した。
しかし、
「割とオーソドックスな料理だが…いや、料理教えてほしいって人に変化球投げてもダメだよな」
男性は自分が選んだ料理に自身が無いようだ。
「それに会場もあそこで良かったのか?」
男性の不安は尽きない。
ともあれ、その会場となるマンションの前まで来てしまった。
男性は入り口のパネルで、事前に教えてもらった部屋番号を押して呼び鈴のボタンを押す。
ピーンポーンという機械音が鳴る。
「はーい、あ、いらしたんですね。今開けますね」
と、女性の声がすると共に入り口のオートロックが開く。
「どうもー」
と男性は軽く返し、マンションの中に入り、件の部屋へと向かう。
部屋の前で再度呼び鈴を鳴らすと、ドアが開いて女性が迎え入れる。
「こんにちは。時間ピッタリに到着。流石社会人さんですね。他の方は5分前到着でしたけど」
と迎え入れた女性が言う。
この女性は近くのスーパーでアルバイトをしており、近所であるここで一人暮らしをしている。
今回この女性が料理を覚えたいというので講師役として教えに来た次第だ。
入り口から奥へと案内されると、別の女性がもう一人と男が一人席に座って談笑していた。
今日はこの4人で料理教室もどきを行うのだ。
「お、本日の先生が来たな」
と、女性の方が言う。
この女性は20代の若さでここから近い酒屋で店主をしている。
その向かいで静かな顔をしている男は、その酒屋やここの家主の女性が働いているスーパーの常連で、講師役の男性の同僚でもある。
「お疲れ。で、今日の料理は何でしょうかね?」
と男の方が聞いてくる。
「よくぞ聞いてくれました。もどきとは言え、料理教室なのでオーソドックスなものにします。本日は肉じゃがです」
と男性は大仰に言う。
「えーと、台所使わせてもらって良いですかね?」
と男性は家主の女性に問いかける。
「もちろんです!存分に使っちゃってください」
と女性は返す。
一人暮らしの割に、ここの台所はアイランド型で広く設計されており、一度に2〜3人並んで調理するのとも可能だ。更に事前に横に高めの台を付けたらしく、4人で包丁を扱うこともできる。
この家を会場にした理由の一つでもある。
とは言え、
「包丁、2本しか無いんですけどね。古いのと新しいの。古いのは切れるか心配ですし」
と家主の女性。
「そこは仕方ない。それに包丁なんて研げば使えるもんですよ。それにさっきこれも買ってきましたから、常に包丁が必要ってわけでもないですし」
と男性は皮剥きを二つ買い物袋から取り出す。
「砥石とかってあります?」
男性は女性に問い掛ける。
「待ってください…ありました。結局一度も使ってないですけど…」
と家主の女性が引き出しから砥石を出す。
「なら新品同様ってことですね。これをしっかり濡らして…サッサッと…もう片方も…これで良し。両方ともよく切れるはずですよ」
と男性は素早く包丁を研ぐ。
「ありがとうございます。じゃあ準備始めますか」
と、家主の女性は、調理に必要な道具を並べていき、講師の男性も食材を並べていく。
【肉じゃが】
・牛バラ薄切り肉
・結び白滝
・人参
・じゃがいも
・玉ねぎ
・白出汁
・醤油
・みりん
・酢
・ごま油
「肉じゃがは灰汁取りとかあるけど、基本的には切って煮込んで完成って流れです」
と男性はザックリとした流れを説明する。
「では、野郎は野菜の皮剥き、女性陣はお肉の下処理から始めましょう」
どうやら二手に別れて調理するようだ。
講師役は家主の女性と組んで一つの皿を、その同僚と酒屋の女店主も別で組んでもう一皿作る予定らしい。
「牛肉は灰汁が沢山出る食材です。なので、丁寧な灰汁抜きが必要なのですが、面倒なんで楽に済ませましょう。まずは湯を沸かして肉をすべて入れます」
「こうやって軽く湯掻くと色の付いた灰汁が出てきますから、肉が軽く色付いたら全てザルにあげちゃいます。湯掻いたお湯は灰汁と臭い油だらけなので捨てます。シンク詰まりの原因になるので、キッチンペーパーとか活用してください。肉の表面に灰汁が残っているかもなので、軽く水洗いします。これでアク抜き完了」
と講師役は二人の進捗を見ながら灰汁抜きの指示を出す。
「皮剥き終わった?」
と講師役が同僚の男に聞く。
「終わったー」
男も答える。
「ほいさ、なら次は野菜です。人参とじゃがいもを一口大、玉ねぎをこんな風にくし切りにします」
と、講師役が少し手本を見せて女性陣に切らせる。
「切れたら深めの器に入れてレンジで2分。こうすることで鍋で煮込む時間を短縮できます」
「さて、肉の作業を再開しますよ。鍋にごま油を敷いて、先程の牛肉を炒めてください」
「ごま油が肉全体に絡んだら、水1Lに対して白出汁、醤油、みりんをお玉で一杯。あとお酢もお玉で1/4ほど。全部混ぜたらさっきレンチンした野菜と白滝を入れて煮る。沸騰直前に弱火にして10分」
と講師役は皆の動きを見ながら説明していく。
二口コンロの台所では、家主の女性と酒屋の女店主が対応した2つの鍋がコトコトと音を立てている。
「お酢も入れるんですね」
と家主の女性は言う。
「入れ過ぎると酸っぱくなりますけど、少量なら味の輪郭がハッキリするんですよ」
と講師役。
「なるほど!…あと何かやることあります?」
と家主。
「特には。火が通ったら盛り付けてご飯の時間です」
「あ!ご飯!ごめんなさい、炊き忘れてました…」
と家主の女性が申し訳無さそうに言う。
「…ご飯、いる?」
とは酒屋の女店主の言葉だ。
「アタシたちにはコレがある」
と、彼女は自身のカバンからビールの6缶パックを引っ張り出す。
和食にも合う銀色の缶のやつだ。
「流石。あなたならやると思ってました」
と、講師役の同僚が言う。
「肉じゃがも多めに作りましたし、ビールのアテに食べるのも悪くないですね」
と講師役。
「ありがとうございます。チルドのご飯パック買わなきゃとか思ってました。では、肉じゃがができるまで冷やしておきましょう」
と家主。
冷蔵庫の奥、一番冷たいところにビール缶を置く。
その後も軽く談笑し、出来上がったところで肉じゃがを大皿に盛り付ける。
食卓の中央に大皿の肉じゃがニ皿と取り分け用のお玉、四方に取皿と橋を置いて、全員缶ビール片手に席に着く。
カシュッと缶を開けて、
「乾杯!」
と缶をぶつけ合う。
「んぐ…んぐ…んぐ…あーっこの一杯のために生きている」
と講師役。
「大袈裟な」
と同僚の男。
「でも、ビール飲むとそんな風に思いますよね」
と家主の女性がフォローする。
「ささっ、食べようか」
と酒屋の女店主はお玉でガッツリ掬って自分の取皿に月を盛る。
「頂きます」
先に盛り付けていた男が誰よりも早く食べる。
「あむ…むぐ…むぐ…んぐん…んー、家庭の味だ」
と男が言う。
白出汁、醤油、みりんの、所謂煮込みの味だ。
若干薄味だが、食材に味が染み込んでいるのであまり気にならない。どうやらこれが講師役の男性が食べ慣れた味らしい。
そこにビールを追い込む。
「んぐ…んぐ…っくはぁ〜」
濃い味の煮込みではないが、このビールなら邪魔されることなく楽しめる。和食によく合うビールである。
4人は談笑しながらも肉じゃが昼間から小さな酒盛りを楽しんだ。
「いやぁ、旨かったねぇ」
食べ終わって酒屋の女店主が言う。
「ええ、美味しかったですね。また、食べたいです」
講師役の同僚が言う。
講師役の男性はその言葉に違和感を感じた。
"また、食べたい"。これに単なる褒め言葉とは別の感情も含まれているように感じた。
「そっちを選んだか」
講師役の男性はそう感じた。
講師役の男性は元々他人の色恋話が好きな性分だ。
そのため間近でこういった展開を見れることに好奇心がくすぐられるが、
「でも残されたこの娘が可哀想だな…」
講師役の男性は家主の女性を横目で見ながらそう感じた。
一方、家主の女性も男と女店主の様子に気付いていた。
目の前の男に確かに淡い気持ちを抱いていた女性は、少し寂しい気持ちを抱く。
しかし同時に、ここ数ヶ月の間、同じような淡い感情を隣に立つ講師役の男性に対しても抱いていた。
「私は、どうしたいのかな?」
参加者の半分に複雑な感情を抱かせつつ、この日の料理教室は終わった。
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